千代田区の神田警察通りのイチョウ並木
杉本裕明氏撮影 転載禁止
イチョウの木をめぐって、前回は東京の神宮外苑の再開発計画を取り上げましたが、今回は、同じ東京都の府中市と千代田区のケースを紹介します。府中市は、513メートルにわたってイチョウの街路樹、成木47本、低木63本の計110本をすべて伐採してしまいました。千代田区では、警察通りの250メートルのイチョウ32本のうち30本を伐採、代わりに枝ぶりが小さいヨウコウザクラを植樹する計画を打ち出しました。それに対し、住民らが反対し、裁判で争ったりしています。現地を訪ねてみました。
ジャーナリスト 杉本裕明
瞬く間に47本のイチョウが伐採された
「ウィーン」。チェーンソーの甲高い音が、住宅街に響きわたった。2022年10月。ヘルメットをかぶった作業員たちが、次々と伐採し、トラックに積んで運び去っていく。歩道には、地面から高さ1.5メートルほどの幹だけが残った。
伐採される前の分倍通りのイチョウの街路樹
杉本裕明氏撮影 転載禁止
伐採されたのは、分倍河原駅から徒歩10分ほどの分倍通り513メートルの歩道に植えられた47本のイチョウの木。高さは、三階建ての建物を少し超える程度で、平均が8~10メートルだ。植えてから数十年たっていると思われるが、伐採を担当したまちづくり拠点整備推進本部は「植樹の時期も樹齢も知らない」。
筆者が入手した市の非公開の図面を見ると、47本の成木は、胴回り1メートル以上が25本、1メートル未満が22本。高さは8~10メートルが多く、中には胴回りが50センチの細い木もあった。また、成木のそばに植えていた63本の低木もすべて伐採していた。
真ん中で切られたイチョウの成木。低木も全部伐採されてしまった
杉本裕明氏撮影 転載禁止
伐採工事を見ていた沿道の住民の心境は複雑だ。ある住民は「イチョウの木を切るなんて知らなかった。夏は日陰になってよかったのに、夏は照り返しで大変だ」。
市が配ったチラシには、「街路樹の伐採」の文字はなく、「このたび、道路改修工事を実施することになりました。(中略)工事内容 歩道の安全な歩行空間確保に伴う再舗装及び植栽桝等の撤去」。
植栽桝(しょくじゅます)は、木と周囲の土がむき出しになった部分を囲ったコンクリートの枠のことをいう。街路樹の伐採は「等」にあたる。伐採の文字がなかったのは、その半年前に東京都千代田区で、区が街路樹のイチョウを伐採することを知った住民らが実力行使し、工事を阻止する「事件」が起きており、それを気にしたのかも知れない。
残った幹の根を掘り返し、引き抜いてトラックに積み込まれていった。10月下旬から始まった工事は2週間ほどで終わり、次に電柱の工事が始まった。古い電柱を新しい電柱に替えた。「電柱は前より少し細いタイプで、設置の際、少し道路寄りにして、歩道の幅1.5メートルを確保した。街路樹をなくしたのは、1.5メートルを確保するため」と、推進本部の職員が言う。
木を伐採しても30本の電柱が残る
1.5メートルの根拠について、職員が「府中市の福祉のまちづくり条例で決められている」と説明したが、条例の施行規則には「歩道の有効幅員は、原則として2メートル以上、歩行者が安心して通行できる歩行空間を連続して確保すること」とあった。そこで府中市が倣った東京都の福祉まちづくり条例を調べると、同条例「施設整備マニュアル」に、1.5メートルの記述があった。
イチョウの木があっても歩行に差しさわりがあるようには見えないが。府中市・分倍通り
杉本裕明氏撮影 転載禁止
歩道の有効幅員は原則として2メートル以上だが、「整備が困難な場合には、少なくとも歩道の有効幅員として1.5メートルを確保する。この場合、要所に2.0メートル以上の有効幅員を部分的に確保し、車椅子使用者同士のすれ違いを実現できるようにする」としていた。そして、この根拠として、車椅子と人が対面で交差できる幅であるとしていた。
府中市が、この都のマニュアルに拠っていることがわかったが、マニュアルには、歩道の整備に当たっての配慮すべきことが書かれ、「植樹帯については、有効幅員の確保と緑化推進の見地から樹種を選定するなど配慮する」としていた。
すべての木がなくなり、林立する電柱が残った
杉本裕明氏撮影 転載禁止
府中市が、皆伐した分倍通りには、約30本の電柱が立つ。市は、NTT等と交渉し、現在の電柱よりも細い電柱にし、さらに歩道の端に寄せることで、何とか1.5メートルを確保することになった。
イチョウの街路樹のメリットとは
車椅子と人の対面通行を可能にするために、イチョウの街路樹を皆伐したことになるが、イチョウの街路樹には、様々なメリットがある。まずは、良好な景観を醸し出していることだ。
殺風景な電柱が立ち並ぶ歩道と比べて住民や歩行者の心が癒されるのではないか。また太陽の強い日差しを遮り、蒸散作用によって水蒸気として逃がしていた熱量が減少し、ヒートアイランド現象(都市部の気温が周辺地域に比べ高くなる現象)を抑える事ができる。
樹木はCO2を吸収し、地球温暖化防止に貢献する。根が雨水を吸収し、貯留することによって豪雨災害などの防止の役目も持つ。さらに火災の延焼防止効果もある。
伐採されたイチョウの街路樹は、高熱化を防いでいたのだが
杉本裕明氏撮影 転載禁止
日本で本格的に街路樹が植えられ始めたのは明治以降で、東京での最初の街路樹は、1874年に銀座通りに植えられたヤナギとマツだとされている。明治神宮造営に伴い表参道にケヤキ並木(1921年)、神宮外苑にイチョウ並木(1926年)が整備されていった。
関東大震災の時、火災から逃れた住宅にはイチョウの木があったといわれる。イチョウの葉っぱは厚みがあり、水分を多く含む。幹が含む水分も他の樹木に比べて多い。火災が起きた時、イチョウの木がなかなか燃えず、その分、住宅への延焼を遅らせることができる。
関東大震災の教訓から、東京では、街路樹にイチョウが選ばれ、積極的に植樹されるようになった。東京都の樹木はイチョウが指定されている。
全国の街路樹で最も多いのがイチョウだが、排気ガスや硬い地面の環境にも耐えることから選択されたという。春に開花し、夏に緑が茂り、秋に紅葉し、季節を感じさせる樹木として親しまれてきた。
府中市は、歩道の狭さばかりを気にし、こうしたイチョウの木の利点には無関心だったようだ。ところで、施設整備マニュアルを策定した東京都は、1.5メートルを確保するために街路樹の伐採を進めているのだろうか。
市職員が「事前に東京都の福祉のまちづくり条例の担当課に樹木の伐採について相談し、了承を得た」と言うので、担当課に尋ねた。こんな返事が返ってきた。
「相談を受けた事実はない。マニュアルは1.5メートルの幅員確保のために街路樹を伐採せよと書かれていない」
府中市のまちづくり協議会の提案書は「緑保全」を求めていた
市の伐採の方針は、いつ、どこで、だれが決めたのかを探ると、「分倍河原駅周辺まちづくり協議会」で、分倍通りのことが話し合われていたことがわかった。駅の西側の一角にある5つの自治会と2つの商店街が主要メンバーで、事務局はまちづくり拠点整備推進本部。2017年11月から話し合いが始まっていた。
テーマは、市が策定した「まちづくり交通戦略」の中で、分倍河原駅を中心にした最大500メートル、最小300メートル強の台形状区域を対象に、道路の改修等で交通の流れをよくしたり、駅前広場を整備することなどが必要とされていた。これをどう具体化して進めるかを、協議会で話し合うという。
同時に、地元の自治会は「分倍河原駅周辺まちづくり提案書」を作成し、提出した。分倍通りについて、こう記述した。「歩行者や自転車が安全に通行できるように街路樹の本数を間引くなどにより、歩道のうち歩行者が通れる幅を広げることが必要です。その時、緑が少なくなるのを防ぐための緑化方法の工夫を望みます」。
この「間引き」という言葉が入ったのは、委員になった自治会長によると、「地面が根上がりしたところがあり、自転車で走ると危険」という声があったからだという。また、「落ち葉で掃除が大変」との声もあったが、街路樹すべての伐採を求める声はなかったという。その後、協議会は回を重ねたが、駅前の広場を中心とした問題に話題が集中し、分倍通りは話題にならなかった。
2022年3月の14回目の会議に、市は突然、47本のイチョウを皆伐する図を提出した。当日の議事録が市のホームページにあるが、この伐採について議論された記録はない。
筆者は委員だった自治会長らにいつ市が伐採することを知らされたのかと尋ねたが、一人は「記憶がない」。もう一人も「伐採前に聞いたが、いつ頃だったか覚えていない」。翌月市は片町文化センターで、オープンハウスを開催、パネル展示で、伐採方針を伝えた。
しかし、沿道住民をはじめ、このことを知る住民は少なく、市がオープンハウスに来た住民の声として「伐採は仕方がない」「木がなくなると通りやすくなる」との肯定的な意見が公表された。
住民に配ったビラを曖昧な内容にした理由は?
それにしても、チラシに伐採と書かず、「植栽桝等の撤去」というわかりづらい記載にしたのはなぜか。
実は、そのころ、同じ東京都千代田区で、街路樹のイチョウ30本を伐採することに、住民の一部が猛反対し、裁判所に訴えたり、実力行使で伐採工事を止めるという住民紛争が起きていた。
東京都千代田区による区道「神田警察通り」は1.4キロの車道4車線。このうち、紛争になったのは二期区間の250メートル。ちょうど神田税務署の前あたりだ。区は、車道を3車線にし、駐車帯と自転車道を新設する計画だ。
そのため、歩道の幅員が狭まり、都が決めた歩道の幅員2メートルを確保するためには、イチョウの木が障害となり、もっと小ぶりの種類の木を、伐採したイチョウの木の代わりに植樹する方針をたてた。
千代田区が掲示した工事の掲示板。工事概要として「歩道空間の拡幅と快適化」とあった
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しかし、これには住民が反対の声をあげた。区は、1期区間については、駐車帯の新設をやめることで街路樹のイチョウを残すことにしていたからだ。この時も住民が伐採に反対したため、区は保存を選んでいた。
ところが、二期区間では、イチョウ32本のうち30本を伐採、2本を移植するとし、跡地に新たに39本のヨウコウザクラを植えることを決めた。
千代田区道路公園課は「ヨウコウザクラは5~8メートルぐらいと小ぶりで、これなら歩道2メートルを確保できる」。道路管理課は「一期区間で駐車帯をやめたのは、そばに駐車場があったから。二期区間はないので、計画通りとなった」と説明する。
住民が反対する理由の1つは、これまでの伐採を決めるプロセスが不透明だったことにあるようだ。もともとイチョウを活用すると記載していた「神田警察通り沿道賑わいガイドライン」を、区は2020年に改定し、伐採に方針転換した。
にもかかわらず、区議会での説明はなかった。区は、住民にアンケートしたが、設問がわかりにくく、回答率も10%台しかなかった。区が開いた住民説明会ではこうしたことに批判が相次いだ。
区は、町会長や有識者らによる「神田警察通り沿道整備推進協議会」で伐採の話をして了解を得たとしている。しかし、町内会長と識者からなる協議会は、全員が匿名。公開された議事録を見る限り、イチョウの街路樹の保全を唱える意見は皆無で、「臭い」「落ち葉が大変」「建物が影を造っているから必要ない」と、イチョウは一方的に批判されているだけ。委員の選考方法にも疑問符がつく。
住民への説明はなく、住民らから「いつ、どこで伐採が決まったのか」と疑念が高まった。区が初めて住民説明会を開いた2021年12月には、伐採の工事契約が結ばれてしまっていた。
不信感を高めた住民ら20人が、予算執行しないことを求める住民監査請求を区監査委にしたが、監査中に区は着工し、それが住民の不信感をさらに高めるという悪循環に陥った。のちに住民らは区に対し、2件の訴訟を起こしている。2022年4月27日未明、区は2本のイチョウの木を伐採した。区は前年10月の議会で、翌年度の工事費4億円が議決された。
このため、4月に保存を求める住民らが現場に結集し、予算の執行停止を求めていた。26日深夜に住民らが自宅に戻ると、日付が変わって間もなく、工事車両が到着、伐採が始まった。工事はしばらく中断していたが、2023年2月6日に、区はさらに4本を伐採した。
神田警察通りの伐採されたイチョウと残ったイチョウ
杉本裕明氏撮影 転載禁止
伐採に反対する住民グループ「神田警察通りの街路樹を守る会」のメンバーらがイチョウの木の下にパイプ椅子を置き、座り込みを続けて抗議、4月には、警備員と小競り合いになった。
住民合意のプロセスを
府中市と千代田区に共通するのは、住民合意のプロセスが不透明なところだ。どちらも「協議会方式」を採用し、自治会長らをメンバーに加えて議論の場を確保しているが、千代田区の協議会は有識者の名前も公表されず、有識者がどのような専門的な発言をしたのかわからずじまいだ。
街路樹の伐採について様々な側面から検討した形跡はうかがわれず、「イチョウは臭い」「落ち葉が大変」「通行に障害」といったイチョウ批判が議事録に踊る。府中市の協議会では、「まちづくり提案書」に書かれたことが守られず、議論のないまま、皆伐が決定された。
千代田区の神田警察通りのイチョウの街路樹で区が伐採した木。芽が出て葉がついている
杉本裕明氏撮影 転載禁止
しかも、1.5メートルが確保できるにもかかわらず、低木63本までも伐採した。これでは、協議会と言っても、市にお墨付きを与える役割だけを担っていることになる。
案の定、今年の夏は猛暑だ。7月、府中市は38.3度と、全国5番目の猛暑を記録した。街路樹のなくなった歩道沿線の住宅は、直射日光と道路の照り返しにあっている。
識者の提言に耳を傾けると
藤井英二郎千葉大学名誉教授は、環境植栽学が専門で、街路樹の持つ様々な有用性を説いてきた人だ。『街路樹は問いかける 温暖化に負けない〈緑〉のインフラ』(岩波ブックレット、共著)によると、藤井さんは、街路樹を邪魔者扱いするように伐採し、低木に植え替えたり、樹冠が広がるのを嫌って枝を切りつめる日本の街路樹行政に鋭い批判を加えている。
そして、アメリカ、ドイツ、フランスの街路樹を大きく育もうとしている都市の取り組みを紹介し、日本の国や自治体に、街路樹の持つ可能性を最大限に生かすことを提唱している。具体的には、
- 街路樹を道路の付属物と扱う道路構造令を見直し、街路樹の役割を明記した新道路構造令を制定すること
- 街路樹を痛めつけ、機能の障害になっている「切詰め剪定」をやめ、新しい管理の仕組みをつくる
- 街路樹診断を進め、「樹木保護ゾーン」を設置する
- 木が根を張るスペースを確保する
ことなどを提言している。
イチョウは生きた化石
イチョウは、「生きた化石」とも呼ばれ、2000万年前からの化石の記録からただ1つ残った種だ(フランスシス・ケアリー 『樹木の文化史』)。
中国が原産で、韓国や日本に渡り、神社や寺に植えられるようになった。ヨーロッパに植えられるようになったのは、1700年代半ばで、イチョウに魅せられたゲーテは、心を寄せた女性に、イチョウの葉2枚を添えた詩を贈っている。
「わたしの庭に命を託された、東洋から来たこの木の葉は、隠された意味の楽しみで、物知りの目を開いてくれる。これは1つの生命体が、自分の中で分かれたものなのか、それとも互いを選んだ2つが、1つに見えるようになったのか」
「管理が大変」「通行に邪魔」との行政側の判断で、こんな優雅なイチョウの木が各地から消え去る日がやってくるのだろうか。
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