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サーキュラーエコノミーに向けて邁進する廃棄物処理のリーディングカンパニー③汚染土を利用可能な土に生き返らせる成友興業

成友興業・ 城南島第二工場(東京都大田区)
杉本裕明氏撮影 転載禁止

循環経済に向けて業界の先頭を走るリーディングカンパニーの4社を紹介した「建設廃棄物革命」(杉本裕明著、環境新聞社)のうち、今回は、汚染土を利用可能な土に生き返らせる成友興業(東京都)を紹介しましょう。土木工事から発生する建設汚泥や汚染土壌を引き受け、それを加工し、土木工事に使われる流動化処理土として利用したり、汚染物質を除去し砂に戻したりするなど、最先端のリサイクルを行っています。

ジャーナリスト 杉本裕明

目次

汚泥のリサイクルに挑む

東京都大田区のスーパーエコタウンに足を踏み入れた。東京都第一号の認定企業である高俊興業の東京臨海エコ・プラントから始まり、その隣には開業が最も早かった廃情報機器類のリサイクル工場、フューチャー・エコロジーがある。

その隣が、がれき類。泥土リサイクル施設の成友興業のリサイクル施設、城南島第二工場だ。その近くに成友興業の城南島第一工場もあった。第一工場は建設汚泥に生石灰を混ぜ、造粒固化する専用施設で、2009年9月に稼働した。汚染土壌や汚染汚泥を主に洗浄し、砂や再生品にする最新設備を備えた第二工場は、2017年1月から稼働している。スーパーエコタウンへの進出で会社は急成長し、建設業も含め、売上高は100億円を超え、「浄化ビジネス」を代表する企業になった。


成友興業の第二工場のプラント
杉本裕明氏撮影 転載禁止

最新鋭の装置で、汚染土壌と汚染汚泥のリサイクルをしている第二工場を訪ねた。第二工場の会議室で細沼順人社長が出迎えてくれた。「高俊興業の高橋俊美会長はおやじのような存在です。背中を見ながら、励まされながら走ってきました」と切り出した。

高橋会長は「廃棄物処理は選別が命」と言い、建設混合廃棄物の高度選別に取り組んできた人だ。リサイクルの難しい混合廃棄物に挑戦する強い意志と実行力が細沼さんにはまぶしく映り、高橋さんのあとを追いかけてきたという。

同じエコタウンで、建設副産物を扱っているといっても、扱うものは違う。細沼さんが語る。

「建設発生土は土として廃棄物処理法の対象外とされ、無料で建設現場に使われています。かたや建設汚泥はそのままなら管理型最終処分場に持ち込まねばならない産業廃棄物。改良して品質のよい再生原料を製造し、工事現場での埋め戻し材やセメント工場に原料として売却できるものを造りたいと思ったのです」

土の世界は広くて奥が深い。旧環境庁(現環境省)が土壌汚染対策法を作ろうと、1990年前後からひそかに検討を始めたころから、筆者もその動きを追いかけてきた。その後、2003年に土壌汚染対策法が制定、さらに2008年に改正され、汚染土壌の浄化とリサイクルに取り組む成友興業のような事業者が全国に根を張り始めた。

汚染物を除去し、価値ある砂利と砂に

第二工場は、洗浄処理施設、高度洗浄処理施設、水処理施設、固化処理施設からなり、この時は洗浄処理施設を中心に見た。石川隆行第二工場長の案内で、流れに沿って複雑なプラントを分け入るように歩いた。

土壌汚染対策法による環境基準を超えた汚泥を粒径ごとに洗浄分級し、砂利、砂、細砂を取り出している。砂は建設工事現場での埋め戻し材として、細砂は「流動化処理土」の原料になっている。さらに最後に残ったシルト分は「セメント原料」となる。


バリオセパレータ
杉本裕明氏撮影 転載禁止

水で洗って「確率分級」によって、選別を繰り返して、土の粒径のサイズごとに分けて再生資源としての価値を高める。こうすることによって有価で売却できるものを増やし、焼却処理や埋め立て処分する量を減らせる。この肝が「選別」という行為で、多段階選別によって無価値のものに命を吹き込み、価値が生まれる。


グリズリ傾斜篩(奥)とPGS(手前)
杉本裕明氏撮影 転載禁止

処理工程は複雑だ。グリズリ傾斜篩(ふるい)機とPGSと呼ばれる圧力篩機が並んで轟音(ごうおん)をたてていた。石川工場長が「トラックで工事現場から運び込まれた汚染汚泥はバックホウでこの傾斜篩機に投入されます。揺すって粒径が150ミリ以上の大粒径物や不適物を取り除き、隣のPGS(乾式分級機)で粒径100~150ミリの礫(れき)を取り除き、再生砕石の原料として使われます」と説明する。


ハリケーンで汚水を分離する
杉本裕明氏撮影 転載禁止

それ以外の汚泥はパイプラインから次の工程へ。汚泥は磁選機で金属を取り除いた上、40~100ミリは湿式の水平振動篩機に送り、出てきた砂利はピットにためて、再生採石の捕捉剤となる。それ以外の40ミリ以下はハリケーンでドラム洗濯機のように水をかけながらぐるぐる回し擦(す)り揉(も)みし、表面に付着した泥を落とす。

分級して価値を高める

次にマッドスクリーンと呼ばれる水平振動篩機で網目から3ミリ以下と3~40ミリに分け、3~40ミリは浮遊選別機で可燃ごみを取り、きれいな砂利は再生砕石の捕捉剤として利用する。3ミリ以下は汚水分離槽に移し、ポンプで吸引、サイクロンで遠心分離する。


こちらは砂利置場(3㎜オーバー)
杉本裕明氏撮影 転載禁止

サンドスクリーンと呼ばれる分級機で粒径0.075~3ミリの砂と軽量のごみなどの異物に分ける。砂はアスファルト合材の原料として売却、異物はエコタウン内で処理委託する。

汚水分離機からシルト分の多いスラリー状の泥水はシルトクリーナーと呼ぶ小型遠心分離機へ。さらにシルトデハイダー(分級機)で0.032~0.075ミリの細砂、0.03ミリ以下の泥水に分ける。細砂は流動化処理土の原料として他社に売却。泥水は薬剤を投入し1次水処理、2次水処理を経て脱水処理し、できた脱水ケーキは生石灰を混ぜ、改質土の名でセメント工場に原料として納品、処理してもらう。


成友興業の分析室には高性能の分析、測定機器がそろっていた
杉本裕明氏撮影 転載禁止

石川工場長が会議室で砂のサンプルを見せた。「プラントでの工程を経て分級された砂です」。出荷の際に、汚染物質を含有していないか、溶出しないか検査する。第二工場の環境分析センターは、土壌浄化による品質保証のほか、公的な計量証明事業も担っている。

砂利採取会社の工場長から独立した初代

細沼順人さんは、東京都福生市で成友興業創業者の父、治夫さんと清美さんの長男として生まれ、成友興業の二代目社長である。創業者の治夫さんが、多摩の地に会社を興したのは1975年のことだった。

細沼治夫さんは、東京・あきる野市の砂利採取会社の工場長を経て、独立。1990年、成友興業は、これまでの収集・運搬業から、コンクリートがらなど建設廃棄物であるがれきの中間処理の許可を取り、秋川市(現・あきる野市)に処理プラントができた。大学を卒業した順人さんは、東京の中堅不動産会社に就職し、優秀な営業マンとして鳴らしたが、94年秋、母の清美さんがくも膜下症で病院に入院したのを機に、会社を辞め、父、治夫さんの会社に入社した。

95年4月、入社した成友興業の秋川工場は、現在のあきる野市にあるあきる野工場の場所にあった。順人さんは、選別作業、トラックでの運搬、配車の手配、営業と何でもこなした。96年9月、両親が不慮の事故で亡くなり、残された会社を順人さんが引き継ぐことになった。

建設省はコンクリートがらのリサイクルを始めた

建設省は、90年代後半から本格的な取り組みを開始し、2000年に建設リサイクル法が制定された。細沼順人さんは、このリサイクルの流れを敏感に嗅ぎ取っていた。最初は預金通帳がどこにあるかも知らずあわてたが、会社の経営内容を調べると、利益率はかなりよく、「これなら経営していける」と思った。しかし、売り上げ5億円、従業員10人では、多摩地域の処理業界を代表する会社とはいえない。どう実力をつけて大きくするか。

細沼さんは、リサイクルに集中することにした。これまで進めてきたコンクリートがらを破砕し、再生砕石にし、路盤材に使うリサイクル材「RCー40」の製造と販売をこれまで以上に強化することにした。そして新たな事業として選んだのが、同じ建設副産物の建設汚泥のリサイクルだった。

建設汚泥に石灰やセメントを混ぜて調整し、改良土にし、埋め戻し材や覆土材にする取り組みは、浜野さんの大阪ベントナイト事業協同組合など、関西で進んでいた。それに比べ、東京では、汚泥のリサイクルを手掛けていたのは建材会社一社しかなく、大半が海洋投棄されていた。

さらに、東京の改良土の製造方法を見ると、連続式とはいうものの、コンベヤーから装置に送り、スクリューでかき回しながら生石灰とセメントを投入するだけで、これでは均一に混ざらず、高品質にならないと思えた。

高品質の改良土を造るにはどうしたらよいか、全国のメーカーを訪ねて回った。その一つに広島県にある環境機器を製造する北川鉄工所があった。同社は、建設発生土を混練造粒するミキサーを製造していた。この装置の中に入れてブレードで圧縮とかき上げを繰り返しながら、添加剤を練り込み、さらにローターの高速回転で撹拌と均一の混練・造粒する。「ころころと転がすように造粒していた。これは使えると思った」と細沼さん。

建設汚泥は、成分の小砂利、砂、シルト、粘土の比率が、まちまちだから、石灰とセメントを均一に混ぜても同じ品質にはならない。細沼さんは装置の改良に取り組み、秋川工場の敷地を広げ、汚泥の新プラントを完成させた。

あきる野工場を見る

現在のあきる野工場を訪ねた。藤盛諭所長と須藤大知主任が案内してくれた。工場は2つに分かれ、事務所の右手にコンクリートがらとがれき類、ガラス、陶磁器屑を破砕する施設、左手は、建設汚泥を造粒固化する施設になる。

「まずコンクリートがらの方を見ましょう」。藤盛さんに促されて、長靴を履き、ヘルメットをかぶって、リサイクルの現場へ。処理施設が二手に分かれているので、わかりやすい。建設廃棄物を積んだトラックは、処理前置き場で下ろし、社員が目視で異物や不純物を取り除き、重機でホッパーから破砕機のジョークラッシャーへ。粗く破砕する。見ると、こぶし大の大きさぐらいになっている。それをつり下げられた磁選機をくっつけて鉄屑を取り除き、さらに手選別で異物を取る。

次に一軸破砕機のインペラーブレーカーで細かく破砕(2次破砕)する。先の破砕機が、両側の鉄の厚い板が左右に動き、挟まれたコンクリートがらが潰されていくのに対し、こちらは回転式で、たたき割るような感じだ。

それをスクリーンでふるい分けする。振動させて、粒度(粒径)が40ミリ以下と40ミリを超えたものに分ける。40ミリを超えたものは再びインペラーブレーカーに戻す。40ミリ以下は、再生砕石のRC40と、再生砂のRC砂として販売される。いずれも工事現場の路盤材などに使われる。

事務所の左手にある汚泥の造硫固化施設に移った。こちらは、トンネルなどのシールド工事、杭基礎工事から出た汚泥が対象だが、「ダンプに乗せても上を歩けるぐらいから、水でばしゃばしゃのものまで、いろいろあるんですよ」と須藤さん。

汚泥をピット(受入槽)に入れ、水分の多いものはフィルタープレスで絞って水分を減らす。その後、ローリンググリズリーで直径40ミリ以下と40ミリ以上に分ける。これは、装置の中に羽があり、回転させて(ローリング)40ミリ以上を出してしまう。

残った40ミリ以下のものは、ペレガイヤと呼ばれるミキサーの造粒固化装置でかき回し、土、セメントフィラー、生石灰、燃えがら、水を均一に混合し、練り込み、造粒固化する。先の40ミリを超えたものは、もう1回、破砕処理に戻す。藤盛さんは「雷おこしのようになるといったらよいでしょうか」という。この造粒固化したものが改良土だ。使い道を尋ねると、藤盛さんが説明した。

「第1種改良土は盛土材です。例えばビルの解体工事の後、地下に穴が残ります。その埋め立て材に使われたりします。第2種改良土は、水道、下水道工事での埋設工事に埋め戻し材として使われます」

スーパーエコタウンに進出決める

2003年に東京都から改良土を製造する造粒固化施設の認定を受けた成友興業は、多摩地域の自治体の水道・下水道工事に改良土を使ってもらい実績を上げていた。

2006年になってまもないある日のこと。細沼さんは、当時、東京都環境局が推進していたスーパーエコタウンの存在を知った。スーパーエコタウンの公募が迫っていた。

スーパーエコタウンは、高俊興業が2002年の第1公募に応募し、1番乗りで2004年暮れに建設廃棄物のリサイクル施設を稼働させていた。だが、進出した6社の施設には、汚泥のリサイクル施設がなかった。

都は、汚泥のリサイクル施設建設を求め、スーパーエコタウンに進出

東京都は、下水汚泥の焼却施設の整備を進めるとともに、上下水道工事から出る建設汚泥の処理施設を設置したりしていたが、都心部から出る建設汚泥の行き先は不透明なままであった。海洋投棄が禁止され、行き先がなくなれば、汚泥は不法投棄に向かいかねない。

それを防ぐためにも、汚泥の処理施設を23区内に造ることが求められていた。

応募して無事進出が決まった。当時の成友興業の売上高は20数億円で、社員は50人ほど。その小さな企業がスーパーエコタウンに造る新工場の建設費は30億円だった。細沼さんは、他の信用金庫や都市銀行をかけずり回り、融資が正式に決まったのは、2009年7月に城南島の第一工場の操業が始まる直前だった。無事、第一工場はスタートした。

汚染土壌ビジネスの誕生

製造したコンクリートがらのリサイクル材は、2011年11月に全国初のコンクリート用再生骨材HとしてJIS規格を得た。ところが、販売先がなかなか見つからない。コンクリート用再生骨材Hについて、JISを取る前に「いいことだから購入したい」と好意的だった生コン業者に、いざ納入しようとすると難色を示した。当時の建築基準法ではJISの再生骨材Hの利用が認められていなかったからだ。


コンクリートがらから製造された再生砕石の「えこ石」と「加熱すりもみ再生骨材」
杉本裕明氏撮影 転載禁止

「このままじゃ、大変なことになる」。経営難にあえぐ細沼さんを見て、顧問が提案した。「細沼さん。汚染土の処理を手がけたらどうか」。土壌汚染の状況の把握や土壌汚染による健康被害防止のために土壌汚染対策法が2002年に制定され、03年から施行された。2009年4月には法改正され、同年10月には汚染土壌処理業の許可申請の手続きについて省令が公布され、翌10年4月には改正法が全面施行されていた。

この法律は有害物質を使用していた工場や事業所が施設の使用を廃止した時や一定規模以上の土地の形質変更の際に、都道府県知事が土壌汚染のおそれがあると認めた際に調査し、基準を超えてきた時は封じ込めや土壌汚染の除去が義務づけられていた。この法律を所管する環境省のもとで、様々な処理方法が指定され、汚染土壌ビジネスが生まれようとしていた。

汚染土壌を扱う第一工場を見た

島田さんから情報を得た細沼さんは、すぐに動き出した。西日本を中心に施設許可を受ける動きが始まろうとしていた。

処理方法には、異物除去、含水調整、不溶化、洗浄、焼成、埋め立て処分があるが、細沼さんは第一工場で異物除去、含水調整、不溶化の手法を採用することにした。乾式と言われる方法で、第一工場の施設で対応可能だった。2011年3月、第一工場は、東京都から汚染土壌処理業の許可を取り、汚染土と汚染汚泥の受け入れを始めた。建設会社はみな、汚染土の扱いに困っており、需要はあった。

第一工場の処理を知るため、私はスーパーエコタウンを訪ねた。成友興業第一工場の入り口のトラックスケールに、次々とトラックがやってくる。コンクリートがらを下ろすと、重機で1次破砕機のジョークラッシャーへ。磁石で鉄類を取り除き、バイブロスクリーンで40ミリ超えと、40ミリ以下に分級する。

40ミリ超えは2次破砕機に送り、それ以下は、バイブロスクリーンで、10~40ミリと10ミリ以下に分け、それぞれRC-40とRC-砂として販売する流れは、あきる野事業所と同じだ。この再生砕石は道路の路盤材や宅地造成の盛土材として使われる。

汚染土はトラックの荷台に乗せられ、ピットからペレガイアに送られる。ペレガイアで生石灰と混合し、そこで細かい解砕と均一な混練、造粒が行われ、粘土の代替品としてセメント原料として納品される改質土にする。汚泥はほとんど扱わず、いまは汚染土のリサイクルが主だ。

こうして納品した改質土はセメント工場のロータリーキルンで焼成される。焼成によって汚染物質は無害化され、安全に処分される。

資源循環社会づくりを進めたい


「令和の時代にふさわしいビジネスモデルをつくりたい」と語る」細沼社長
成友興業提供 転載禁止

何が、彼を駆り立てるのか。細沼さんは言う。

「私たちの商売って、社会の役に立っているのに、産廃屋と言われて、世間の評判が低いでしょう。仕事はきついし、露天でやってる業者も多い。もっとかっこいい、みんながそこで働きたいと思うような商売をやりたいと思ったのです。もうぴかぴかの業界にして、それを次世代のみんなに渡したい」

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この記事を書いた人

朝日新聞記者を経て、フリージャーナリスト。廃棄物、自然保護、地球環境、公害など、環境の各分野に精通する。著書に『ルポ にっぽんのごみ』(岩波書店)『ディーゼル車に未来はあるかー排ガス偽装とPM2・5の脅威』(同、共著)、『環境省の大罪』(PHP研究所)、『赤い土(フェロシルト) なぜ企業犯罪は繰り返されたのか』(風媒社)、『社会を変えた情報公開―ドキュメント・市民オンブズマン』(花伝社)など多数。NPO法人未来舎代表理事として、政策提言や講演会などをしている。

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