餌をついばんでいるハマシギ
藤前干潟を守る会提供 転載禁止
新しく環境大臣になった真鍋賢二さんは、お忍びで藤前干潟を視察し、貴重な干潟がなくなろうとしていることに驚きました。東京に戻ると、庁内の幹部らを集めると、大号令を出しました。「一丸となって藤前干潟を守れ!」。環境庁はフル回転で動き出しました。
ジャーナリスト 杉本裕明
「これまでの大臣と違う」
1998年9月21日、諫早湾など貴重な干潟・湿地の保護に取り組む日本湿地ネットワーク代表の山下弘文さんら、自然保護団体の代表が、真鍋賢二環境大臣に会い、藤前干潟の保護を訴えた。「これまでの大臣とは違う」と、長崎県諫早市から夜行バスで上京した山下さんは思った。真鍋大臣は「干潟を守っていかねばならないということは、環境庁もNGOのみなさんと認識を同じくしています。我々も100年先を見た政治を行わねばならないと思っています。環境庁として厳格な処理方法でやりたい」と率直に語った。
「静かな語り口であったが、これまでの大臣と比べ、言葉は明快だった」(WWFーJ=世界自然保護基金日本委員会)、「断固たる意見を出す意志が伝わった」(日本自然保護協会)と、みな、期待を抱いた。真鍋大臣は、10月3日、朝早く議員会館を出ると、名古屋に向かった。「目立ってはまずい」と、環境庁の幹部らとは現地で落ち合うことになっていた。
名古屋駅で長官を迎えたのは、気心の知れた地元の議員だった。その車に乗り、藤前干潟に向かった。岸壁で待っていたのは、岡田康彦企画調整局長と、小林光自然保護局計画課長。「よく来てくれた」。二人をねぎらうと、真鍋大臣は、干潟に目をやった。目の前に、餌をついばむシギとチドリの群が見えた。
「こんなところに、よく残っていたもんだ」
かつてここを訪ねた時の感慨の気持ちが改めてこみ上げてきた。
「ここを潰すようなことがあってはならない」
真鍋大臣と岡田局長らを乗せた車は、環境省が代替地と考える南5区、名古屋市が突然ゴルフ場にすると言って造成工事を始めた西5区、さらに浚渫土砂で埋め立て工事をしている人工島のポートアイランドを回った。がらがらの貯木場、産廃が予想したほど搬入できず開店休業のような南5区の廃棄物処分場。
「代替地がないなんていうが、いくらでもあるじゃないか」
真鍋大臣は、長官が部下たちに発した指示に、改めて自信を持った。
幹部らを集め、一丸となってことに当たれと号令
真鍋大臣は、視察から戻ると、幹部たちを大臣室に集めた。
「私は干潟の埋め立てに反対だ。干潟を潰さず、絶対に守っていきたい。みなさん、どうだ」
「大臣のお考えに賛成です」
賛同の声が相次ぎ、庁内は一丸となって結束した。
真鍋大臣は、正規の手続きの前に打開策を図れ、運輸省から公有水面埋め立て法に基づき、意見を求められてから反対と言っても、受け入れられる確証はない。先にしかけろと。もう1つは、専門家を集めて検討し、名古屋市と愛知県に意見を言えるだけの裏付けをとっておけと。幹部たちは心得たもので、すでにその方針に基づき、準備を進めていた。
藤前干潟保護のために尽力をつくした真鍋賢二元環境大臣
杉本裕明氏撮影 転載禁止
そのころ、真鍋大臣のもとに、大木浩前大臣が訪ねてきたことがあった。大木氏は「自然との共生」を語った。真鍋大臣も、「私の地元の香川県も豊島の巨大不法投棄事件を抱え、ごみ問題の重要性はよく知っています」と応じた。だが、大木氏の来訪の真意はそこにはなかった。真鍋大臣に、名古屋市の藤前干潟埋め立てを容認してほしいと頼み込むことにあった。それがわかると、真鍋大臣は、突き放すように言った。
「大木さん。地元にはいろいろあるでしょうが、私は環境庁の立場を尊重し、思う存分やるつもりです」
真鍋氏は、こう振り返る。
「地元に言われて来たのだろうが、そんな頼みを受けるわけにはいかなかった」
運輸省の川崎二郎大臣は、真鍋大臣と同じ宏池会で仲がよかった。そこで、川崎大臣に、一緒になって干潟を守ろうと呼びかけた。 運輸省は、公有水面埋め立ての審査庁である。真鍋大臣の話を聞き、その熱意が川崎大臣の心を動かした。理解者だとばかり思いこんでいた名古屋市は、後に大きなショックを受けることになる。
ゼロエミの議員懇談会の発足
いったん流れた河村代議士発案の議員の会だったが、11月になってようやく20人を集め、超党派で「ゼロエミッション社会を目指す議員懇談会」が発足した。会長は、元環境大臣の愛知和男氏。自民党の環境部会長の鈴木恒夫氏ら環境族が陣取った。いったん現地視察を断念せざるを得なかった。衆議院の環境部会の議員らが10月に、現地を視察し、じわじわと藤前干潟保護の包囲網ができあがっていく。
それを見て、地元の市議会が崩れだした。まず公明党が埋め立て賛成から反対に転じた。これは、東京の大野由利子代議士ら環境族が地元の説得に動き、さらに婦人部が「公明は環境の党と言っているのに、埋め立てに賛成するとは何事だ」と、抗議の声が高まり、抗しきれなくなったからだ。公明が転じると、自民が崩れだし、埋め立てに固執する民主が孤立していった。
稲永ビジターセンターの隣に、名古屋市の野鳥観察館がある
杉本裕明氏撮影 転載禁止
しかし、名古屋市は埋め立て強行の立場を崩さず、人口干潟の造成計画造りを進めた。検討委員会をつくり、実務は環境アセスメントを行った会社が担っていた。この干潟改造計画ともいうべき人口干潟の整備計画は、8月に名古屋市がまとめた環境影響評価書に添えられた9ページの冊子に概要が示されていた。環境庁の環境影響審査室の小林正明室長、内藤克彦補佐らがこれに見入っていた。干潟の南部に人口干潟を造成し、さらに既存干潟の嵩上げを行うとしていた。
「この無茶な計画は何なんだ」
「まさに干潟破壊計画だ」
「犯罪的行為だ」
縦覧された評価書を見ていた藤前干潟を守る会代表の辻敦夫さんも、同じころ、その冊子を見つけて驚いた。
「大変だ」
翌朝、全国の自然保護団体にメールで発信した。
「夜中に寒いくらいの風も吹いて、すがすがしい朝なのに、自分の心にわきあがる怒りと焦りを抑えきれないでいます。『整備計画』には、土木工事のようなものがあり、私たちには一見して新たな干潟の破壊になるとしか見えないものがあった。この埋め立てで失われる干潟の機能は95%回復すると書かれているが、それは単に埋め立て計画地内の0メートル以上の面積と等しいものを造って、干出時間を同じにしただけということだけの、まさしく土木的な発想でしか考えられないものだった。150年以上も同じこの地形のこの地、古い木曽川の河口部に、千鳥潟の名で存在し、命を育んできた藤前干潟をごみで埋め殺す害悪、犯罪的行為には一切目をつぶり、その代償として、さらに新たな殺戮を(たぶん、そうなるとは考えもせずに)平気で計画しているのだ」
2002年ラムサールCOP8バレンシア会議の際のサイドイベントで発言する藤前干潟を守る会代表の辻敦夫さん
藤前干潟を守る会提供 転載禁止
市の検討会には土木関係の専門家はいたが、干潟や底生生物の専門家はいなかった。
「おれは運の悪い男だ」と名古屋市長
夏の終わり。名古屋市役所で、河村代議士は、松原武久名古屋市長に向かい合っていた。河村代議士は、ごみ減量の試案を示した。
松原市長が言った。
「(ごみ減量は)思っているんだけど、おれは運の悪い男だ」
河村代議士が言った。
「いや、運がいいと思わないといけない。藤前問題でもない限り、ごみでこうしろと市民に言えない。しかし、藤前干潟を守るためなら市民に求められる。非常事態宣言を出してやりなさい」
市長が首を振った。
「それはできない。おれは運が悪い男だ」
中学校の教員から、教育委員会事務局畑を歩き、教育庁に上り詰めた。市議会からコントロールしやすい人物として担がれ、1年前に市長に就任したばかりだった。11月8日、地元の主要新聞に全面広告が出た。
「名古屋港西1区(藤前干潟)埋立事業についてご理解ください」
こんなタイトルで、「埋めたてるのは周辺干潟の12%です」「鳥のえさ場として、利用できる時間が限られている場所なのです」などと説明していた。
「環境への影響は明らか」と認めた市長意見から、準備書が出た時点に逆戻りしているのだった。
環境庁と名古屋市の裏交渉も不調に
当時の状況を河村代議士が語る。
「愛知さんが乗ってくれて、会長になりました。日本の政治は、(個人より政党を重視する)団体戦になるから、トップをくどかないかん。大村さんも頑張った。やったら除名だと言われていた。よう頑張った。運輸省の川崎二郎大臣が頑張ったのも大きかった。河村、大丈夫かと言ってくれました」
藤前活動センター
杉本裕明氏撮影 転載禁止
「新進党がなくなり、民主党は『河村を入れない』となっていました。僕は(古紙屋という)零細企業だから強い。(多くの議員は)議員を切られると困るから、(これまでの態度を)ころっと変わる。私は零細企業があったから変わらなかった。橋を渡るというのは、どえらい大変です。みんな『集団的自衛権』で右にならえとなるんですから。古紙業者にも『リサイクルするしかない。業界的にはプラスになる』と言いましたが、『役人は強い。河村さん、市の方針に逆らったらマイナスが降りかかる』と言われ、困りました」
「そのなかで、大村さんもようがんばっだ。市会議員さんが埋め立て反対になってくれればいいと思ってアプローチしたが全然だった。そして、川崎二郎さんの存在が大きかった。環境大臣の真鍋さん、自民党環境部会長の鈴木恒夫さん。自民党的にどこかで、干潟保護を決断したんでしょう。一方、地元の議員や市役所の職員は、東京まできて、河村はまちがっていると、説明会まで開きました。僕は、河村事務所の『夢まけるものか』を市民に配って訴えました」
「そのころ、こんなことが。環境庁の小島企画調整課長から、『名古屋市の幹部としゃべたことがない』というので、市の2、3人と会う段取りをつけたことがありました。新橋でした。小島課長は『環境庁は、公有水面埋め立て法で意見を述べるが、名古屋の顔は立てますと。大英断でやる』と、提案していました」
衆議院環境委員会が視察とヒアリング実施
衆議院環境委員会の委員ら10人が10月30日、藤前干潟を視察した。国政調査権に基づくもので、自民、民主、自由、共産など各会派の委員が参加した。午前11時すぎに現地に到着した委員らは、名古屋市環境事業局の幹部らの説明を受けながら、藤前干潟を見た。この日の干潮は午前7時10分と午後8時で、視察した時間帯は、干潟が水面下に隠れている。その後、新南陽焼却工場の会議室で、関係者からのヒアリングが行われた。鈴木恒夫自民党環境部会長が、口を開いた。
「今回の派遣は、今後、埋め立て審査に環境庁も関わることから、現場を見ておく必要があると考えたので行った。率直な気持ちで調査したい」
愛知県・山下次樹環境部長「万博は環境問題をテーマにしている。万博を成功させることに責任感を持っている。だからこそ、代償措置が成功し、自然との共生を確実なものとし、成功例にしてもらいたいと考えている」
名古屋市・鈴木勝久環境事業局長「藤前を含む河口区域は、渡り鳥の渡来地として重要だと考えている。一方、ごみ行政も重要。その中で、当初計画の105ヘクタールを46.5ヘクタールに縮小したことは、自然環境とごみ行政のぎりぎりの選択であったことをご理解いただきたい。代替地については100%近く難しい」
世界自然保護基金日本委員会(WWFーJ)花輪伸一自然保護室次長「来年6月にはアセス法が施行される。その考え方は、代替案などを検討するのが最初、回避、低減を考えてから、影響がある場合に、代償措置を考えるべきだ」
辻敦夫・藤前干潟を守る会代表「人工干潟と嵩上げによって95%の干出し時間があるから、干潟機能が残るとするのは、土木的発想。生物学者の検討が必要だ。干潟を埋めたら元に戻らないのだから、事業を行いながら考えるではダメだ」
藤前干潟協議会の様子。奥で指さしているのが辻敦夫さん
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小林守民主党代議士「貴重な干潟を守るために、代替地を探してほしい。県は市からの代替地確保の要請に応える用意はあるか。NGOに対して、市民のごみ問題に対する意識はどうか」
山下部長「一般廃棄物の処理は市町村の責任で解決すべきだが、万策がつき、他の市町村との相談がうまくいかなくなった場合に、調整の要請があれば、その議論に応じる考えだ。しかし、排出抑制の努力や処分場確保の努力の姿勢が見えなければ、受け入れ市町村の理解は得られない」
鈴木局長「名古屋港内の市町は、働きかけると強い拒否反応がある」
辻代表「1984年ごろは、反対していると、おまえもごみを出すのにと言われた。名古屋市民はごみに対する取り組みは遅れている。これからは藤前を守るためにごみを減らそういう決意が必要だ。藤前を埋めてとなれば、市民の意識も下がる」
田端正広代議士「ごみ問題に対しては、県を束ね、数件の広域にわたる協力が必要だ。県は、さきほど、ごみは市町村の問題と言ったが、市町村単位では限界がある。県の懐の大きいところを示してほしい」
山下部長「市町村の問題といったのは法の建前上の話。県内を束ねるためには、共通の条件、つまり、みんな一生懸命努力し、次に埋める見通しが立たないということが必要だ」
武山百合子代議士「いまさら変えられないという発想は古い。計画を変えられないとするなら、一般の公共事業と同じ。発想の転換が必要だ」
鈴木局長「代替地については先生の強いご意見をおうかがいしておきたい」
名古屋市の干潟埋めたての意志は強く、どこまでいっても平行線だった。しかし、一行の中で、埋め立てを容認した議員は一人もいなかった。一行は、その後、代替地として候補にあがっている南5区の廃棄物埋め立て地など3カ所を見て回り、干潟埋め立て反対の意志を高めることになった。
干潟改造計画を批判する報告書づくりに着手
新橋であった環境庁と名古屋市幹部の懇談は、埋め立てを断念すれば、環境庁がその後の解決のために尽力を尽くすという提案だったのだが、それが不調に終わると、環境庁は、名古屋市の干潟改造計画を否定する意見書の作成を急いだ。その専門家らによる検討会の議事録を環境影響審査室の内藤克明室長補佐が報告書にまとめていく。
藤前干潟を守る会のイベントには多数の子どもたちが参加する
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それを自然保護担当の自然保護局の担当者に見せた。 だが、怖がって必要最低限の事実関係の修正しかしない。次に審査室の上司の小林正明室長に見せた。大木大臣の時、厳しいことを提案する室長を、大木長官が大臣室への出入りを禁止にしたこともあった。しかし、真鍋長官に代わり、大臣室に自由に出入りし、真鍋大臣の懐刀のような存在になっていた。室長が、さらさらと筆を入れるのを、内藤補佐が見守った。「室長は力が入っていて、私が少し控えめに書いたところを、強めに書き換えてしまった」
報告書は、検討会の了解を得たあと、真鍋大臣が了承し、あとは、どのタイミングで、これを名古屋市に示すかに移った。12月に入り、名古屋で開催された埋め立て反対集会に、自然保護局の小林光企画調整課長が聴衆にまぎれて参加していた。小林課長は、局長はじめ、腰が引けていた自然保護局の中で、主戦論を訴えていた希有な存在だった。会場に、小林課長がいるのを見つけた司会者が壇上から、意見を求めた。
小林課長は、「(名古屋市の人口干潟は)考慮に値しない。名古屋市は物わかりが悪い」と、明確に市を批判した。それが翌朝の新聞にでかでかと出た。これを知った地元自民党の代議士らが、議員会館に環境庁の幹部を呼びつけ、「これはどういうことなんだ」とすごんだ。それを真鍋大臣と、太田義武官房長がなだめて治めたが、政治の世界ではすでに決着がついていた。自民党は、埋め立て推進の声に耳を貸そうとしなかったのである。
その3日後には、超党派の「ゼロエミッション社会を目指す議員懇談会」の勉強会が議員会館で開催された。自民党環境部会長の鈴木恒夫代議士が、小林課長の意思表明を高く評価し、環境庁を応援すれば、事務局長の河村たかし代議士も「年内にも(リサイクルなどの方策を)名古屋市に提案したい」と発言する。自然保護団体とごみ問題の市民団体が同席し、そのやりとりに耳を傾ける。政治と市民運動とが一体となって、藤前干潟に向き合っていた。
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