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そして、藤前干潟は守られた インサイドストーリー⑤

目の前に藤前干潟が広がる
杉本裕明氏撮影 転載禁止

愛知県選出の河村たかし代議士は、環境庁(現環境省)幹部の要請を受けて、藤前干潟保全のために動き始めました。議員仲間を募り、政治の力で埋め立てを阻止しようとしますが、危機感を持った名古屋市はそれに対抗し、地元議員らを応援団にして、河村代議士と環境庁批判を展開します。

ジャーナリスト 杉本裕明

目次

河村代議士、ゼロエミッション案を提示

河村代議士は、小島課長の要請を受け入れ、活動を始めていた。市長は、藤前フォーラムでこう語った。

「公有水面埋め立て法があって、最後に環境大臣が意見を述べるところがある。しかし、最後ではいかんというもんで、あのとき、新進党がつぶれたころだった。私は自民党に来てくれと言われたが、辻さんは大功労者。銅像建てないかん。最初は鳥のこといわれて、私からみて。はじめは変なこと言う人がいるとおもった。干潟に鳥がきてなんだとなっていた。でも、それを貫かれました」

「新進党にいて、しばらくして分裂し、無所属になっていました。その状況で最後まで闘おうとなりました。小島さんからは、『自民党をくどいてほしい』と言われてね。僕は、名古屋市から出る年間100万トンのごみをどうするかを考え、構成してやりました。(提案した内容について、市は)『河村が言っていることはうそだ』と言って回りました。当時は、埋め立てに反対するのは共産党だけでした。あとはみな、賛成していました。そういう賛成した人たちが、東京に集まって会合をやり、河村の言っていることはうそだと言ったのです」

環境庁とスクラムを組むことになった河村代議士の名古屋と東京の事務所は、藤前干潟保全のための情報収集と、各方面への働きかけで、大忙しとなっていた。8月、河村代議士は、名古屋市ゴミゼロエミッションを公表した。

徹底した分別回収をもとに、次の6つの政策で、2000年度中にごみを84%減量し、2005年の愛知万博(万国博覧会)開催と同時にゴミゼロを実現するとし次のような提案をしていた。

  1. 名古屋市ゴミ非常事態宣言の発表
  2. 半透明袋の採用、徹底した5分別回収(可燃・不燃・資源・粗大・危険の5種)
  3. 1世帯に1台、生ごみ処理機を給付し、生ごみの徹底した減量を図る
  4. ごみ減、埋め立て施設を造らないことによる節税分をリサイクルコスト(学区団体、民間リサイクル業者へのごみ減協力給付金)に充てる
  5. 学区コミュニティー(子ども会、老人会、婦人会など)と、民間リサイクル業者を中心としたゼロエミッション活動(ゴミゼロ運動)
  6. エコ教育の徹底

そして、10月から分別収集を行い、その年度のごみ量を10%減にする。順次、減量を進めることで、2001年度の埋め立て量は44万3,000トンになり、その数字で推移すれば、名古屋市が、岐阜県多治見市に持っている埋め立て処分場を2011年まで使用することができるとしていた。さらに、

  • リサイクルの手法として、紙・繊維類 瓶・缶・プラスチック類を集団回収し、70~95%リサイクルに回す。このための費用は、廃棄物処理の費用としてキロ50円かかっている一部を充てる。
  • 生ごみの大量排出者や公共施設は、コンポスト化を義務づけ、コンポストは木曽岬干拓地に、44.4ヘクタールの大市民農園を建設し、肥料として使う。
  • 粗大ごみは、リサイクル窓口を設け、業者に払い下げるか、修理して展示即売会を行う。
  • 草木は、コンポスト化、土砂・がれきは、一般廃棄物処分場への搬入を制限する。

などとしていた。

「混ぜればごみ 分ければ資源」の実行

現在から見れば、どれもなるほどと思える施策であり、その後、藤前干潟の埋め立てを断念した名古屋市が非常事態宣言を発し、分別の数を増やし、事業系一般廃棄物の紙ごみの焼却施設への持ち込みを禁止したのは、この河村代議士のゼロエミッション案を、事実上、受け入れて行ったものと言ってもよい。


どろんこになってこどもたち干潟が跳ね回る
藤前干潟を守る会提供 転載禁止

また、河村代議士は、松原市長に代わって、名古屋市長になると、この残った課題について実践し始めるのである。しかし、当時、これを見た名古屋市の幹部たちは、「そんなことができるわけない」と一蹴(いっしゅう)し、2分別に固執した。「混ぜればごみ、分ければ資源」という有名な言葉がある。1975年に多分別収集を全国で最初に導入した静岡県沼津市の井出俊彦市長の言葉だ。

「沼津方式」と言われた多分別収集とリサイクルの動きは次第に他の自治体に広がっていくが、名古屋市は相も変わらず、2分別収集のままだった。これで、ごみが減るわけがなかった。河村市長が振り返る。

「ゴミゼロエミッション案をつくったのです。多治見市に埋め立て地があるが、『すぐに満杯になる』と、名古屋市は言っているが、調べるとそれもウソだとわかりました。数量を余分にカウントしていた。そんなころ、たまたま、新幹線で大村秀章さんと会いました。あの時は仲がよかった。『どうだい。藤前干潟は埋めんでもええぞ』と言うと、『ほんとか』。『でも、自民党がそんなことできるわけないがや』『いやいや』という話になり、(藤前干潟埋め立てをやめさせるために)ちゃんとやってもいいとなりました」

大村代議士も協力へ

大村代議士は、元農水官僚で愛知県選出の衆議院議員。95年に地元西三河地方の安城市長からの強い要請で、立候補し、初当選してまだ2年もたっていなかった。だが、河村代議士は、自分と同じ、若さを買って、話を持ちかけ、大村代議士も一緒に動くことになる。


藤前活動センター(名古屋市港区)。環境省が所有し、管理・運営は藤前干潟を守る会
杉本裕明氏撮影 転載禁止

7月には、地元名古屋市で、名東区の主婦らが中心となって市民団体「ゼロエミなごやの会」が立ち上がった。翌月、名古屋市役所を訪ね、鈴木勝久環境事業局長と面会した。

地区で自主的に取り組んでいる缶や瓶の回収活動を紹介し、「分別を徹底すれば、藤前埋め立ては必要ないのではないか。市は子ども会などの廃品回収に補助金を出しているが、古紙などの有価物だけでなく、対象を広げてほしい」と訴えた。

鈴木局長は「提言は受け止めたい」と答えたが、さらに「ごみを4分の1に減らせば、干潟は保存できる」との意見には、「そこまではちょっと、いっきには無理」と否定した。この申し入れには、会の顧問になった河村代議士も同席し、「干潟の問題はリサイクル社会をつくりあげる最大のチャンスだ」と発言した。この申し入れには、公明党の山本保参議院議員も同席し、「ダイオキシン問題もあり、燃やすことが時代遅れになっている」と、市の「燃やして埋める」ごみ処理を批判した(1998年8月4日付朝刊、中日新聞、朝日新聞)。

藤前主戦論で固まった環境庁

環境庁内では、小島企画調整課長が、河村代議士に、干潟反対で協力を求めた少し前の段階では、藤前干潟で勝負するか、それとも、三番瀬干潟で勝負するかで、意見が割れていた。

三番瀬では、藤前と違い、すでに環境庁が、90年代初めから自民党議員らに働きかけ、理解を示す議員を数多く確保し、闘っても有利に持ち込めるという利点があった。しかし、諫早に続き藤前も、環境影響は軽微として認めてしまうと、三番瀬のときに、埋め立てを止める立論を行うことが難しくなる。

先の官僚は、「環境行政として諫早に続き、藤前も通すと、三番瀬では勝ち目がなく、全敗になる可能性がある」と、藤前終戦論を唱え、環境庁が積極的に藤前干潟の価値についての見解を公表することを主張した。

それが採用された。これまでは、アセスの手続きを守り、最後の大臣意見まで一言も発しないことが多かったが、早い段階で、環境庁の意志を発することで、事業を行う側も、流動的で計画変更につながりやすいと考えたのである。この官僚の進言によって、環境影響審査室に専門家による検討会を設置することが決まり、さらに藤前干潟に代わる処分場の代替地の検討が始まった。

このころ、名古屋市も検討会を設置し、干潟に詳しい研究者を集め、環境庁に対応する準備を進めようとしていた。しかし、環境庁の官僚たちは、それを察知すると、干潟の主立った研究者たちを回り、同庁の検討会の委員に就任してもらった。それによって、名古屋市は、実力のある干潟の研究者を確保できずに終わったのである。

名古屋市が、河村批判文書をばらまく

河村たかし代議士が自民党や地元議員らへの働きかけをすると、こんな文書が永田町の議員会館に出回った。「ごみ減量施策に関する河村たかし国会議員の主な意見」と題するA4版、6枚の文書。出所先は不明だが、名古屋市の環境事業局が書いたものだった。

「一般ごみには事業系ごみが大量に混ざる。集団回収の補助制度や生ごみ処理機の補助を市が行うのは、事業系ごみの事故処理責任の原則に反する」「事業系の紙ごみをどうするか、解決策を示していない」「生ごみ乾燥機による堆肥は品質が保証されないし、電気代などは誰が負担するのか」「粗大ごみのリサイクルをどうするのか不明で、市には回収・リサイクルのシステムはない」と、ことごとくけなしていた。


藤前活動センターの内部。藤前干潟のことがわかる
杉本裕明氏撮影 転載禁止

そして、「以上のような根拠の不明確なリサイクルにより西1区(藤前干潟)処分場が必要ないという主張は、ごみ処理の責任を負う行政の立場として、とうてい受け入れ難い」と主張していた。現在の名古屋市は、これらの項目をすべて導入していることからも、この反論書にはもともと無理があり、否定のための否定だったことがわかる。

それでも、地元の自民党では、名古屋市の性急な行動に批判の目を向ける代議士が幾人もいた。例えば、愛知県連会長で自民党環境基本問題調査会会長の村田敬次郎代議士や、元環境部会長の杉浦正健代議士がそうだった。

杉浦代議士は、98年3月の衆議院環境委員会で、大木大臣に対し、「(計画中の伊勢湾の)中部国際空港の周りに、地域開発用地の計画がある。その地域の一部を廃棄物処分場に処理できないか」と代替案を提案している。これは環境庁が愛知県に提案した代替案の1つで、同庁は、これとともに愛知県知多市の名古屋南5区の埋め立て予定地の活用を提案していた。愛知県出身の岡田康彦企画調整局長が精力的に地元選出議員や愛知県庁への説得に動いていた。

民主党内の亀裂

河村代議士の動きに触発されて、民主党の佐藤謙一郎代議士、小林守代議士、岡崎トミ子参議院議員ら環境派の議員たちが動き出した。「まず、埋め立て反対派と名古屋市の意見を聞こう」となり、9月、環境部会に、反対派の大学教授と、名古屋市の担当者を呼んだ。

学者の話が終わり、部屋を出ると、名古屋市の一行が入ってきた。だが、先頭には、赤松広隆代議士、佐藤泰介県議委員議員がおり、続いて、名古屋市議会の民主党あいちの幹事長、久野浩平市議、その後に、市役所の鈴木環境事業局長、山口守彦理事らが入ってきた。赤松代議士が切り出した。

「ぜひ、話を聞いてほしいと、市から話があった」
それを受けて、久野市議が話を始めた。久野市議は、赤松代議士の父親の秘書をしたことがある。
「昭和34年の伊勢湾台風までは干潟がなかった。土砂が流れて、それが干潟になった。一番汚いところにはゴカイが棲(す)みやすい。私はよくパチンコの話をすんだが、あそこのパチンコはよく玉が出ると聞くと、そこに集まる鳥もいい餌があると、よってきたのではないか。しかし、(パチンコ店のように)また別の干潟があるとなれば、そっちへ行くんだ」

干潟をパチンコ店になぞらえる、元教員の久野市議の話に、小林代議士らは耳を疑った。
「干潟とパチンコ店を一緒にするとは」
続いて、山口理事が、代替地はどこにもないと言って、説明した。

「(環境庁が代替地と示した)南5区は産業廃棄物の埋め立て処分場。名古屋市のごみを入れたらすぐに埋まってしまいます。タイミングが悪いことに、97年度から(空き地だった)西5区はゴルフ場の整備にかかりました。(藤前干潟の埋め立ては)ぜひ、やらせていただきたい」


藤前活動センター内のパネル展示物
杉本裕明氏撮影 転載禁止

西5区は、長年、名古屋市が、使い道なく放置してきた埋め立て地だが、辻さんらが、「ここを代替地に」と運動を始めた途端、市がハーフゴルフ場の整備にかかったいわくつきの土地だった。南5区は、計画通り、産廃の埋め立て処分場になったが、産廃が集まらず、その後、周辺自治体の一般廃棄物の搬入を受け入れることになる、これもいわくつきの土地である。市は代替地を検討し、ダメだったと言い張ったが、代替地を検討した形跡はみじんもなかった。最後に、赤松代議士が言った。

「議会が終わってから、現地を)見にきてほしい。12月議会で、市は態度を決めるので、いま、来てもらってはおかしくなるので困る。今度来る時には、新しい干潟も造るので、きちっとみてほしい」

その翌日、民主党愛知代表の佐藤泰介議員と安井市議の連盟で、視察の延期を求める文書が佐藤謙一郎環境部会長宛に届いた。結局、その圧力に負け、環境部会は視察を延期することになった。地元選出議員らが視察を嫌う理由は、公有水面埋め立ての申請に市議会の同意が必要で、10月の市議会で採決が行われる予定になっているからだった。波風を立てるな、という、警告だった。

NGOの結集と、議員協議会の設立の動き

9月、名古屋市の国際センターで、環境NGO主催の「藤前干潟で遊び、自然保護とゴミ問題を考える集い」があった。主催は、日本環境財団、日本野鳥の会、世界自然保護基金日本委員会(WWFーJ)、日本自然保護協会、あいちゴミ仲間ネットワーク会議、日本リサイクル運動市民の会。自然保護のNGOとごみ問題のNGOが、日本で初めて手を組んだ画期的な集会だった。

集会には、ラムサール条約の前条約事務局長のダニエル・ネービッド氏も招かれ、「オーストラリアからシベリアまで渡る鳥の中継地として重要だ。保護できるか、世界が注目している」と挨拶(あいさつ)した。会場には、河村たかし代議士、大村秀章代議士、岡崎トミ子参議院議員、中村敦夫参議院議員、大脇雅子参議院委員も出席した。ホールは300人の市民で埋まり、
中村敦夫議員は「市は別の解決策を探さねばならない」と訴えた。

実は、河村代議士が中心となって、この場で、埋め立て計画の再考を求める議員協議会の設立を発表しようとしていた。すでに20人の賛同を得ていたが、直前になって、地元議員から「リストから外してほしい」との連絡が相次ぎ、先延ばしにせざるを得なくなった。リストを事前に愛知県環境部が手に入れ、名古屋市に連絡したらしかった。そこから、設立集会に出ないようにとの依頼が議員事務所に相次いだという。

それでも、超党派でつくる「諫早湾干潟を考える議員の会」が、藤前干潟にも取り組む意志を表明したり、諫早湾問題に取り組んできた山下弘文さんが率いる日本湿地ネットワークや処分場問題に取り組む廃棄物処分場問題全国ネットワークが共同で、東京で集会を持ち、藤前干潟はローカルな環境問題から、全国的な問題になっていった。マスコミは、全国版で大きく報道し、国民の関心が高まっていった。


日本湿地ネットワーク代表の山下弘文さん。諫早湾干潟の保護のために命を捧げた
杉本裕明氏撮影 転載禁止

これに対抗すべく、名古屋市は、東京事務所に担当者らを張り付け、埋め立て賛成派の議員らとともに、議員会館を回って、説得活動を展開した。対して環境庁の幹部や河村代議士らも議員会館を回って牽制した。永田町の議員会館は、一大決戦を迎えた戦場の様相を示すに至ったのである。

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この記事を書いた人

朝日新聞記者を経て、フリージャーナリスト。廃棄物、自然保護、地球環境、公害など、環境の各分野に精通する。著書に『ルポ にっぽんのごみ』(岩波書店)『ディーゼル車に未来はあるかー排ガス偽装とPM2・5の脅威』(同、共著)、『環境省の大罪』(PHP研究所)、『赤い土(フェロシルト) なぜ企業犯罪は繰り返されたのか』(風媒社)、『社会を変えた情報公開―ドキュメント・市民オンブズマン』(花伝社)など多数。NPO法人未来舎代表理事として、政策提言や講演会などをしている。

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