最近、「~~3.0」といった言葉をよく目にするようになりました。例えば、「web3.0」、「モチベーション3.0」、「投資3.0」などです。これらは「Ver.3.0」を意味し、前段階の1.0、2.0を経て3.0に発展していくという概念です。ここで、日本におけるリユースについても「3.0」を考えてみたいと思います。
リユース1.0
太古よりリユース自体は行われていると思いますが、それを言い出すときりがないので、ここでは大手チェーンが台頭し「リサイクルショップ」という概念が広がった1990年代の状況を1.0とします。この時期、ブックオフやハードオフなど大手チェーン店が産声を上げ、一気に全国展開をしていきました。それによって「リサイクルショップ」という概念が一般的になりました。特にブックオフの知名度は抜群で、ブックオフ、と聞いて何のお店か知らない人はほぼいない程になりました。それだけリユースが一般的になってきたということであり、この段階を「リユース1.0」とします。
リユース2.0
2010年代中頃、若者を中心にメルカリなどのフリマアプリがブームとなり、今ではメルカリだけでも月間2,000万人を超えるユーザー数に達しています。スマホの普及が大きな要因の一つですが、これによってリユースの裾野が一気に広がりました。この段階が「リユース2.0」です。
リユース2.0の特徴は、必ずしも金銭的報酬だけが目的ではないということです。これについては、以前に書いた記事で紹介していますが、フリマアプリで販売する目的のトップは「捨てるのがもったいないから」です。
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日本におけるリユースの現在地はここ、リユース2.0です。それでは3.0とはどのようなものなのでしょうか。私なりに考えてみたいと思います。
リユース3.0
リユース1.0から2.0に至る変化の方向性は様々ではありますが、1つの重要なポイントとしては裾野が広がる、すなわちユーザー層の広がりという点が挙げられます。この観点からリユース3.0を考えてみたいと思います。
スマホの普及はリユースに対するハードルをぐっと引き下げました。スマホによって、誰でも気軽にリユースできるようになったということです。この気軽という点がポイントで、より気軽に誰でもリユースできる技術や仕組みが社会に実装されれば、さらに裾野が広がることになります。
例えば、飲料水であれば、自動販売機やコンビニは基本的にはどこにでもあり、飲料水を飲もうと思えば大抵苦なく探すことができます。これと同じように、リユースを行う物理的な場所が至るところに確保されれば、より気軽にリユースできるようになるということです。
また、私たち日本人は通常、ゴミの分別のルールに従ってごみ出しを行っていますが、これは社会の中で生活している者として「当たり前」の行為として捉えています。つまり心理的ハードルが低いということです。これと同じように、リユースすることが「当たり前」になる段階こそ、私の考える「リユース3.0」です。なお、この段階に至るためには、IT等の技術活用も欠かせない要素となるでしょう。
先のメルカリ社の調べによると、日本の家庭に眠るかくれ資産は推計で約44兆円もあるそうです。
リユース3.0の社会が実現すれば、これらの退蔵されている資産も限りなく有効活用されるようになるでしょう。
参考:株式会社メルカリ 「2021年版 日本の家庭に眠る“かくれ資産”調査」 国民一人あたり“かくれ資産”は平均約34.5万円
松下幸之助「水道哲学」
経営の神様・松下幸之助は昭和七年、松下電器製作所の第一回創業記念式で次のような所信を表明しました。
“産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、乞食が公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵にたらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る。”
商品をたくさん生産することによって商品の価格を下げ、結果として皆を豊かにすることが産業人の使命であるという思想です。この所信をその場で聴いた従業員は、皆、感極まり、この事業に一身を捧げる決意をしたと言われています。
この「水道哲学」に対し、「このような考え方が大量生産・大量消費社会を助長し、今の深刻な環境問題を引き起こす原因となった」と批判する人も一部にいるようですが、私はそうは思いません。まだ貧乏で技術も何もなかったこの時代、人々が豊かになるためにはこの方法しかなく、この思想は間違いなく正しかったし、この思想があったからこそ日本は豊かになったのだと思います。時代や状況が変われば、正しいとされる思想もまた変わります。当時の時代背景、価値観に思いを馳せずして、自らの狭量な価値観のみをもって分別臭く批判することほど意味のないことはありません。批判する前に自らの思想を発するべきです。
そこで、松下「水道哲学」からインスパイアされた格好で、誠に畏れ多いことではありますが、私なりの静脈産業人の使命たる「シン・水道哲学」を表明してみたいと思います。
“静脈産業人の使命は人類の永続的な発展である。その為には、限りある物資の効率活用と循環を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、勝手に公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない。それは限りある水が地球の恵みたる水循環と人類の叡智たる上下水道システムによって絶えることなく再生産され続け、蛇口を捻れば永遠に尽きる事なきが如く出続けるからである。静脈産業人の使命も、水道の水の如く、限りある物資を限界まで効率活用し徹底的に循環させ、限りなき再生産システムを実現する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、世界を持続可能な社会たらしめ、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。静脈業界の真使命も亦その点に在る。”
これはちょっとした戯れですが、大事なのはリユース業界、そして広くは静脈産業に関わる業界全体で、松下水道哲学のような確固たる思想を持ち、社会からの共感を得ることです。それさえできれば、リユースが当たり前に行われる社会、「リユース3.0」の実現も夢ではありません。
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