岐阜県多治見市の大畑センターにある管理型処分場は、まるで倉庫のようだ
杉本裕明氏撮影 転載禁止
岐阜県東濃地域の拠点都市である多治見市は、陶磁器の多治見焼きで有名です。その市内の山林を切り開いた一角に大きな倉庫のような建物が見えます。実は、家庭ごみの埋め立て処分場なのです。野外で穴に廃棄物を積み上げていくのが一般的ですが、ここは屋根のあるクローズド型処分場と呼ばれ、10年ほど前から幾つかの自治体で導入が始まりました。多治見市では住民の知らないところで、埋め立て処分場の建設計画が決まったことに、住民らが猛反発し、住民紛争に発展しました。困った市は、住民に信頼された専門家を選び、委員会を立ち上げ、傍聴する住民も意見を言える仕組みにしました。こうして立地と計画が決まり、2010年に供用が開始されました。処分場を訪ね、住民紛争をどう乗り越えたのか、耳を澄ませてみました。
ジャーナリスト 杉本裕明
目次
山の中に見えた処分場はまるで倉庫だった
多治見市の南の大畑地区は鬱蒼とした森林が広がる。その一角を切り開いた平地に大畑センターがある。事務所の職員が応対してくれた。「ここは安定型処分場と、瓶、ペットボトルなどの選別をしていますが、クローズド型の管理型処分場は、ここから少し道を登ったところにあります」。
事務所から約200メートル坂道を登ると、大きな建物が見えた。全長142メートル、幅30メートル、高さ10メートルあり、大きな倉庫のようだ。窓と入り口のドアは閉まり、外から中をうかがうことはできない。屋根には太陽光パネルが張り付けられている。
管理型処分場は、山の中にひっそりとあった
杉本裕明氏撮影 転載禁止
事務所の説明とパンフレットによると、同じ多治見市の三の倉センター(ごみ焼却場)で焼却した後に出る飛灰(排ガスとして大気中に排出される前にバグフィルターなどで捕集されたもので、成分は主に亜鉛と鉛などの重金属)に薬品とセメントを加えて固化したものを専用に埋め立てる施設で、この建物の地下に埋め立てているという。
屋根があるので、雨水が地下に浸透せず、より安全
埋め立て場所に屋根をつけ、雨水がしみ込むことがないので、野外に設置された管理型処分場にある水処理施設はない。地下の砕石層の上に遮水シート、合成不織布、アスファルト舗装、鋼板舗装などを行い、さらに保護盛土をした上に、飛灰を積み上げる。
通常の最終処分場に使われるゴム製の遮水シートと違い、こちらは鋼板を敷いているので、紫外線で劣化し、穴があいたりして土壌が汚染される心配がほとんどない。仮に穴があいてもその下に水を通さないSMA舗装をしてあり、地下への浸透を防ぐことができるという。
鋼板に穴があき、水が漏れた時に備えて漏水を検知するシステムも導入されるなど、二重、三重の対策が講じられている。この施設の建設に18億2000万円が投じられた。
管大畑センターには管理型処分場のほか、コンクリートがらなどを埋め立てる安定型処分場もあった
岐阜県多治見市提供 転載禁止
この管理型処分場には2021年度に1,329トンの飛灰が埋め立てられた。隣の安定型処分場にはコンクリートブロック、レンガ、陶磁器など約1,070トンが埋め立てられているが、こちらでは、重機が動き、廃棄物を埋める作業を行い、なるほど処分場だとわかるのに対し、管理型処分場の方は、埋め立て処分場だとはとてもわからない。
管理型処分場の内部はこうなっている
多治見市のパンフレットから 転載禁止
住民の一人は「この構造になるまでには長い経緯があります。処分場の立地と建設をめぐり、紛争が起こり、ずいぶんもめました。でも住民も処分場の立地と建設計画に参加した結果、この形になりました」と語る。
住民の知らないうちに処分場の立地が決まる
ごみ処理施設は昔もいまも嫌われ者の迷惑施設だ。しかし、市民が出す廃棄物は、どんなにリサイクルしても廃棄物は残り、それをどこかで処理・処分せねばならない。ごみ処理の必要性については理解できても、自分の住む地域に来ることには抵抗感を持つ市民は多い。これを「ニンビー」(NIMBY Not in My Back Yard,自分の裏庭ではやらないで)と呼ぶ。
一見、住民エゴにも見えるが、ごみ処理で利益を受ける人は施設のそばの住民だけではないのに、この近隣の人々だけが「被害」を受けるという問題がある。そんな対立の構造を背景に、多くの自治体はよい解決策を見いだせずにきた。
かつて自治体は、地域住民に隠したまま処理施設の立地計画を立て、最後に強引に建設しようとすることも多く、それが住民紛争をもたらした。しかし、1990年代後半あたりから、計画段階から住民に情報を公開し、立地や設備の選定から市民参加で決めていこうとする動きが出てきた。その先駆けの一つが、多治見市の埋め立て最終処分場の立地と計画だった。市内にあった埋め立て処分場が満杯となり、市は市内に名古屋市が所有していた埋め立て処分場に搬入させてもらっていた。しかし、それもできなくなり、多治見市の責任で処分場を建設せねばならなくなる。
1993年、市は日本環境衛生センターに委託し、「多治見市最終処分場整備構想に係わる適地調査」報告書をまとめた。報告書は三つの候補地をリストアップし、土地の利用状況、住居までの距離、ごみの搬送距離、環境への影響、用地買収の難しさなど17項目について比較し、総合評価として候補地1は○、候補地2は×、候補地3は△とし、候補地1の大畑地区を優位としていた。
大畑地区の住宅との距離はわずか60メートル。だが、報告書はこのことを重視せず、水道・電気・ガスなどのインフラや工事の施工面といった作り安さを重視した結果、大畑地区の点数が高くなった。複数案を比較検討した部分は10ページしかなく、真剣に検討したとは見えなかった。しかも、報告書は住民に知らされることもなかった。
当時の市の幹部は「センターは厚生省の外郭団体で厚生省のOBが専務理事をしている。ここに委託すれば厚生省から補助金をもらいやすいと言われて多くの自治体が委託していたのでここに決まった。複数案をまじめに検討していないことは、報告書をみればだれでもわかることだ」と明かす。
処分場計画に住民はNO!
市議会で、市長が大畑地区に埋め立て処分場を作る方針を示した時も、この報告書の存在は伏せられていた。公表すれば「いい加減な検討だと追及されかねないからです」(先の元市幹部)。97年3月、大畑地区の住民に、初めて計画の内容が伝えられると住民たちは猛反発した。予定地近くには新興住宅地が広がっている。住民の反対にあい、計画は頓挫した。まもなく西寺雅也さんが新しい市長に就任した。市民派の市会議員として知られた西寺さんの初仕事が処分場問題になった。
大畑地区にあるホワイトタウンは、8,300人が生活する新興住宅地。住人の中道育夫さんは、中学校の校区問題をきっかけに94年に自治会の区長になり、その後住民たちから推されて市議会議員になった。計画を知ったのは議員になって2年目の96年秋のことだった。
その年の春に最終処分場を造る議案が市議会に出され、全会一致で採択されていたが、中道さんは気にもとめていなかった。だが、秋に市職員から見せられた図面を見て驚いた。自分が住む住宅地のそばに処分場があった。「こんなところに造るなんて」。議会で質問すると、市は「適地調査の結果こうなった。地域住民も知っているはずだ」。
「住民エゴにはしたくない」
「そんなばかな」。中道さんは自治会の役員をしていたが、市から相談を受けた記憶はない。問いただすと市の担当者は「91年に予定地になった時点で自治体幹部から了解を得ていたのです」。反発した住民たちは、西寺市長を呼び、説明会を開いた。しかし、市長の説明は要領をえず、糾弾集会のようになった。自治会は反対決議し、2,300世帯、8,300人、19町内会が反対を表明した。住民への相談は一度もなく、処分場敷地との距離はわずか50メートルしか離れていなかった。
しかし、ホワイトタウンの住民たちが偉かったのは、「処分場反対を住民エゴにしたくない」と、独自に分別に取り組んでいたことだ。西寺市長はこれまでの計画を元に戻さないと解決できないと思った。
相談したのが吉村功東京理科大教授(統計学)。四日市公害に取り組み、公害企業相手に患者が勝訴した陰の功労者である。吉村さんは、愛知県津島市などでつくる一部事務組合が進めていた焼却施設計画に反対する住民と組合との間に立って紛争を解決した経験があった。
住民に信頼される委員による委員会設置
99年1月、市は吉村さんらによる多治見市新処分場調査委員会を立ち上げ、吉村さんが委員長に就任した。委員会は現地視察や審議を行い7月に報告書をまとめた。報告書は、前の報告書についてこう批判していた。
「各候補地の比較においては、距離、面積といった形式的なことが指標とされており、自然および近隣住民に対して生じる環境影響や、事業の経済的側面の実質的な内容が考慮されていない。特に環境影響評価が重要項目としてとらえられていなかったことは、この報告の大きな欠点であると言える。本委員会は、今回の処分場選定方法は妥当なものではなかったと判断した。早急に選定方法の見直しを行い、新たな方法に基づいた候補地の再選定を行うべきである」
そして、新処分場選定委員会を作って選定の前提として法的な制約、環境影響などを定量的に評価し、候補地を比較検討する時には情報を公開し、さまざまな人々の意見や意向を聞くべきだと提言した。
この提言に基づき新しい検討委員会の委員に、吉村さんと、宇佐見大司愛知学院大教授(環境法)、森山昭夫愛知教育大教授(地理学)、田中教授(公衆衛生学)、藤村義和前中部大教授(環境科学)の5人(いずれも当時の肩書)が選ばれた。人選に当たっては、市と吉村さんが相談し、市民側に立って議論でき、公正で実績のある人を選んだ。
委員らは異色の専門家たちだった
当時開かれた委員会。正面向かって吉村さん、右側に宇佐見さん、森山さん。手前は市職
杉本裕明氏撮影 転載禁止
再び委員長に選ばれた吉村さんは廃棄物問題に詳しく、市民運動の歴史も長い。田中さんは長良川河口堰問題に長くかかわってきた理論派で、森山さんは教育市民運動から提案型の市民運動を提唱・実践者になった人で、地質の専門家でもある。森山さんは「航空写真を見て候補地を絞る作業を受け持った。以前なら住民運動側に不利になるといって委員になるのを受けなかっただろう」。
選定委員会は2000年3月から月1回のペースで、平日の夜に開かれ、傍聴者に資料を配り、会議のあと意見や質問を受けた。委員には予定地周辺の住民代表など利害関係者は入れなかった。吉村さんは「もし地域住民代表が入ってその地域が適地とする結論になれば、その代表は地域で、それに賛成したとして責任を問われかねない。だから会議を公開し、会場から意見や質問をしてもらうことにした」と話す。
委員会は、処分場に入れる必要のあるごみの量と質や、処分場の必要な容量を評価し、処分場の選定基準を明確にする。その上で候補地を幾つかあげて互いに比較し評価するという手続きで進んだ。
従来の過大な予測値を修正する
まず、最終処分量がどれぐらいになるかを予測した。市の将来人口を99年までの人口の推移をもとに将来の人口を予測した。現在の人口10万6000人が20年たっても横ばいの10万8000人、1日1人当たりの可燃ごみの排出量の予測は20年後も横ばいが続くとなった。可燃ごみの排出量は95年まで増えているが、それ以後は分別の徹底で急速に減っている。
この傾向はこれからも続くと考え、1人1日の可燃ごみの排出量を500グラムと想定した。さらに焼却炉で処理し、埋め立てを回避できる溶融スラグと埋め立てに回す飛灰などにわけ、埋め立て量は15年間で約75,000トン、溶融スラグなどが約10万8000トン出ると試算。それをもとに必要な面積を検討した。
この予測は、これまで市がたてた予測と大きく違っていた。例えば、市の人口予測は2015年に12万2000人。一般ごみの排出量も増え続けるとし、2015年に1日1人当たりの排出量を800グラムとしていた。いずれも過大な見積もりだった(2022年5月現在の人口は10万8000人)。委員会は数値を改めた上、処分地として適当な広さがあり、法的規制にかかっていないか、地滑り、洪水などの自然災害に関して安全で、飲料水・農業用水の汚染の危険がないかを見た。断層や水源地に近いところを避け、生態、景観などの自然環境、自動車公害、水質汚染の可能性などに配慮した。土地購入費、造成費、跡地利用の利益なども評価の対象とした。
候補地を絞っていった委員会
2000年11月に開かれた委員会に79か所の市有地がリストアップされ、それをもとに狭かったり、住宅専用地域で適合しなかったりした土地をはずし、18か所に絞った。さらにこの候補地の空中写真を使い、断層からの距離、下流の水利用の状態、民家との距離を検討し、8か所に絞った。
2001年2月、委員らは8か所を現地視察し、水利権、鉱業権などの権利関係、地形、地盤などを調べた。
この結果、旭ケ丘、三の倉、大畑の3か所が残った。いずれも十分な広さがあった。旭ケ丘は谷の地形だが周囲の崖をうまく使えば可能。三の倉町猪場は、近くで新焼却処理施設の建設が予定されており、運搬に便利。大畑町大洞は一般ごみの安定型埋め立て地があるといった特徴を持っていた。委員会は絞り込みの過程をすべて公開し、5月に検討作業の中間まとめを公表した。そしてこの3カ所に建設すると、どのような環境上、経済上、技術上の利点、難点があるかを検討するため、コンサルタント会社に調査を命じた。
コンサルタント会社の選定も募集して手のあがった17社を書面審査で5社に絞り、面接で各委員が採点し、総合評価で建設技術研究所に決めた。実は、同社の提案書は、飛灰や余った溶融スラグを保管する新しい処分場、つまり現在あるクローズド型の処分場を提案していた。
保管目的の埋め立て処分場
8月の委員会では、建設技術研究所の社員も出席し、調査の進め方を説明した。
ある委員「この計画書を見ると、資源を還元することが考慮されている。実績はあるのか」
研究所の社員「経済ベースにはいっていないが、将来経済ベースに乗ってくれば『ここに保管場がある』と言える形にしたい。いまは保管という考えがないので処分場に入るとあとで容易に取り出せなくなっている」
「保管」という考え方は委員会の議論の方向性とも一致していた。例えばドイツでは、廃鉱などの地下深くで、飛灰を保管し、将来安全に処理できることがわかった時に処理するという方法を採用しているところがある。
研究所が提案した方式は、埋めている間は屋根をかけ、終わるとシールドで覆い、屋根を次の場所に移動し、また埋め立てを行うというものだ。必要な時には掘り返すことができるよう配慮され、100メートル四方、深さ5メートルで10万トン埋められる。研究所の環境対策室長は「少しでもいい処分場を造り、先例になるようなものにしたい」。
会議のあと、傍聴していた1人が「選定の際に行う環境調査が足りないと思う。文献調査だけでなく、現況調査も必要ではないか。オオタカの営巣地が見つかればそれだけでダメになることもありうる」。
吉村さんは「私も同感だ。現在がわからないまま将来何かあった時、前からそうだったのか、処分場ができてからそうなったのか、わからないままでは住民は納得しない」。文献だけでなく現場で現況調査を行い、自然保護団体も同行し、委員会に情報を提供した。
ホワイトタウン住民が独自に分別回収
審議が進む一方、大畑町に近いホワイトタウンの自治会では、中道さんが中心になって議論を重ねていた。大畑町に反対するだけでは「住民エゴ」だと、自治会では独自に分別回収に取り組むことになった。それを知った市もこの地域をモデルケースにすることになり、99年にこの地域で初の23分別に取り組んだ。市はこの経験をもとに2000年春から全市に拡大した。
傍聴席から発言できるよう委員会に求めたのもホワイトタウンの自治会だった。自治会内の会議では「もし委員会の結論で大畑地区に決まったらどうするのか」と不信感を募らせる人もいた。
しかし、中道さんは「それでは住民エゴになる。だれもが処分場がきてほしいとは思っていないが、これまで反対したのは市が住民に何も知らせず、理解を得ようとせずに建設を進めようとした点にあった。今回は透明性を高めて住民も意見が言えるのだから、もし、それで大畑地区に決まれば仕方がない」と、説得した。
自治会として、もしこうした課程で決まれば反対はしないと決めた。またここに決まっても金銭的な要求は一切しないことを申し合わせた。これは、処分場の設置をめぐって過去に周辺の住民が相当の金品を自治体や産廃業者からもらっていたとのうわさが絶えなかったからだ。
情報公開徹底し、住民の信頼得る
中道さんは「委員会のメンバーを見て公平で客観的に審議してくれると思った。情報も公開し、こちらの意見も言える。それで決まれば仕方がない」。処分場に反対だけでなく、それを契機に分別収集を率先して始め、循環型社会の形成を地区として取り組む。これまでの足取りを聞くと、委員や住民の意気込みが伝わってくる。
ある市民は「市民参加のいいお手本だったと思う。住民エゴを排し、自ら勉強し、自治会がリサイクルにも取り組んだ。処分場はできたが、事故もなく運営されている」と振り返る。
大畑センターの全景。左側の安定型処分場の向こうと右側の建物は、敏、缶などの選別圧縮などの施設と管理事務所がある
杉本裕明氏撮影 転載禁止
大畑センターでは、毎年6月、周辺地域の区長4人を招き、維持管理の状況などを報告している。安藤さんは「年に約1,300トンの飛灰が持ち込まれているが、三の倉センターの焼却施設が稼働している10数年間は、飛灰を受け入れ続けるだけの余裕がある」と語る。
最近になってリサイクル率が低迷
安定的に操業がなされている多治見市のごみ処理施設だが、最近になって心配な傾向が出ている。循環型社会や資源循環社会の尺度を測る1つであるリサイクル率が下がっているのだ。
クローズド型の処分場が開設した3年後の2013年度のリサイクル率は26・1%と全国の自治体の平均値よりずば抜けて高かったのに、その後低下傾向となり、2018年度に21・6%、2020年度には13・8%に落ちた(全国平均は20・2%)。反対に1人1日当たりのごみの排出量は増え、2020年度は999グラム(全国平均901グラム)と、1キログラムを突破しそうだ。岐阜県の自治体平均と比べてもかなり劣る。
多治見市といえば、23分別を全国に先駆ける形で採用し、ごみ袋の有料化に率先して手をつけるなど、先進的な取り組みで知られた。市はかつて「循環型システム構想」を策定し、短期目標として家庭ごみに限った資源化率(リサイクル率)40%、長期目標としてすべてを資源化することを掲げていた。
リサイクル率が落ちたことについて、市環境課はコロナの影響を持ち出してみたり、これまでリサイクルしていた色つきのトレイと発泡スチロールを2019年から焼却処分に切り替えたことなどを理由にしたりしているが、急落の理由について明確な理由はわからないという。しかし、環境省に市が提出したデータを見ると、リサイクルに回る資源回収量の少なさと、焼却量の多さが目立つ。多くの自治体で採用しているプラスチック容器包装の分別回収も行われていない(ペットボトルと白色トレイは除く)。
2003年に稼働した焼却炉は、炉内を1,800度まで高める溶融炉方式で、何でも溶かし、あとにできたスラグを路盤材などに有効活用し、埋め立て量を減らせるという特徴がある。
何でも燃やせることから資源回収量が低迷?
何でも燃やせることからか、市の焼却率は約90%と他の自治体に比べて非常に高い。何でも燃やすから資源ごみの回収量が少なくなり、リサイクル率の低迷につながっているとも言える。
かつて市の審議会で、プラスチックごみを分別(リサイクル)しない理由を聞かれた市の幹部が「(分別している自治体は)遠方のリサイクル業者に引き取ってもらい、その事業者が熱としてリサイクルしているのが現状」と答弁した。市の焼却施設でプラスチックごみ燃やす方針を変えないことを強調したかったようだが、答弁のような事実はない。実際にはプラスチックを砕いてペレットにし、プラスチック製品に再生したり、化学プラントでアンモニア製造の原料にしたり、製鉄所でコークスの代替原料に使われている。何でも燃やせる焼却炉の存在が、逆にリサイクルを弱めることになったのかもしれない。
市が回収している資源の量は少ない。例えばペットボトルは約70トンの回収だが、同じ人口規模の東京都内の市と比べると半分に満たない。白色トレイに至ってはたった数トンしか回収しておらず、比べるべくもない。これらの相当量が焼却炉に投入されていると推察できる。
リサイクルの道を歩むことを期待
23分別を導入する際、市は市内1,000か所を超える説明会を開き、分別とリサイクルの重要性を説いたが、その熱気がなくなってしまったのは惜しい。
おりしも、2021年にプラスチック資源循環促進法が制定されたのに合わせ、環境省は、今後、自治体が焼却施設を建て替える時に、国から交付金(補助金)をもらおうとする条件として、プラスチックごみの選別・リサイクルを行っていることにし、全国の自治体に通知した。市は「焼却施設の建て替え次期になったら検討したい」としている。リサイクルにお金がかかりすぎるとして、リサイクル率の伸び悩みがこの10年ほど全国の自治体を覆っていたが、これを機に、再びリサイクル重視の流れが起きている。
住民紛争を克服し、クローズド型の処分場を導入した貴重な経験を持つ多治見市も、この流れから取り残されることなく、リサイクルの道を歩んでいくことを期待したい。
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