シリーズ「リユースを考える」の2回目です。前回は日本独特の概念である「もったいない」という言葉について、リユースを絡めて論じました。この「もったいない」という言葉の持つ意味は、私たちが持続可能な社会を形成していく上で、重要な示唆を与えてくれるものと思います。
ただし、「もったいない」からといって、物置の奥底にものをずっとため込んだりしていませんか?(かくいう私もその一人ですが、、、) 確かに使えるものを捨ててしまうのはもったいないことですが、そのものが持つ使用価値を使わずにしまい込んでいることも、それはそれでもったいないことです。ものは使われてはじめて価値を有するのです。
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年間7.6兆円もの不用品が眠る
下の図表は経産省が公表している「平成28年度 我が国におけるデータ駆動型社会に係る基盤整備(電子商取引に関する市場調査) 報告書」から引用したものですが、わが国では1年間に7.6兆円程の価値の不用品が退蔵品となっていると推計されています。
私たち一人ひとりの退蔵品の価値は大きなものではありませんが、総計するとすさまじい規模の資産が使用されることなく眠っていることになります。7.6兆円の価値があっても、使われなければ無駄となってしまいます。ここに巨大な「もったいない」が潜んでいます。
参考:経済産業省 平成28年度 我が国におけるデータ駆動型社会に係る基盤整備(電子商取引に関する市場調査) 報告書
注目される「シェアリングエコノミー」
こういった課題を解決するために、最近は「シェアリングエコノミー」という考え方が注目されています。シェアリングエコノミーとは、シェアリングエコノミー協会によると、
シェアリングエコノミーとは、インターネットを介して個人と個人・企業等の間でモノ・場所・技能などを売買・貸し借りする等の経済モデル
参考:一般社団法人シェアリングエコノミー協会 https://sharing-economy.jp/ja/
と定義されています。代表的なサービス事例としては、Airbnbが挙げられます。Airbnbはご存じの通り、使っていない部屋を宿として提供したい所有者と、宿を使いたい利用者をマッチングさせるプラットフォームです。この場合、部屋という資産を所有者が利用者へシェアするという形になります。このようなサービスが広がることによって、「シェアリングエコノミー」という概念が形成されました。広い意味で捉えれば、リユースもシェアリングエコノミーの一種であり、メルカリなどがその代表例として挙げられます。
大量生産・大量消費社会が限界を迎え、新しい社会のあり方が求められている今、退蔵してしまっている資産や技術などの価値を有効に活用するシェアリングエコノミーは、新しい経済のあり方の1つとして、非常に重要な役割を担います。
二宮金次郎はシェアリングエコノミーの先駆者?
そのシェアリングエコノミーですが、シェアリングという点において、その重要性を説いた歴史上の人物がいます。江戸時代末期に活躍した二宮尊徳(金次郎)です。二宮尊徳といえば、薪を背負って読書する姿の像で馴染み深いですが、どのような人物だったのでしょうか。
二宮尊徳は相模国栢山村(現・神奈川県小田原市)の農家に生まれました。尊徳が子供の頃、二宮家は洪水の被害などにより没落してしまいますが、尊徳は20歳までに一家を再興させます。その評判は世間に広がり、小田原藩家老・服部家の再建を任され、これを見事に果たします。このことを契機に藩主・大久保忠真に見出され、下野国桜町領(現・栃木県真岡市)の再建をはじめ、数々の農村の再建を果たしていきます。これらの実績により、近代日本の農村政策に大きな影響を与えてきました。まさに偉大な農政家です。
その尊徳の歌に、
むかしより 人の捨てざる なき物を 拾ひ集めて 民に与へん
というものがあります。この歌を見たある代官が、
「ここは『人の捨てざる』ではなく、『人の捨てたる』というべきではないか?」
といいました。しかし尊徳はこれに対し、
「『人の捨てたる』では人が捨てた時にしか拾うことができず、有効活用の幅が甚だ狭くなってしまいます。世の中には、捨てられはしないが使われることもなく無駄になっているものが数えきれないほどあります。例えば、荒地などがそれです。これは捨てたようなものではありますが、持ち主がいるので開墾しようにも容易には手が付けられません。こういった無駄になっている『捨てざるなき物』をよく拾い集めて無駄なく有効活用するのが私の道であり、これを元手にすることによって広く民を救済することができるのです」
と答えました。まさにシェアリングエコノミーの本質をついた思想です。200年以上も前に、このような発想を持ちこれを実践していた尊徳の慧眼には驚きます。尊徳はシェアリングエコノミーの先駆者といっても過言ではありません。
二宮尊徳から学ぶこと
現代に生きる私たちは、二宮尊徳のこの思想から学ぶべきことが多くあります。私たちは尊徳の時代よりもはるかにもので溢れた社会に生きています。当然、その分無駄もたくさんあるということになります。先述の7.6兆円もの退蔵品は、まさに無駄そのものです。これだけ無駄の多い日本は、尊徳の目にどう映るのでしょうか。もしかしたら、「再建への道、容易なり」と見るかも知れません。
二宮尊徳の弟子・福住正兄が尊徳からの教えを記した著、『二宮翁夜話』に次のようにあります。
遠を謀る者は富み、近きを謀る者は貧す。夫遠を謀る者は、百年の為に松杉の苗を植う。まして春植て、秋実のる物に於てをや。故に富有なり。近を謀る者は、春植えて秋実法る物をも、猶遠しとして植ず。只眼前の利に迷ふて、蒔ずして取り、植ずして刈取る事のみに眼をつく、故に貧窮す。
(将来のことを考える者は富み、目先のことだけを考える者は貧する。将来のことを考える者は、百年先のために松杉の苗を植える。まして、秋に実るもののために春に種苗を植えるのはなおのことだ。だから富者となるのだ。目先だけのことを考える者は、春に植えて秋に実るものさえも、遠いといって植えない。ただ目の前の利益に惑わされて、蒔かないで取り、植えないで刈り取ることばかりに目を取られる。だから貧窮するのだ:筆者訳)
まさに至言です。私たちは目の前にある仮初めの豊かさに惑わされていないでしょうか。私たちは、社会のあり方が「蒔ずして取り、植ずして刈取る事」になっていないか、しっかりと見定めていく必要があります。もしそのようになっているのであれば、修正していかなければなりません。それが「遠を謀る者」、つまりは富者への道です。
大量生産・大量消費が前提の社会のあり方は、やはり「蒔ずして取り、植ずして刈取る事」のように思います。将来世代に大きなツケを残しかねません。これを修正していくために、社会のあり方自体を再設計し、リユースやシェアリングをより高い次元で実現していかなければなりません。
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