森林総合研究所 主任研究員の大塚祐一郎氏
長かった緊急事態宣言がようやく解除され、多くの飲食店や居酒屋で酒の提供が再開された。仕事帰りの飲み会を、心待ちにしてきた方も多かっただろう。今後は、筆者も引き続き感染症予防対策を徹底しながら、同僚・友人・家族との酒の席での語らいを大いに楽しもうと思う。
そんななか、世界初のお酒が日本で登場するかもしれないという話を聞いた。
それは木材から造られた“木の酒”。サクラやスギ、白樺などから造られた樹木特有の香り豊かなその酒は、ワインやブランデーなどとは似て非なるもの。地域原産の木材を原料として使用すれば、その土地の新しい名産品として地域活性化にもつながる可能性を秘めている。
世界で初めて“木の酒”を開発した研究チームの一人である国立研究開発法人 森林研究・整備機構森林総合研究所 主任研究員の大塚祐一郎氏に、詳しく話を聞いた。
“木の酒”への挑戦
木の蒸留酒
まず、今までなぜ“木の酒”ができなかったのかを説明する。大塚氏によると「木材成分の構造上、非常に難しい面があった」からだという。
木材は、種類ごとに割合は異なるが、リグニン、セルロース、ヘミセルロースの3つの成分からできており、それらが化学的に結合し細胞壁となったものが、格子状に密集して構成されている。酒を作るには、この細胞壁からセルロースだけを取り出し、セルラーゼによってブドウ糖に分解し、酵母によるアルコール発酵をさせる必要がある。
だが、ここで問題が生じる。
細胞壁を顕微鏡で細かくみると、セルロースやヘミセルロースの繊維はリグニンにより覆われていることが分かる。そのなかからセルロースを取り出すには、覆っているリグニンを溶かす必要があるのだが、従来の方法では、木材を粉砕した後に、水酸化ナトリウムや亜硫酸といった非常に強い薬剤に漬け込み、その後160°の高温で煮る必要があった。大塚氏は「これらは紙を作るためにセルロースを取り出す方法として、非常にポピュラーなのですが、薬剤には当然有害成分が含んであるため、飲み物の原料にはできませんでした」と話す。
ここまでが、木から酒ができなかった理由だ。それを大塚氏は発想を変えて挑んだ。
「木材の粉砕だけでセルロースを取り出すことができないか」
大塚氏は説明する。
「厚さに着目しました。一つ一つの細胞壁の厚さは、2~4マイクロメートルほど。これは、1000分の2ミリほどの大きさですが、これよりさらに細かく粉砕することに成功すれば、覆っているリグニンだけが剥がれ、中にあるセルロースやヘミセルロースだけが露出するのではないかと考えました」。
ただ、木材は湿っていると繊維が絡まり粉砕できないのが一般的。まずは、さまざまな乾式の粉砕法を試したという。大塚氏は「さまざまな乾式の粉砕方法を試したのですが、どれも5マイクロメートルほどが限界でした。それで、どうしようかと考えて、水中での粉砕方法に発想を転換させました」と話す。
湿式ミリング処理でナノサイズレベルの粉砕に成功
それが、湿式ビーズミルという微粉砕・分散機を使用して行う「湿式ミリング処理」だ。ビーズミルは、液体中に高速で攪拌させた微小ビーズを対象物に衝突させることによって、ナノサイズまで微粒子化する粉砕技術。従来の用途としては、顔料・インク・ペンキ・カラーフィルターなどに利用される。ナノレベルまで細かく粉砕することで、色に深みや鮮やかさを際立たせることが可能だ。
大塚氏は「ビーズミルを使えば、理論上は木材を1マイクロメートル以下まで細かく粉砕することができます。ただ、水中で行うため木材が水を吸い込んで膨らんでしまい、従来の設備仕様ではうまく粉砕できませんでした。そのため、使用するビーズの材料や装置の種類を変えるなど、いろいろな試行錯誤を行った結果、ようやく最後まで処理することができました」と語る。
ビーズミルで1マイクロメートル以下まで粉砕すれば、木材内部のリグニンで覆われた細胞壁の厚さが砕かれ、セルロースとヘミセルロースが露出している状態になる。リグニンが破壊されたことでドロッとクリーム状になった木材スラリーに、市販の食品用セルラーゼを投入し、セルロースをブドウ糖に分解。さらにアルコール用の酵母を入れ、発酵させる。残ったリグニンなどによる発酵阻害もなかった。「酵母には、ワイン用や日本酒用のものを使用しています」と大塚氏。
白樺のスラリー
初めての酒造りの苦労
アルコール度数1%以上のものを扱うため、酒造免許も取得した。大塚氏によると「最初に税務署に相談に行きました。ただ、酒造法ってそれぞれのお酒の種類ごとに決められているのですが、“木の酒”の項目は、当然ながら無いんですね(笑)。ですので、それから1年以上税務署に通って、木からお酒が造れるというのを何度も何度も説明して、ようやく認めてもらい、森林総研として2018年頃に免許を取得しました」という。
ただ、最初にできた蒸留酒は飲めたものではなかった。「最初にできた木の蒸留酒は、パンの酵母を使ってしまって、飲めるものにはできなかったです。当たり前ですが、酒造り自体が初めてだったので、発酵の仕方や蒸留の仕方もうまくいかなかったですね」と開発当初は失敗続きだったと大塚氏は苦笑い。現在は、焼酎造りなどでよく用いられる減圧蒸留という方法を用いている。その結果、木の香りが自然に残った酒ができたという。
“木の酒”の特性
現在、開発している品種は、スギ、白樺、サクラ、水楢、クロモジなどで、蒸留酒と醸造酒が造られている。醸造酒は、発酵直後はすべて薄黄色だが、熟成ともに着色が起こる。樹種によって変化する色はさまざまだという。(以下、画像参照)
熟成により着色された木の醸造酒
また、“木の酒”は、歩留まりが高い。木材の種類によって異なるが、例えば、スギだと2キロの木材でウィスキーボトル1本分の蒸留酒(Alc.35%)を造ることができる。大塚氏は「立派に育ったスギであれば、1本で200本以上の酒が造られる計算となります」と話した。
森林総研は研究施設のため、酒造免許はあるがあくまで研究開発のためにしか利用できず、外部の者が飲酒することはできなかったので、香りをかがせてもらった。醸造酒は、どれも木の香りはかなり残っていた。大塚氏によると「スギの香りは結構強烈ですね。ただ、白樺やクロモジなんかは、フルーティーな香りで白ワインのような風味になりました。サクラは面白くて、年月を経るほど真っ赤になっていき、見た目が赤ワインのようになります」という。
サクラの木材について「アンティーク家具などでサクラ材がよく重宝されています。その家具でも時間が経つと赤みがかってくる。サクラの木自体に元々赤くなる成分が入っているみたいですね」と大塚氏。
醸造酒はアルコール度数が1%程度。実際に香りを嗅ぐと、サクラは桜餅のような香り。水楢は、ウィスキーを寝かせる際に水楢の樽に入れて貯蔵する関係で、ウィスキーと酷似したような香りがした。
現状は、蒸留するとえぐみなどがなくなり、飲みやすくなるので蒸留酒のほうが製品化に近いと大塚氏は考える。蒸留酒のアルコール度数は30~40%だ。
ほかに、“木の酒”は、アルコール発酵すると、大量の酒粕ができる。このうち成分の6割は、酵素で分解されないリグニンだ。それと、露出していない部分のヘミセルロースとセルロースや酵母が入っている。
この用途についても、「リグニンは、ポリフェノールの固まりですので、抗酸化作用があります。そのため、健康食品としてのサプリメントへの応用が期待できますし、粕漬のような使い方もできるのではと考えています。日本酒の酒粕の用途と同じように、鮭などを漬け込む。木の酒粕でつくった粕漬ですね」と大塚氏。
――②では、“木の酒”がもたらすさまざまな展開、地域活性化に触れる。
森林総研チャンネルで“木の酒”について大塚氏が説明している動画
大塚 祐一郎(おおつか・ゆういちろう)
1977年、熊本県出身。博士(農学)。2004年東京農工大学大学院博士後期課程終了後、東京慈恵会医科大学研究員、2007年12月森林総合研究所入所。木材成分の微生物代謝、代謝工学技術による木材成分からの有用物質生産技術開発、木材の前処理技術開発に従事。2013年10月〜2014年9月バージニア工科大学客員研究員(併任)。現在に至る。
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