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再生アーティスト いなずみくみこ/廃棄物を使う芸術家のご紹介

人に使われなくなったモノは「ゴミ」や「ガラクタ」と言われ、廃棄されてしまいます。

しかし、廃棄されたモノの中には、まだまだ使えそうなものモノもあれば、すり減るまで使われ続けたモノもあり、どちらにしても人の記憶や物語が感じられます。

そんな廃棄物になってしまったモノの最期を美しい作品として、世に送り出しているのが、再生アーティストのいなずみくみこさんです。

なぜ、彼女は捨てられるモノたちをアート作品に使おうと考えたのでしょうか。

今話題の再生アーティスト、いなずみくみこさんの過去、現在、そしてこれからをご紹介します。

目次

再生アーティスト いなずみくみことは

再生アーティスト、いなずみくみこは、東京都で活動中の芸術家。

武蔵野美術大学の芸能(現、空間演出)デザイン学科を卒業後、フリーのイラストレーター、造形教室講師として活躍していたが、2015年から再生アーティストしての活動を開始。

アート活動を始めてから、わずか3年後の2018年10月に、フランスのパリで開催された「DISCOVER THE ONE JAPANESE ART 2018 in PARIS」に作品を出展し「人気アーティスト賞」を受賞。

2019年6月にはフジテレビの人気番組である「有吉くんの正直さんぽ」で紹介され、多くの注目を集めた。

作品の特徴としては、廃棄物となったモノを利用し、一つのアートとして再生させ、モノの最期の美しさを表現すること。

近年、今まで以上に、エコやリサイクルが重要視されていることから、廃棄物をアートとして蘇らせる彼女の作品は、まさにこの時代にマッチした芸術の姿と言える。

いなずみは、どのようにして再生アーティストとして、廃棄物をアートに利用するに至ったのだろうか。

子供時代から大学卒業まで

いなずみは、1955年8月16日、東京で生まれる。

小さいころからゴミの分別には興味があり、物が捨てられない性格だったそうだ。

子供の頃は、父親の仕事の関係上、転勤が多く、大阪や名古屋、福岡と住まいを転々としていたため、その土地で自分が築き上げたものがリセットされるような感覚を何度も味わった。

そんな彼女の支えは、どんな土地であろうと同じ物語を追うことができる、漫画だった。

漫画を好きになったきっかけは、小学生のころ病気で寝込んでいるとき、母親が買ってくれたコミック雑誌「なかよし」に連載されていた、手塚治虫の「リボンの騎士」だ。

「リボンの騎士」の世界に衝撃を受けた彼女は、その他の漫画にも触れながら、漫画家になるという夢を抱き、絵を描くことを始める。

ただ、絵を描くことは楽しくても、身近にアドバイスしてくれる人も、評価してくれる人もいなかったことから、中学生になった頃に「才能はない」と一人挫折。この頃は芸術家になるとは少しも考えていなかった。

しかし、高校生になってから選択した美術の時間に描いた絵が、美術教師の目に止まり、美大への進学を勧められる。

そして、1974年には武蔵野美術大学造形学部芸能(現:空間演出)デザイン学科に入学した。

「造形教室工房なある」を始める


取材に答えるいなずみくみこさん。

大学を卒業後、いなずみはいくつかの企業で、イラストレーターやデザイナーとして活動をしていた。

1980年、フリーとしてイラストの仕事を受けていた中で、幼児教室(小学校受験)のイラスト作成を始める。

まだ読み書きができない幼児に対し、イラストで字や数を覚えさせるためのものだった。

その後、教室内で絵画や工作を幼児に教える立場になり、自身の指導によって子供たちの成長を見守る中、この仕事に対して強い手応えを感じ始めた。

そして1993年、自身が主宰する「造形教室工房なある」を始める。

絵画から工作、木工、料理など様々なカリキュラムで、創作を体験できる造形教室工房は、2歳の子供から大人まで、多くの生徒が集まった。

このときのカリキュラムの中に「ガラクタ工作」というものがあった。

自身が捨てられない廃棄物を使って、生徒が自由に作品を作る、というものだ。

また、1998年からは新聞で「だれでもできるガラクタ工作」の連載も始める。

この頃からすでに、廃棄物をアートとして活用する、という発想があったということがうかがえる。

多くの生徒で賑わっていた「造形教室工房なある」だが、20年後の2013年に閉じることになる。

いなずみの母の体調不良もあって、教室運営を続けることが難しくなってしまったのだ。

しかし、在籍する生徒たちからの要望もあり、近くの施設を借りて、週に一回の「なあるアートクラブ」を継続開催。2017年からは月1回で「なあるワンデーワークショップ」を開き、現在も指導を続けている。

還暦で制作活動を始めた!


自宅の至るところに廃棄物を使ったアート作品が飾られている。

いなずみが本格的に制作活動を始めたのは、意外にも還暦になってからのことだった。

「造形教室工房なある」を閉じて、身も軽くなり、次は何をするべきか考えていた2014年のことである。

美大の同級生から「還暦を記念して一緒に作品展をやらないか」と声をかけられたことがきっかけだった。

いなずみは、生徒に絵画や制作を教えていたが、自分には作品がなかった。

そのため、作品展の誘いは断ろうかとも考えたが、友人に「作品がないのなら、今から作れば良いじゃない」と言われる。

その言葉に、妙な納得を覚えたいなずみは、新たな作品を作ることにした。

最初は「自分が作品を作るとしたら何だろう」と悩んだが、捨てられずに手元にある廃棄物のことが思い浮かんだ。

同時に、以前からいなずみの中で限界を感じていたことが、頭によぎった。

子供たちにガラクタを使った工作の指導をしていた頃から「制作の意義とは、ガラクタをガラクタ以上のモノに蘇らせることにある」という考えはあったものの、周りの多くの人たちにとってガラクタはガラクタであり、制作に使われたとしても、お金のかからない安価な素材の一つでしかない、と認識されていたことだ。

そんな周りの価値観を塗り替えるためにも、ガラクタと言われるモノたちを、自らの手で輝かせてみせよう。そんな考えから、廃棄物を作品のテーマとしたのである。

ベースとなったのは、閉店となったハンバーガーショップの前に、捨てられていた値段表らしきパネルだった。

その場にいた店員に声をかけて、それを譲ってもらうと、以前から集めていた廃棄物をそこに貼り付けた。

こうして廃棄物だったモノたちは、作品として蘇ったのである。


初作品である「再生 実り」「再生 煌き」は廃棄されるはずだった2枚のパネルを使った。

2015年の2月、「再生 実り」「再生 煌き」と名付けたその作品は、美大時代の友人の作品と共に神楽坂の「あゆみギャラリー」に展示された。

すると、作品を見た一人の女性に声をかけられた。

その女性は、以前から知り合いだったものの、何をしている方なのかよくは知らなかったが、ご自身も作品を作られている美術公募団体の会員の方だった。

彼女は国立新美術館で開催される展示に、作品を出してみないかと提案してきたのである。

最初は「国立新美術館」という言葉に驚き、戸惑った。

しかも、作品は今回制作したものしかなく、国立新美術館に展示するようなものではなかった。

そう伝えてみると、その女性から「今から作れば良いじゃない」と言われ、出展を決意することとなる。

2015年の3月、国立新美術館で開催された「2015汎美展」に再生アート「再生 彩り」を出展した。

そこでも反響は良く、札幌で行われた「リサイクルアート展2015」にも別の作品を応募してみると、優秀賞を受賞した。


2015汎美展で展示された「再生 彩り」

手応えを感じたいなずみは、新たな制作を続け、赤坂のギャラリー「+PLUS」で4週間の初の個展「再生の輝き」を開催するに至った。

個展開催は、2016年の3月で、制作活動を始めてから、わずか1年後のことだった。

パリの展示会・テレビ出演後


パリの展示会に出展された、いなずみくみこさんの作品。

再生アーティストとして精力的に活動するいなずみだったが、さらに彼女にとって大きな出来事があった。

2016年10月に東京都美術館で開催された「2016汎美秋季展」の作品を見た、という企画会社から「パリの展示会に作品を出さないか」と提案があったのだ。

その展示というのが、株式会社クオリアートによる「DISCOVER THE ONE JAPANESE ART 2018 in PARIS」だった。

パリで開催された、このイベントに出展した作品は「営みの記憶」と名付けられたもので、西洋の石の文化と、日本の紙の文化の融合をイメージして作られた。

それがパリの人々の感性と一致したのか、展示された127点の作品の中から、一般来場者の投票によって決められる「人気アーティスト賞」を受賞。

いなずみはこの受賞に衝撃を受けた。

なぜなら、彼女はそれまでアートに携わりながらも、作品の本質は言葉でなければ、伝わらないと考えていたからだ。

しかし、今回の受賞は言葉で説明することはなく、パリ市民に作品の魅力を理解してもらえた証拠だった。

それは作品自身が自らの魅力を語ったからだ、と思えた。もし、その語りが素晴らしいものであればあるほど、廃棄物だったものが、遠い未来に他の誰かに愛され、永遠の残る可能性もあるだろう。それは廃棄物としては、最高の輝き方ではないか、と強く感じたのだった。

パリでの受賞により廃棄物の奥深い可能性を見たことで、今までよりも芸術の力を信じることができるようになったと、いなずみは語る。

そして、この受賞をきっかけに、テレビでも取り上げられることになった。それがフジテレビの人気番組「有吉くんの正直さんぽ」である。

番組内では出演者たちも再生アートを制作し、その作品は今もいなずみの手元で輝き続けている。


番組の出演者が手がけた作品の下地。番組ステッカーも作品に含まれている。

再生アート作品

いなずみの作品は、廃棄物が無作為的に配置されている。

初期の作品では、廃棄物の配置はバランスを考えながら行っていたが、徐々に何も考えず、放るように配置し、可能な限り意識的なバランスを排除している。

作品を見た人からは「絶妙なバランスで配置される」と評されることがあるが、廃棄物はほとんど自然的に配置されているのだ。

そんな、いなずみの廃棄物を使った再生アートは、以下のようなものがある。

営みの記憶


「DISCOVER THE ONE JAPANESE ART 2018 in PARIS」で「人気アーティスト賞」を受賞した作品。

外枠は、大工道具を入れる箱に和紙が貼られたもの。

箱は亡くなった近所に住んでいた大工が作って使っていたもので、和紙は書道家が書き損じた反古紙などを使っている。

内側に配置されたモノの中に、バラが見られるが、これは卒業式などで胸につけられるバラ記章。

バラ記章は一度使用したら捨ててしまうことが多く、イベント会社から廃棄前のものを引き取り利用した。

また、作品内にあるカスタネットは、いなずみの夫の工場に勤務していた知り合いから譲り受けたもの。後に作品を見た譲り主から「いなずみさん、これは私の息子のカスタネットです。昔、譲ったのを覚えていますか?」と言われた。

いなずみ自身はカスタネットをなぜ持っていたのか、覚えていないまま作品に使ったため、譲り主に指摘されて驚いた。人はモノを捨てたとしてもその記憶や想い出は残しながら生きているのだ、と感じたそうだ。

作品の中の廃棄物は石になっていくイメージで、大理石のような色に仕上げ、色あせたとしても美しく劣化するだろうと、いなずみは語った。

とはのねむり


この作品は、イタリアのカプチン・フランシスコ修道会の聖ロザリア礼拝堂に葬られている少女、ロザリア・ロンバルドに捧げるものとして作られた。

ロザリアは1920年、2歳に満たず病死したが、白骨化することなく現在も生前と変わらぬ姿をとどめ「世界一美しい少女のミイラ」と言われている。

彼女の髪の色の金色の世界の中央にあるクマのぬいぐるみが深い眠りを表現している。

この作品は二枚で一組だが、以前は一方ではクマのぬいぐるみが眠り、もう一方にはぬいぐるみは存在しなかった。

展示を見た人から、それを指摘され、現在は両方にぬいぐるみが入って眠っている。

2019年11月3日から24日、川越で開催された「第6回蔵と現代美術展」で展示された。

いにしへ


いなずみの母の友人宅が解体される前にガラス戸4枚を救出し、ガラスがあった部分に古板材を入れることで、作品へと生まれ変わったもの。

素材は「木」だが「気」が宿り、まだ生きているように感じるため手を入れにくいと、いなずみは語る。

東京都美術館で開催された「2019汎美秋季展」で展示された。

まほろば


いなずみは、自分の作品は日本的でありたい、という気持ちを常に持って制作している。

まほろばも、和を意識した作品で、伊藤若冲の作品を見て、衝撃を受けて作ったもの。

一度は屏風として仕立てたが、納得のできるものとは言えず、手直しを加えて再生し、さらに展示方法も変更した。

4段階の和風のパネルが以前より美しく、現代的な作品に生まれ変わった。

水底に眠る


廃棄された扉を使った、棺がモチーフの作品。窓の中は鏡張りで、覗いてみると、まるで死後の世界が扉の奥に広がるよう。

いなずみの作品は「死と再生」がテーマの中に含まれているものが多い。

彼女は「モノの死をどれだけ延命させられるか」ということを常に意識しながら、廃棄物を作品へと昇華させている。

失われる危うさに、美しさや健気さが感じられる。

作品にすることで、モノの最期の輝きを永遠に残すことができるかもしれない。

そんな、いなずみのモノの最期に対する価値観を表す作品の一つである。


廃棄された扉で作った美しい棺。

今後の取り組みについて


新作の「追憶の箱積」は2019年8月にアーツ千代田3331で開催した、
いなずみくみこさんの個展「再生・モノ・語り」で展示された。

これからの予定としては、2020年の3月4日から16日の間に国立新美術館で開催される「2020汎美展」の60回記念展がある。まずはこの展示のために大作を作り上げるそうだ。

再生アーティストとしての活動だけでもなく、工作教室の新しい形も模索中とのこと。

今まで工作教室をやっているときは、自身の作品がなかったが、今後は自分の作品が展示された空間で、廃棄物を使った工作を教えたいそうだ。それは、廃棄物にとっても、参加者にとっても貴重な出会いの機会であり、廃棄物再生の重要性をより伝えられると考えたのだ。

廃棄物とアートの新しい形を子供たちに伝えるために、文化庁のアーティスト派遣という企画の講師として推薦されている。

これが決まれば、講師として小学生に廃棄物を使った工作を教えることになる。その企画にアシスタントとして参加してくれるのが、造形教室時代の教え子たちだ。

造形教室の活動は、形として残るものは少なかったが、幼かった生徒たちが大人になって、作品の制作や活動を手伝ってくれていることは、誇らしいことだと語った。


頼もしい元教え子の存在は誇らしいと語るいなずみくみこさん。

また、廃棄物とアートの関係については、以下のようにも語った。

「公募展では、展示期間が終わると、廃棄されてしまう作品もあるらしい。

私は一度作った作品を別の作品のために再利用している。

資源は有限であり、いかに無駄なく利用して最後まで活用させていくかを考えるのが重要だと思う。

地球規模で考えて、モノを気軽に捨てる時代は既に終わっている。今あるものを大切にして、使い回すことを考える時代になっている。」

さらに、自らの作品について、こうも語った。

「2011年3月の東日本大震から、自分が作る作品が瓦礫に似ていると思い始めた。

災害によって発生した瓦礫は、望んで瓦礫になったわけではない。圧倒的な自然の力に流されて、寄せ集まったことで、人間にとって望まない被災物となってしまった。

瓦礫の山が築かれてしまうのは悲しいことだが、破壊された混沌を経た後に、未来への希望が生まれくるという感覚があった。

だから、瓦礫の山を乗り越えた先にある光のような、そんな希望ある作品を作り続けたい」

モノは、ただ廃棄物として終わるのではなく、別の輝きを人々に与えてくれる可能性がある。

彼女が作り出す再生アートは、そう思わせてくれるものだった。

いなずみくみこさんが代表を務める「なあるアートネットワーク」の最新情報やワークショップなどの活動はこちらから→http://www.naaru.com

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