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メタン発酵で生ごみ発電!時代の先頭を走るバイオマス利活用センター

豊橋市にあるメタン発酵発電施設。
上空からみると、かなり規模が大きいのがわかる。
豊橋市提供 転載禁止

家庭から出る生ごみを発酵させてメタンガスを取り出し、発電に利用する動きが各地に広がりつつあります。大半の自治体では、可燃ごみとして清掃工場で燃やしています。しかし、生ごみはカロリーが低すぎてそれだけでは燃えず、カロリーの高いプラスチックごみや紙ごみと一緒にして燃やしているのが実情です。衛生的な処理ですが、燃やしてしまうのはもったいない。なぜなら生ごみはいろいろな使い道があるからです。

一つは家畜の飼料。二つ目は有機肥料。そして三つ目がエネルギーです。この三つ目がいま、俄然注目を浴びています。生ごみを菌を使って発酵させ、発生したメタンガスを使って電気に変えるーー。そんなメタン発酵発電施設が各地にでき始めています。日本で最大規模を誇る愛知県豊橋市のメタン発酵の発電施設を訪ねてみました。

ジャーナリスト 杉本裕明

目次

メタン発酵利用して発電


巨大なメタン発酵槽。
高さ20メートル、直径21メートルもあり、国内最大級
杉本裕明氏撮影 転載禁止

三河湾に面した豊橋市の南部にある下水処理場の敷地に大きな円筒形のタンクが二基見える。生ごみからメタンガスを発生させる発酵槽だ。高さ20メートル、直径21メートル、容量は5000立方メートルある。国内最大級というだけあって大きい。

施設の入り口に「豊橋市バイオマス利活用センター」とあった。パッカー車が次々とスロープを上り、建物の2階からピットに生ごみを落としている。1階にコンテナ車が待機していた。生ごみから取り出した廃プラスチックなどの異物を市の焼却施設に運んでいる。


生ごみを積んだパッカー車が施設の2階に向けてスロープをのぼっている。
杉本裕明氏撮影 転載禁止

2017年秋に供用開始となったメタン発酵の発電施設である。下水処理施設と個人の浄化槽から出た汚泥、し尿を1日472立方メートル、家庭から出た生ごみを1日59トン受け入れている。鹿島環境エンジニアリングとJFEエンジニアリングが受託し、総事業費約150億円。うち50億円は20年間の維持管理費が占める。両社がつくった豊橋バイオウィルという管理会社があり、そこから派遣された17人がこの施設を動かしている。


メタン発酵施設のメーンの建物
杉本裕明氏撮影 転載禁止

施設ではこんな流れで行われていた。家庭から搬入された生ごみは破砕分離器で破砕し、プラスチックの袋などを取り除き、混合槽に送る。ここには濃縮された下水汚泥や浄化槽汚泥、し尿も集まってくる。混合された4種類の有機物はメタン発酵槽へ。発酵槽ではメタン菌が発酵を助け、発生したメタンガスは発電効率が4割近い高性能のガスエンジンで発電する。発酵槽に残った汚泥は脱水して炭化設備で高温で炭にする。


施設内にある破砕選別機。
生ごみはここで、有機物とそれ以外に分離される。
杉本裕明氏撮影 転載禁止

施設の所管は市の上下水道局にある。敷地の隣には上下水道施設がある。なぜ、下水道の部局が生ごみ処理なのか。

杉の木100万本の植樹に匹敵

この施設では家庭から出た生ごみを1日59トンが搬入されているが、同時に下水処理場から出た汚泥を1日472立方メートルも受け入れている。どちらも有機物でメタン発酵の原料だが、下水汚泥の方が圧倒的に多い。

下水処理施設では従来は、発生した汚泥を脱水して直接最終処分場に埋めるか、焼却して灰を埋めるかだった。一部の下水処理場ではメタン発酵させ、発電した電気を処理場で使っているが、豊橋市のように生ごみと一緒に利用し、売電しているところはない。

つまり、環境局と上下水道局が、縦割り意識を廃し、協力してつくったところが偉いのだ。たいていは同じ役所なのに仲が悪い。中央省庁で生ごみは環境省、下水道は国土交通省と縄張りがあることの裏返しである。だから、この方式は今後のごみ処理を考える上で、大いに参考になる。

豊橋市の自慢は発電したうち年間680万キロワット時を売電していることだ。1890世帯の電気の使用量にあたる。バイオマス発電の場合、FIT(固定価格買い取り制度)のもとで1キロワット時39円で電力会社が買い取ってくれるから、単純計算で約2億6000万円の収益がある。収益は事業者の管理運営費に吸収されているとはいえ、市の予算上20年で120億円節約できると、市ははじいている。

しかも、二酸化炭素の排出量は従来の方法と比べ、年間約6000トンの削減になる。年間で杉の木100万本の植樹と同じ効果だという。

また、発酵槽に溜まった残渣(ざんさ)を炭化設備で高温で蒸し焼きにし、できた炭化物を工場の補助燃料として売却している。炭化物は粒状で黒茶色をしており、1日に6トンできるという。

市長のイニシアチブがよかった

上下水道局と環境局が共同で取り組むことになったきっかけは、環境局にあったし尿処理施設が老朽化したことだった。施設にはし尿のほか家庭にある浄化槽の底に溜まった汚泥(浄化槽汚泥と呼ばれる)も持ち込まれていた。

建て替えるか、それとも別の方法があるのか検討するうちに、し尿処理施設の汚泥と下水処理施設の汚泥を一括処理という考えが出た。さらに生ごみのメタン発酵発電施設がぼちぼちできはじめており、有機物はまとめて一括処理という方向性が見えた。

両部局が協力しての一括処理には佐原光一市長のイニシアチブが大きかった。佐原市長は国土交通省の元官僚で航空畑の人だが、都市政策にも精通していた。

普通はごみ処理の方式を変えることに役所は臆病なものだ。メタン発酵するには生ごみを可燃ごみと分けて収集しなければならない。市ではこれまでの週二回の可燃ごみの収集に加え、生ごみの収集を二回行うことにした。分別の手間が増えるため、市民の理解と協力が不可欠だ。

2000カ所で説明会開き、市民の理解得る

「分別への協力を求め、市内で1050回も説明会を開いた。りっぱなものでした」と、豊橋市の環境行政にもかかわる竹内恒夫名古屋大学名誉教授は語る。竹内さんによると、豊橋市はかつて530(ゴミゼロ)運動を提唱した街で、「自分のごみは自分で持ち帰りましょう」を合言葉にした環境美化運動が全国に広がった実績があるという。

メタンガスの利用方法について、最初は都市ガスに改質し、ガス会社に売却することを検討していた。しかし、国が再生可能エネルギーを買い取るFIT(固定価格買取制度)を2012年に導入され、1キロワット時当たり39円の高額で売電できることがわかり、売電方式となった。

これを条件に企画提案方式で公募し、入札で鹿島とJFEのグループが決まった。残渣(ざんさ)を炭化処理し有価で売却し、埋め立てしないという提案が評価されたという。

敷地には別に2メガワットのメガソーラーがある。エネルギーの供給基地としての役割を意識してのことだ。このメガソーラーから1億2000万円の売電収益を得ている。

焼却施設では、農家に蒸気供給していた


焼却施設からパイプラインで蒸気を供給してもらっているビニールハウス。
ミニトマトをつくっている。
杉本裕明氏撮影 転載禁止

このメタン発酵施設から車で20分ほど東に行ったところに焼却施設と容器包装プラスチックの選別・保管施設がある。この焼却施設も他の自治体の焼却施設にはない特徴を備えている。周辺農家に蒸気供給しているのだ。

2002年に建て替えられた焼却施設は発電した電気を電力会社に売電し、その時にできた蒸気をパイプラインで豊栄施設園芸組合のハウス群に送っている。パイプは古くなりさびもあるが、大したものだ。この熱でミニトマトがすくすくと育っている。

焼却施設の隣にある赤と青のペイントで彩られた建物の中で、容器包装プラスチックやペットボトルの選別・保管をしていた。

環境局の職員が語る。「昔はここで生ごみからコンポストを造っていた。無料で提供していたが、需要が減り、休止してしまった。それでメタン発酵発電施設の構想につながっていった」。いまは、現地で焼却施設の建て替え計画が進んでいる。発電だけでなく、蒸気の利用もしっかり続けてほしい。

都市と農村を結合・融合しようとした

生ごみを利用したリサイクル、焼却施設の熱を効率的に利用するための農家への蒸気供給。ここには、廃棄物の有機的な利用という匂いを感じる。歴史をひもとくと、そのはずである。

実は豊橋市には、40年以上前のことだが、廃棄物処理で日本のモデルにしようと市と国が一体となって取り組んだ「豊橋ユーレックス計画」があった。

「豊橋ユーレックス計画」は、都市と農村の社会的な結合・融合を目指していた。

都市から出た廃棄物を徹底分別し、缶・ビン・古紙などは資源として売却、生ごみからコンポスト化し、土壌改良材に。普通ごみは焼却し、残った灰は土地改良の資材に、焼却炉の熱は農家に供給し熱源に。し尿と畜産農家からの家畜糞尿は処理施設で処理し、鶏糞は乾燥させて肥料にするとしていた。

計画の立案者はコンサルタントの畔上統雄さん。東京大学で、廃棄物のプロセス管理の手法を学び、化学メーカー石原産業の元技術者となって、工場廃水の総背番号化を考案した人だ。独立し、コンサルタント会社のプランドを設立し、厚生省(現環境省)に計画を持ち込み、承諾させてしまった。この計画は実行されはしたが、すべてが順調だったわけではなく、幾つかの施設の設置にとどまった。


廃棄物処理のパイオニアだった畔上統雄さん。
「いま、自分のこれまでの取り組んだことをまとめているところです」と
自宅で語っていたが、7月に亡くなった
杉本裕明氏撮影 転載禁止

畔上さんは「当時の河合陸郎市長とそれを継いだ青木茂市長が熱心で、この計画を強力に進めてくれた。市民と農民の参加があってこそのユーレックス計画だったが、やがてプラントメーカーや政治家が口出しするようになり、道半ばとなってしまった」と語る。

この春、鎌倉市の自宅でお会いした畔上さんは、82歳になっても頭脳明晰で、とうとうと持論を述べていた。しかし、その後肺炎を起こし、7月に急逝した。日本の廃棄物処理の世界のパイオニアであった氏のご冥福を祈る。

いま、メタン発酵発電施設をながめると、畔上さんの思いが新しい計画としてよみがえったような気持ちでもある。

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この記事を書いた人

朝日新聞記者を経て、フリージャーナリスト。廃棄物、自然保護、地球環境、公害など、環境の各分野に精通する。著書に『ルポ にっぽんのごみ』(岩波書店)『ディーゼル車に未来はあるかー排ガス偽装とPM2・5の脅威』(同、共著)、『環境省の大罪』(PHP研究所)、『赤い土(フェロシルト) なぜ企業犯罪は繰り返されたのか』(風媒社)、『社会を変えた情報公開―ドキュメント・市民オンブズマン』(花伝社)など多数。NPO法人未来舎代表理事として、政策提言や講演会などをしている。

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