インタビューに答える山下強社長
杉本裕明氏撮影 転載禁止
中国の輸入禁止措置で、国内のあちこちで行き場を失った廃プラスチックの山ができている。国はリサイクル業者に補助金を出したりして国内リサイクルを進めようとしているが、年間100万トン規模の廃プラが蓄積しているとも言われる。
そんな中、茨城県笠間市にある廃プラの破砕工場にペレット製造設備を導入し、量産体制を整えたのが亜星商事株式会社だ。社長の山下強さんは、中国に生まれ育ち、東京大学大学院で経済史を学んだ。縁があってリサイクル業に転身した。中国と日本にリサイクル工場を設置し、日本で破砕した廃プラを中国国内で再生ペレットを製造、供給していた。だが、今回の輸入禁止で、中国国内の工場を閉鎖して日本で再生ペレットを製造することになった。
山下さんは「中国に輸出するだけでなく、今後は日本国内でも流通できないか検討したい。そのためにも、政府は市場で広く流通するような仕組み作りに取り組んでほしい」と語る。
その真意を聞いた。
ジャーナリスト 杉本裕明
月刊1000トンの再生ペレットの量産
工場内のペレット製造施設
杉本裕明氏撮影 転載禁止
――2018年暮れに茨城県笠間市のリサイクル工場で、月刊1000トンの再生ペレットの量産体制を整えました。
中国が廃プラスチックの輸入を禁止するとWTO(世界貿易機関)に通報したのは2017年6月のことです。中国でリサイクル業をしたり、日本から廃プラを輸出したりしていた業者の中には、『今回のように輸入禁止措置をとっても、また再開される可能性がある』と、様子見をする業者もいましたが、私は違いました。それまで、笠間市の工場では、廃プラを破砕・洗浄して中国に輸出し、中国にある工場でそれを原料に再生ペレットを製造していました。しかし、中国が輸入禁止することを知り、中国の工場を閉鎖、笠間市の工場に新たな選別機などを入れて、量産体制を整え始めました。
――月産1000トンというと、日本国内では、多分最大級だと思います。
18年12月から月産1000トンになっています。そのために30人の従業員が2交代制で、フル操業の状態です。原料は、良質の廃プラで、工場や商社などから購入し、PE(ポリエチレン)とPP(ポロプロピレン)ごとに選別を徹底し、良質の再生ペレットを製造しています。
――どんなものに生まれ変わるのですか?
購入してくる廃プラは、梱包に使われるPPバンドとか、タンクの包装資材が8割を占めます。汚れが少なく、単一素材だから、品質の良い再生ペレットを造ることができます。中国は梱包材の需要が増えているので、再生ペレットからPPバンドが造られたりしています。ペットボトルのキャップも農業用のネットに再生しています。上下水道の排水管にも使われます。中国では農村地域での上下水道が整備されつつあり、需要は旺盛です。中国政府は、汚い廃プラは環境汚染を起こすので禁止しています。過去に輸入規制と再開を繰り返してきましたが、今回は変わることはないでしょう。でも品質の良い再生ペレットは輸入されており、歓迎してくれます。
――翻って日本は?
運賃込みでキロ当たり80円から100円ぐらいで売却しているのですが、国内で完売するのが難しい。製造した再生ペレットのうち8割が中国向けです。中国は年間750万トンの廃プラを輸入し、600万トンの再生ペレットが造られてきました。その輸入分がなくなってしまいましたが、良質のペレットなら受け入れてくれます。むしろ、再生ペレットが足りない。反対に日本国内では、再生ペレットを買ってくれるところがなかなか見つかりません。もっと販売したいのですが。
――なぜ、なんでしょうか。
もともと、日本は再生ペレットの市場が非常に小さいのです。例えば、日本は容器包装リサイクル法で、自治体が集めた容器包装プラをリサイクル業者がリサイクルしていますが、リサイクル業者は全国に150社しかなく、一社の製造規模も月100トンとか200トン程度と小さいのです。それに廃プラはPE(ポリエチレン)、PP(ポリプロピレン)といった素材ごとに分別されないまま、混合ごみとして排出されてしまっています。
――これではリサイクルがしにくいわけですね。
そうです。素材が混ざったまま造られた再生ペレットは品質が悪いので、非常に安い値段で取引されています。でもこれらの業者は、容器包装プラの製造者や利用者から処理費をもらってリサイクルしているから、低価格でもやっていけます。しかし、それでは廃プラの再生市場は広がりません。擬木を造るときの増量剤とか、すぐに壊れるパレットとか利用先が限られています。日本のスーパーで、再生プラスチックの商品を見つけることができますか? ごく一部の文房具とか、非常に限られているでしょう。欧州は自動車部品に使うなど、リサイクルの高度化が進んでいます。もっと品質の良い物をつくって市場を拡大していかないといけません。しかし、これは私たち製造者ができるものではありません。政府が市場をつくるための仕組みをつくらねば変わりません。
リサイクルに携わったきっかけ
茨城県笠間市の工場の前で社員のみなさん
杉本裕明氏撮影 転載禁止
――ところで、山下さんが、リサイクルを仕事として始めたきっかけは?
私は、中国の大学を出て、上海の映画会社で映画監督の助手をしていました。3年ほどその仕事に就いたのち、日本に留学しました。まず2年間日本語学校で日本語を習得し、そのあと東京大学の大学院・総合文化研究科に進み、3年間経済史を学びました。その頃、中国の知り合いから、リサイクルできるものを探してほしいと依頼され、メタルスクラップを集めました。パチンコ台なんかが多かった。一本のコンテナに300のパチンコ台を詰め、月に30本ほど送りました。中国で解体し、金属とプラスチックを回収します。人件費が安いので、中国で解体、リサイクルした方がいいわけです。人件費の高い日本ではそんなことはできません。こうしたことを2年していて、リサイクル業が面白くなり、本格的にやることになりました。1996年のことです。
――それがなぜ、廃プラに転進したのですか。
金属のリサイクルに携わっていましたが、それは解体だけで終わってしまいます。あとは、精錬工場がそれを受けて利用しますが、私は精錬工場を所有するのは不可能なことです。それに比べて、廃プラは製品化までかかわることができます。そこで1997年に業態を転換しました。上海から約40キロ離れたところにリサイクル工場を造り、日本から送られた廃プラを原料に、再生ペレットの製造を始めました。うまくいっていたのですが、中国の輸入禁止で、工場を閉鎖せざるを得ず、日本のいまの場所にあった破砕処理工場に、ペレット製造設備を導入することにしました。
――日本に工場を造ったときの苦労は?
工場が稼働するまで、一年以上、まさに工場に寝泊まりして準備に奔走しました。一番困ったのが人材の確保です。最近もベトナムから労働者を入れようと申請しましたが、許可されませんでした。2019年4月から認められた14業種に廃プラのリサイクル業は入っていないのです。よほど高度な技術がないと外国人は働けません。日本人を雇って働いてもらっていますが、この労働の制約は大きい。リサイクルを進めようとするなら、こうしたことも考えてほしい。
アジアと日本の廃プラ事情
――中国が輸入禁止措置をとったあと、日本の輸出業者の多くは東南アジアに向かいました。
中国がだめになった業者は、東南アジアに集中豪雨的に輸出しました。私は2017年秋に東南アジア諸国を回って調べましたが、こんなことは2、3年しか続かないと思いました。そもそも東南アジア諸国には、それだけの廃プラを処理するリサイクル工場がありません。市場も小さい。中国から東南アジアに進出した業者もたくさんありましたが、大半が赤字でした。言葉や文化の違いもあって難しい。それは日本にもあてはまるかもしれません。
――東南アジアはどうなりそうですか。
中国では、輸入の際、業者にライセンスを与える仕組みをとっていますが、マレーシア、タイ、ベトナムなども次々とライセンスを取ることを求め、野放図に輸出できなくなりつつあります。税関が水際でストップし、パニックも起きています。中国では適正な処理をしない業者がいて、ダストが発生し、それが環境を汚染する。それが問題になって輸入規制される。しばらくたつと、輸入禁止措置を解除するといったことが何回か繰り返されてきました。今回の輸入禁止が再び解除されることは二度とありません。この歴史を東南アジア諸国も見ていますから、汚い廃プラを輸出するのは難しくなるのではないでしょうか。
――日本政府は、国内で発生した900万トンの廃プラのうち約200万トンがマテリアルリサイクルされているとしていますが、実はその4分の3に当たる150万トンは中国に輸出されていました。
この20年、輸出依存を高め、廃プラ処理を海外に頼ってきたために、国内の廃プラリサイクル工場は逆に衰退してしまっています。この輸出依存の構造を変えなければいけません。私の工場が製造した再生ペレットが販売できる市場をつくらねばなりません。国内で排出された700万トンの多くは焼却処分されています。発電に利用したりしているといいますが、そこに含まれる品質の良いプラスチックを燃やしてしまうのはもったいない。まず、排出者が単一素材にして渡し、リサイクル業者が品質の良い再生原料を造る。そして、様々な再生品を造っていく必要がある。擬木やパレットだけでなく、もっとデザインに配慮し、おしゃれなものを造っていかないと受け入れられません。
――廃プラスチックからいろんな問題が見えてくるのですね。
私は、『リプラネット』という運動を提唱しています。リプラはプラスチックリサイクルのリプラ、プラネットは地球のことです。地球環境に優しい循環型社会をつくるネットワーク。先ほど述べたさまざまな問題は、私たち製造業者だけでは解決できません。解体と分別、リサイクルしやすい製品の設計、マテリアルリサイクルしやすい製品の構造、分別回収するための排出者と事業者の協力が必要です。そして需要を作り出すために社会の仕組みをつくることが必要です。
よく脱プラスチックを唱える人がいますが、私はこうした原理主義的な考え方には賛成しません。プラスチックは丈夫で長持ちし、いろんな形や色にでき、いろんな製品ができる。社会になくてはならないものです。リデュース(発生抑制)、減量化といったことが話題になっていますが、それはマテリアルリサイクルを進めることによって、本当の減量が進むと、私は思っています。正しいリサイクルをしようとすれば、それに向かないような品質の悪いプラスチック製品を使うのをやめようとなるからです。
――状況は厳しいが、いま、マイクロプラスチックによる海洋汚染が世界的な問題となっています。プラスチックとの付き合い方を考えるいい機会かもしれませんね。
その通りです。1950年代にプラスチックが社会に登場してからいままでを『プラスチック文明の時代』と呼んでもいいかもしれません。そのうち、『リサイクルの時代』はまだ30年ぐらい。これまではプラスチックとの付き合い方が上手ではありませんでした。これからは賢くつきあっていくことです。その一つには、正しいリサイクルを実行することも入ります。リプラネット運動によって、そんな私の考えに共感してくれる人々を増やしていきたいと思っています。
やました・つよし
1964年2月、上海生まれ。中国の大学卒業後映画制作会社で助監督に。その後東京大学大学院に。1994年にリサイクル業を手がけ、現在亜星商事株式会社代表取締役。
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