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日本自然保護協会参与・横山隆一氏 インタビュー(中)

 前回に続き、日本自然保護協会参与の横山隆一氏のインタビューをお送りします。第二回となる今回は、80年代後半から90年代にかけて起きた長野オリンピックのスキー会場整備による自然環境の危機、止まらない公共工事の象徴となった長良川河口堰、各地でミニ開発が進んだリゾート法による開発問題についてお話いただきます。

目次

オリンピックによる環境破壊

杉本裕明:1998年に開催された長野の冬季オリンピックをめぐっては、スキー会場の整備をめぐって、大きな問題が持ち上がりましたね。

横山隆一:オリンピックに便乗したスキー場の自然保護地域への拡張のための開発ですが、同じことは1972年にあった札幌オリンピックでもありました。木を切るべきではない場所に、オリンピックを理由にして、通常では開発できない保護地域内に競技用ゲレンデを作ってしまうのです。これを長野でもやりたい、という話が出たのです。岩菅山は開発が進んだ志賀高原の中で最後の残されたところです。長野県の計画は、岩菅山にある国立公園の特別保護地区を含めた地域を滑降競技の競技場にするという計画でした。この計画を持って県が87年に立候補し、開催が決まりました。長野県知事と西武鉄道、コクド(その後プリンスホテルに吸収合併された)、プリンスホテルは、これを積極的に進めようとしていました。

しかし、これには札幌オリンピックの前例がありました。北海道は恵庭岳の樹木を伐採し滑降競技場にしましたが、その後緑化したが自然は元に戻らないままでした。そんなこともあって、冬季オリンピックで自然破壊が進むと、自然保護にかかわる人々から注目を浴びていました。

杉本:オリンピックが終わったら、開発したところを、お金もうけに利用したいとの思惑があったのでしょう。

横山:そんなこともあってか、ヨーロッパの自然保護団体が中心となって、冬季オリンピックの自然破壊をテーマにしたシンポジウムがフランスで開かれました。長野県からも県庁職員が参加し、「長野オリンピックでは自然破壊を行わない」というスピーチをしました。実は、私たちも、長野県が参加するとの情報を得て、シンポジウムに参加していたのです。県庁の職員が嘘をついたら、それが間違いであるとスピーチしようと。職員たちは、会場にいた私たちを見つけて驚いていました。

私がスピーチで主張したことは、冬季オリンピックは温帯のような国ではなく氷河を持つ寒帯や亜寒帯の国で行うべきだということでした。というのは、それまで冬期オリンピックの会場になってきた欧米では、自然の圧倒的な広さと保護と利用の厳密な区分のために大きな自然破壊は避けられてきましたが、それでも限界が来ていると反対運動が起きていました。日本は温暖で湿潤な典型的な温帯の国で、限られた土地しかない島の中に箱庭のように自然があります。

杉本:日本は、生息する動植物種の数が欧米に比べて圧倒的に多いといわれています。

横山:氷河の上で行うようなスポーツを日本のような温帯の国でやるとしたら、当然高い山の上で行うことになりますから、脆弱な高山帯の木や植物を切らなくてはならなくなる。温帯地域の高山の環境や地形の改変は、明らかな自然破壊です。このスピーチはかなりのインパクトを持って受け止められたと思います。

88年に長野県の保護団体はじめ、様々な保護団体や、日本生態学会などの学術団体が反対の声明を出すと、オリンピック委員会は岩菅山の裏に移動する案を出しましたが、私たちは「自然保護問題の解決に寄与するものには全くなっていない」と反対し、90年に当初の拡張・拡大計画は取り下げられ、当時からあった施設に臨時に仮設コースをつなげることで競技を行うことになり、大きな自然破壊には至りませんでした。

河川法を改正した長良川河口堰問題

公共事業のあり方が問われた長良川河口堰
三重県桑名市 杉本裕明氏提供 転載禁止

杉本:白馬の八方尾根への変更ですね。それも問題が起きました。コースの一部が中部山岳国立公園の特別地域にかかっていました。委員会が思案し、手前に山を盛り、特別地域をジャンプして飛び越えるという苦肉の策をひねり出しました。オリンピックでは、転倒する選手が続出するというおまけもつきました。

その頃、日本自然保護協会がもう一つ精力を傾けていた案件が長良川河口堰問題です。長良川の河口から5.5キロの地点に長さ661メートルの可動堰を設置するというものです。洪水を安全に流すために下流の河床を掘削せねばならないが、海から海水が上ってくるので、それをふせぐために河口堰が必要だという理屈です。建設省(現国土交通省)の関連団体の水資源開発公団(現水資源機構)が1500億円かけました。90年に着工しましたが、横山さんがかかわったのは、もう少し前ですね。

横山:この問題で苦しんでいた中部圏の自然の愛好家たちが自然保護協会に援助を求めてきました。「長良川河口堰建設をやめさせる市民会議代表」の天野礼子さん、写真家、映画監督も兼ねる作家の椎名誠さん、カヌーイストで知られる野田知佑さんといったメンバーが、長良川河口堰の建設に反対する運動をしていたのですが、国にやめさせたい、自然保護協会の力を借りたい、と話を持ってこられたのです。ただ、彼らの運動のスタイルでは反対の理由を論理的に説明することができず、自分たちの運動だけでは足りないと思われたようです。そこで、自然保護協会は研究者を組織化し、長良川の価値と自然に対する河口堰の悪影響を科学的にとらえ、社会に訴えようと考えました。

それで、河川工学や魚類、底生動物などの研究者の協力を得て、河川問題調査特別委員会と、長良川河口堰問題専門委員会を設置しました。先の方は、全国の河川を巡る問題に調査、検討を行い、あるべき姿の指針をつくるのが目的です。後者はすでに建設が進んでいる長良川河口堰が緊急の問題として調査、検討し報告書をまとめようとするものです。専門委員会は、長良川河口堰が完成すると、川にどんな影響を与えるのかを検証するため、建設省が作った自主アセスメントである木曽三川河口資源調査報告(KST)、70年代に漁民が起こした裁判資料、公団資料を検証し、現地調査も踏まえ、7年から8年かけて行いました。報告書も毎年4、5冊作ったと思います。

杉本:委員長は生態学の川那部浩哉京都大学教授、委員には陸水学の西条八束京都大学名誉教授、陸水生物の桜井義雄信州大学教授、公衆衛生学の田中豊穂中京大学教授など、当時の学問の最高水準といえるそうそうたるメンバーです。日本自然保護協会の会長は生態学の権威、沼田眞さんです。これらの研究者には、私も取材で何回もお会いし、ずいぶん薫陶を受けました。

90年に問題点をまとめた中間報告書がでて、問題点が浮き上がってきました。堰でせき止められて湖のようになり、富栄養化が進んで水質が悪化するとか、魚類への影響調査が著しく不足しているとか、その後の河口堰の未来を予見したような指摘です。いったん工事を中止し、環境アセスメントをやり直せというのが結論でした。

建設省も無視できなくなり、工事をしながら、調査と予測評価をやり直すことになりました。

横山:こうして水資源開発公団と建設省に、長良川河口堰の建設を止めるよう主張したのですが、私たちがこの作業を始めた1988年には、長良川河口堰は9割完成していました。1995年に河口堰は完成します。ただ、農業用水として一部の機能を使うだけで、毎秒22トン確保できる水の大半は使われずにいます。協会は、環境を回復するために、河口堰のゲートを開けて影響を調べるよう求めていますが、水資源機構は応じてくれていません。ただ、完成後も事後調査を続けてはいます。

杉本:河口部に有機物が堆積し、ヘドロ化が進み、天然のアユや貝の激減など、影響は明らかにありますね。ところで、協会をはじめ、多くの団体などによる運動は、国の河川政策を変える大きな力となりましたね。

横山:かなり影響したと思います。河川の管理や工事を定めた河川法の改正に結び付きました。それまでの河川法は、台風や水害などから河川の氾濫を守る治水と、水を利用する利水しか考慮されておらず、河川の環境については考えられていませんでした。しかし、これをきっかけに河川法に河川環境への配慮が含まれることになりました。自然保護協会にとっては、保護林制度の改正と並んで大きなポイントだったと言えます。

時代がそういう極端なものを嫌うと言うか、極端なことを言えば言うほどお金が流れてくるという、当時の税金の使い方の大問題にも共通した問題だったと思います。

杉本:国土交通省の内部も長良川河口堰問題を担当した技官たちが改革派となって、河川政策の見直しを始めました。自然を生かした川づくりもそうです。全国のダム建設計画も見直し、白紙に戻したダム計画もかなりの数になりました。しかし、こうした経験は次第に忘れさられることになります。やがて改革派の官僚たちは表舞台から退場し、先祖返りしてしまったのは残念です。

リゾート法とイヌワシ

インタビューに答える横山氏
杉本裕明氏撮影 転載禁止

杉本:横山さんは、猛禽類の専門家として知られ、造詣も深い。秋田県で起きたイヌワシ問題を聞かせていただけますか。

横山:それは1987年に制定されたリゾート法が大きく関わっています。この法律は、質の高いあらゆる自然環境の中にリゾートを作ろうとしたものですが、国有林の自然林地域の計画は拡大造林政策の延長線で出てきたとも言えます。林野庁の官僚たちは、国有林を切って売却し、利益を得る。伐採したところに人工林をと思い描いていましたが、安い輸入材に押され、市場は低迷して経済効果が見込めなくなりました。

木が切れないなら、森の真ん中にホテルを建てて、スキー場やゴルフ場を作ることで経済効果を発生させようというわけです。この法律のどこが恐ろしいのかと言うと、リゾート法で重点整備地区に指定された場所は、それまでそこの自然の質を維持してきた資源保護や自然保護の法律の制限にとらわれずに自由に開発できることにありました。

杉本:リゾート法に反対すべきはずの、環境庁はだんまりを決め込んでいました。バブル景気のころですから、この法律が、土地の買い占めを全国に波及させることになりました。まるで熱に浮かされたように。

横山:リゾート法による田沢湖一帯の開発に、JR東日本も積極的でした。秋田新幹線の開発とセットだったからです。あまり人が入らないような田舎にリゾート地を作り、そこに新幹線が通る。しかも、地方の自然保護団体の手が回らないぐらい、いろいろなレジャー施設が広大な地域に計画される一大開発でした。

なんとかしないといけないと、リゾート法の重点整備地区を解除させる方法を考えたところ、浮かんできたのが絶滅の危機にある森林性の大型猛禽類の繁殖地との関係でした。北海道、東北、北陸、中部、関東を中心に森林地帯のリゾート計画は進んでいましたが、そのほとんどがイヌワシやクマタカといった希少となった大型猛禽類の重要な繁殖地と重なっていると思われたのです。

杉本:たくさんあった重点整備地区の中で、なぜ、秋田に焦点を当てたのですか?

横山:秋田の田沢湖に特徴的なイヌワシのペアが生息していたことが理由でした。このペアはそれまでで最も繁殖成績が良く、十年間連続で子供を巣立たせ続けていたペアでした。その営巣地を取り囲むように、ホテルやスキー場、ゴルフ場をつくろうとしたのが、田沢湖高原のリゾート計画でした。

この頃、環境庁には絶滅危惧種を救うための制度はありませんでした。そこで私たちはイヌワシの生態を調査し、自主アセスメントを行いながら、環境庁に絶滅の危機に瀕した大型猛禽類の保護の指針を作るよう促しました。実は当時、環境庁は「種の保存法」という希少野生生物を守る法律をつくろうと、水面下で準備をしており、93年に法制化されました。

杉本:当時の環境庁の官僚たちは、まずは希少な生物種を守らねばと、建設省や農水省などの抵抗を受けながら、法案を国会に出そうと必死でした。妥協の結果、成立した内容には不満もありましたが、成果もありました。

横山:その後、イヌワシもクマタカも絶滅危惧種にリストされ、政令指定種になりました。そうなると、開発行為の際に、国や自治体が開発事業者に実施を求めていた環境アセスメントの難易度が急激に上がることになりました。開発地内に繁殖地があれば、そこには手をつけられません。あまりに酷いリゾート計画は次々に中止されることになり、田沢湖の計画は中止の第一号になりました。

このリゾート法は、議員立法で自民党が提案してできた法律なので、環境省も従うしかありませんでした。そんな中で、自然を守るためにどんな手を打つべきかを考え、うまくいった例の一つです。


横山隆一氏のプロフィール
(公財) 日本自然保護協会参与。89年保護部部長、2000年から2014年まで理事。猛禽類の専門家で、環境省、林野庁など国の検討会の委員などを歴任。日本イヌワシ研究会副会長、奥利根自然センターの代表も務める。近く、昭和の終わりから平成にかけての自然保護運動の成果と方法論をまとめた「NGOが作った平成の自然保護運動(仮題)」の刊行が予定されている。


杉本裕明氏のプロフィール
朝日新聞元記者。環境分野全般に精通し、著書に「にっぽんのごみ」(岩波新書)、「環境省の大罪」(PHP研究所)、「赤い土・フェロシルト―なぜ企業犯罪は繰り返されたのか」(風媒社)、「環境犯罪―七つの事件簿(ファイル)から」(同)など多数。NPO法人未来舎代表理事として、講演活動などもこなす。

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この記事を書いた人

朝日新聞記者を経て、フリージャーナリスト。廃棄物、自然保護、地球環境、公害など、環境の各分野に精通する。著書に『ルポ にっぽんのごみ』(岩波書店)『ディーゼル車に未来はあるかー排ガス偽装とPM2・5の脅威』(同、共著)、『環境省の大罪』(PHP研究所)、『赤い土(フェロシルト) なぜ企業犯罪は繰り返されたのか』(風媒社)、『社会を変えた情報公開―ドキュメント・市民オンブズマン』(花伝社)など多数。NPO法人未来舎代表理事として、政策提言や講演会などをしている。

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