これから美里湿地に入る
杉本裕明氏撮影 転載禁止
東京と名古屋間の8割を地下トンネルで通過する予定のJR東海が進めるリニア中央新幹線。岐阜県ではいま、トンネル工事が佳境に差しかかっています。御嵩町では、美佐野ハナノキ湿地群の地下を通過、トンネル工事から出た90万立方メートルの残土をこの湿地に持ち込もうとし、住民から批判を浴びています。そもそも、国が選定した重要湿地を汚染土と建設発生土で埋めることが許されるのか。残土問題に詳しい畑明郎・元大阪市立大学教授(環境政策)に聞きました。
ジャーナリスト 杉本裕明
重要湿地リストの原案に明記されていた美佐野ハナノキ湿地群
美佐野ハナノキ湿地群が含まれる東濃地域湧水湿地群は、環境省が2016年4月に保全・保護すべき重要な湿地として全国で指定した633湿地の1つだ。
ところが、環境省のホームページにある日本の重要湿地を見ると、東濃地域湧水湿地群の名前はあるが、それを構成する湿地として、大森湿地群などの湿地が明記されているだけで、美佐野ハナノキ湿地群の名前はない。
ところが、筆者が入手した環境省が2015年3月までに作成されていたリストの原案には、美佐野ハナノキ湿地群が明記されていた。
環境省自然環境計画課の担当者は、「美佐野ハナノキ湿地群はよく知られる存在ではないので、公開時に『など』という形にして残した。選定された重要湿地の1つであることは間違いない」と話す。
御嵩町は、選定当時、美佐野ハナノキ湿地群が重要湿地に含まれていることを知っていたのではないかとの疑問が町民から出ている。というのは、選定の過程で、美佐野ハナノキ湿地群を選定・公表する予定であることを告げた環境省に対し、異議を申し立てる文書を提出したり、選定されるかどうかを同省の地方機関に問いあわせたりしているからだ。
文書を受けた環境省は、御嵩町に配慮して、美佐野ハナノキ湿地群の名前の公表を控えた。
2022年夏に開かれたフォーラムで、町民から、選定された重要湿地に美佐野ハナノキ湿地が含まれていた事実を突きつけられるまで、町は、町民にその事実を公表せずにいた。一方、JR東海は、「その夏に重要湿地に選定されていたことを知った」(広報部)としているが、委託されたコンサルタント会社が湿地について調査と情報収集しており、JR東海の公式見解を信じる町民は少ない。そもそも町とJR東海は、湿地について、詳細な情報を出さずに来た。美佐野ハナノキ湿地群は、現在、ハナノキの研究者や学者、町当局の調査によって、押山川(美佐野東側)と木屋洞川(美佐野西側)に挟まれた一帯とされている。
御嵩町には生物環境アドバイザーという制度がある。町の希少動植物保護条例に基づき任命された有識者が、町の依頼で調査し、開発計画のある場所についてアドバイザーが町に意見を述べる役割を担う。町はそれを参考に開発業者を指導するから、かなり重要な役職である。
リニア残土の問題では、町が挙げた候補地について、アドバイザーとJR東海、町の担当者が出席した生物環境アドバイザー会議が2015年、2回開かれている。
「ハナノキだけでなく、希少な植物や生物の宝庫です」と語る篭橋さん
杉本裕明氏撮影 転載禁止
出席したアドバイザーの一人、篭橋まゆみさんは、美佐野ハナノキ湿地群のハナノキなどの調査に取り組み、研究者らでつくる湧水湿地研究会のメンバーで、JR東海も篭橋さんの知見を重視していた。
この会議の席で、篭橋さんは、この湿地の重要性を、ハナノキを中心に説明し、「候補地になる前に、適地かどうかを調べたのか。ここは適地ではない」「ハナノキやシデコブシはこの地域固有のものなので、移植もすべきではない」と意見を述べた。
ミニツツジ。春になると、花が咲く
杉本裕明氏撮影 転載禁止
調査した知見をもとに、JR東海に湿地の回避を求めたことを、当時の町役場は嫌ったようで、2017年には、町役場の職員に呼びつけられ、JR東海の職員と電話で会話したことを理由にアドバイザーを辞職するよう迫られたという。湿地の情報と価値をJR東海に伝えた篭橋さんは、一部とは言え、JR東海が、ハナノキの群生地を埋立候補地から外すことにした最大の貢献者だった。しかし、2019年3月、町は篭橋さんの生物環境アドバイザー再任を認めず、を事実上の解任となった。
こちらはミヤマウメモドキ
杉本裕明氏撮影 転載禁止
篭橋さんは「重要湿地に指定された貴重な湿地を、残土で埋めてしまうようなことは許されない。JR東海はハナノキが集中する区域を避けることを決めるなど、配慮した点もある。当時の町は、湿地の価値を理解せず、希少動植物の存在への配慮もなかった」と話す。
ぬかるみの中、湿地を歩く
筆者は、篭橋さんらの案内で、美佐野ハナノキ湿地群に足を踏み入れた。「これがハナノキです。幹にマジックでナンバーをつけているんです」。近づいて見ると、幹に数字が記されている。
ハナノキには番号が振られている。これは22番
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様々な植物が生育し、まるで密林のような中に、足を踏み入れて進む。
「これはミカワバイケイソウ。東海地方にしかないんです」
まるでハナノキを自分の家の庭に植えたように、次々と説明していく。その足取りは軽やかで、ぬかるみに足を取られっぱなしの筆者は、置いてきぼりをくらいそうだ。
約3時間。ハナノキの成木は80本以上あるが、うち3分の1近くを見ただろうか。ハナノキには雌と雄があって、その見分け方を篭橋さんが教授した。中には老木となり、倒れたような格好のハナノキもある。しかし、その幹から枝が出て、葉をつけている。その近くには幼木も多数見られる。
ハナノキの雄(左側)と雌。同じ根から分かれている
杉本裕明氏撮影 転載禁止
希少植物のハナノキやシデコブシが自生し、天然記念物のギフチョウ、サシバ、ミソゴイといった絶滅危惧種の生息域でもある。この湿地が保全されるとともに、環境教育など賢い利用(ワイズユース)も可能ではないか。
なぜ、御嵩町だけが恒久的な埋め立てなのか
東濃地域は、ヒ素やフッ素などによる自然由来の汚染された土が点在することで知られる。土壌の環境基準を超えると、そのままの状態での盛土は認められず、汚染物質を除去する中間処理をし、無害な土の状態に戻して有効活用を図るか、汚染土を封じ込めた状態で隔離して埋め立てるか、どちらかの方法をとらねばならない。
JR東海は後者を選択した。汚染された要対策土22万立方メートルを町有地7ヘクタールで恒久的に保管するというが、跡地の利用は目処がたっておらず、事実上、土捨て場、あるいは残土処分場扱いとなる。
要対策土は、土壌環境基準を上回る汚染物質を元々含む自然由来の汚染土壌だが、JR東海は、岐阜県瑞浪市、可児市の掘削現場から出た要対策土は、いずれも市内に設置した仮置場に搬入している。瑞浪市では、その仮置き場から要対策土を三河湾の海岸に埋め立て処分している。
一方、JR東海は、御嵩町で恒久処分を考えている。7ヘクタールの町有地に50万立方メートルの残土を持ち込みたいとし、そのうち22万立方メートルは要対策土が占める。
2重の遮水シートで包み、外部と遮断し、汚染を防ぐというが、「地震や豪雨で盛土が崩れたりして、下流の河川を汚染することがないのか」、「他の市では、可児市にある無害化処理施設で処理している」との疑問が町民から噴出。6回開いたフォーラムでは、町、JR東海の説明に住民たちは納得しなかった。
町長が交代し、新局面に
混迷する御嵩町を象徴するように、2023年2月、渡邊公夫町長が4カ月後に予定されていた町長選への不出馬を表明した。渡邊町長は、町議を経て、2007年、柳川喜郎町長に禅譲される形で町長に就任。4期目の町長はライバルもおらず、次の選挙への出馬が当然視されていた。
しかし、これまでの「ワンマン町政」に住民の不信感が根強い上、さらに、町長が78億円以上の予算を投じての役場・町民ホールなどの建設計画を打ち出したことに対し、「町民への十分な説明もなく計画を強引に進めた」と住民から批判の声が高まった。
さらに、建設予算の差し止めを求める住民訴訟を起こされた。原告の1人は「計画の検討段階で、肝心の建設費がいくらかかるか、町は隠し通し、計画が本決まりになる寸前に明らかにした。
工事費はさらに高騰し、御嵩町の予算を大幅に超える100億円とも言われる。将来、禍根を残すようなことを認めるわけにはいかなかった」と批判する。
「以前から4期限りで引退すると決めていた」と町長は釈明したが、素直に受け取る町民は少なかった。それに代わって、町民の声を聞き、町政の刷新を打ち出した元岐阜県職員の渡辺幸伸さんが立候補し、6月の町長選で当選した。
こうして、新町長のもと、新庁舎建設は、いったん白紙に戻し、一から検討し直すことになった。リニア残土問題は、「住民の声をしっかり受け止め不安解消に取り組む」との公約をもとに、渡辺町長は、JRとの協議に臨むとの姿勢だ。これに対し、JR東海は「これまで町に説明した内容で最後とせず、新町長と協議していく」(広報部)としている。
渡辺町長は、8月から町民との懇談会を公民館などで開き始めた。9月議会で、リニア残土の問題を検討するため、新たに審議会を設置し、審議することを表明した。委員は最大15人で、有識者、町民代表、公募委員で構成され、残土処理の在り方を審議し、答申をまとめ、町長に提出。それをもとに、町がJR東海と協議することになる。
リニア残土の持ち込みに反対してきたある町民は、「審議会の設置は、以前のような情報を隠し、町長の独断で進めてきた町政を改めるための手段としてよいことだ。町民の声に耳を傾けて、より良い結論を出してほしい」と話す。
JR東海は町との協議を経て、町の理解を得た上で、保全策を検討した文書を県に提出。環境影響評価審査会で審査を経て、環境保全計画書を作成、残土処理・処分が実施される。
残土問題に詳しい畑明郎・元大阪市立大学教授(環境政策)にこの問題を聞いた。
――環境省が重要湿地に指定した御嵩町の美佐野ハナノキ湿地群のある地区に、90万立方メートルの残土が埋め立てられようとしています。どう見ますか?
畑「まず、JR東海は、きちんとした形で環境アセスメントをしていません。本来は、この手続きの中で、発生した残土をどこに持って行くのか、どんな形で処理・処分するのか、残土が環境に悪影響を与えないために、どんな保全措置を行うのかといったことに、答えないまま、後回しにしてしまいました。たぶん、処分先が見つからなかったからでしょう。それなしに、トンネル工事を始めています」
「いまも、処分先が見つからなくて困っている。環境省が指定している重要湿地に持ち込み、土の捨て場所にするなど、とんでもない話です。こんなJR東海の勝手な都合を認めているようでは、事業者に合わせた『環境アワセメント』と言われてもしかたがありません」
「汚染された残土は浄化処理するべきだ」と語る畑明郎元大阪市立大学教授
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――中でも、住民が心配しているのが、自然由来の汚染土壌の存在です。JR東海の推定では、環境基準を超えたヒ素やフッ素などの有害物質を含む汚染土が、22万立方メートルを占め、JR東海は、遮水シートを二重にして包み、埋めるので、周辺環境を汚染しないといっています。
畑「それは通りません。遮水シートはプラスチック製だから劣化します。自然状況によっては10年以上たつと破損する恐れが出てきます。私は、遮水性の高い粘土を1メートルぐらい敷き詰めた方が、まだましと思います。しかし、汚染された土はいつまでも残る。遮水シートで包んだ汚染土の上部に建造物は建てられませんから、有効活用はできません。いつまでも汚染された土地という名前が残ります。さらに、汚染された浸出水が出ないか、永久に管理しなければならない。やっかいで、地元にとって、何のメリットもないどころか、大きな負の遺産となります」
――なんで、こんなやっかいなものを造ろうとするのでしょう。
畑「こんなことをJR東海が考えるのは、お手軽で、工事費を安くあげられるからでしょう。実は、土壌汚染対策法のもとで、自然由来の汚染土壌も含め、汚染土壌を無害化する施設が全国各地につくられ、いまでは、汚染土壌ビジネスが大はやりです。水で洗浄して粒子の細かい粘土に汚染物質を吸着させ、浄化された砂は、リサイクル材として再利用できます。公共事業や民間事業でも、こうした水洗浄処理が行われています。調べてみると、御嵩町の隣の可児市に汚染土壌の浄化処理施設があります。無害化できるリサイクル施設があるのに、そこに頼むとコストが高くつくから、やらないというのは、あまりにも身勝手です」
元は池だった。水が抜かれている。ここにJR東海は、リニア残土を持ち込む計画という
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――重要湿地の選定では、環境省が、町から選定から外すよう要求されたところで、きっぱり断り、美佐野ハナノキ湿地群をホームページに載せればよいことです。それを「など」に含まれるといって、環境省自らがごまかしてしまいました。このため、実際には選定されていたにもかかわらず、知っていたと思われる町とJR東海もそのことを公表せず、住民は知らずに来ました。
畑「御嵩町からの要請文書を受け取った環境省が明記をやめ、『など』に含めた経過もおかしい。御嵩町が国に無茶な要求をしたところで、国は小さな町がそんな要求をしても配慮しないと思います。官僚は政治家に弱いと言われますから、やはり、政治家の影を疑ってしまいます。まだ、遅くはありません。御嵩町の美佐野ハナノキ湿地群は、残土の埋立地としないよう、JR東海には再考を求めたい」
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