突然ですが「SF思考」という言葉をご存じでしょうか?
SF思考とは、SF小説を書くように未来を想像し、そこでどのような道具が使われているのかを想定し、そこで起こる問題を洗い出していき、最終的に現代のビジネスに落とし込んで課題解決方法をイメージしていく手法です。SF小説で未来を描く思考法はビジネスでも活用できるということです。
また、実際のSF小説からビジネスの着想を得るパターンもあります。最近何かと話題の「メタバース」も、アメリカのSF作家ニール・スティーヴンスンが1992年に発表した『スノウ・クラッシュ』という小説の中で最初に登場した言葉です。
この小説の影響を受けて事業を展開している起業家も少なくありません。VRヘッドセットの「Oculus」の創業者パルマ―・ラッキー氏も少年時代の愛読書として『スノウ・クラッシュ』を挙げていますので、その読書体験が現在のビジネスの着想に繋がっていることは間違いありません。
今回は、理想的なエコ社会を描くSF作品をご紹介します。
「エコトピア」の由来もSF小説?
今、皆さんにご覧頂いているこのWEBメディアの名称は「エコトピア」なのですが、何を隠そうこの名の由来となったのもSF小説なのです。その小説とは、アーネスト・カレンバック著『エコトピア・レポート』です。『エコトピア・レポート』は1974年に書かれた小説ですので、今から50年近く前に書かれた小説ということになります。
『エコトピア・レポート』のあらすじ
小説の舞台は、これが書かれた1974年から15年後の1999年のアメリカです。簡単なあらすじですが、
- 1980年、アメリカ合衆国からカルフォルニア州北部、オレゴン州、ワシントン州が独立し、「エコトピア」という国ができた。
- 1999年、アメリカ人記者のウィリアム・ウェストンがアメリカ人として初めて公式訪問を許され、この神秘の国のベールをはがし、その全貌を明らかにしていく。
といった感じです。全体の構成はウィリアム・ウェストンの書いた記事と日記を交互に織り交ぜた格好となっています。この小説の最も特徴的な部分とは、舞台である「エコトピア」という国のあり方です。名前からわかる通り、とにかく徹底したエコロジー至上主義国家なのです。
「エコトピア」のエコ徹底ぶりとは?
「エコトピア」という国がいかにエコに徹しているか、本コラムのテーマである「リユース」を軸に紹介していきたいと思います。
一ブロック、ないし二ブロックほどのところなら、エコトピア人はたいてい、白塗りのプロボ自転車に乗っていくが、それが、街路に何百台となく放置されていて、だれでも自由に使うことができる。日中から夕方にかけての市民の移動によってそれらは散りぢりになるが、翌日にそなえて夜勤部隊の手で元に戻される。
今でいうところの「シェア自転車」です。エコトピア人は基本的にものを大事にし、長い間使い続けます。
また、エコトピア人は自転車を非常に好んでおり、後の記述にありますが、単に移動手段として優れているというだけでなく、〈病気を予防する輸送手段〉と捉えており、おまけに美的観点からも優れていると、とあるエコトピア人は評しています。
ちなみに、エコトピアでは個人による乗り物の所有は禁止されています。
続いて、リユースというよりリサイクルに近いですが、エコトピアの汚水処理システムについてです。
食物のくず、汚水、塵芥などはすべて有機肥料に変換して、大地に戻し、ふたたび食糧生産サイクルに入れこむ。したがってエコトピアの各家庭では、塵芥をすべて、堆肥にするものと、再生可能なものとに分別することが義務づけられている。
なかなか理想的なリサイクルシステムです。わが国の江戸時代のシステムに近い形でしょうか。現在のわが国では生ごみのほとんどは燃やされるか埋められています。また、汚水まで再利用するというのはごく一部分のみに留まります。汚水をそのまま下水に垂れ流すということは、エコトピア人から言わせると単なる〈廃棄システム〉でしかなく、生産的な再生も行われず、故に犯罪的行為と見なされてしまいます。エコトピアでは徹底したサーキュラーエコノミーが行われているのです。
次は製品のあり方についてです。
現在、新製品のパイロット・モデルは、まず十人の普通人(当地では、礼儀正しい会話の中では〈消費者〉という言葉は使われない)からなる一般グループに提供されねばならないことが法律で定められている。そこで、故障が普通の用具で修理可能と立証されれば、製造が許可されるわけだ。
最近注目されつつある「修理する権利」はまさにこれです。エコトピアの製品は頑丈かつ修理ができなくてはならず、修理して使い続けることが前提となっています。しかも、修理は業者に頼むのではなく基本的には自分で行います。よって、製品のライフサイクルは長くなります。
また、〈消費者〉という言葉、私たちは当たり前に使っていますが、よくよく考えるとこれからの時代にはそぐわない言葉なのかも知れません。そういうことを、50年近く前の小説から気付かされるのも凄いことです。
最後に、この小説の中で最も心に残った一節を紹介します。
われわれは〈物〉という見方をしない──物というようなものはない──あるのはシステムだけだ。
これはとあるエコトピア人の言葉ですが、ここに著者アーネスト・カレンバックの哲学を垣間見たような気がします。私たちが何気なく使っている製品も、自然の中にあるものを取り出して作られたものです。今目の前にある製品とは、自然という大きなシステムの流れの中で、たまたまその一部分が製品という形で表出しているだけであり、いずれは流れの中で様相を変えていくもの、私はそのように解釈しました。
ヘラクレイトスの万物流転や仏教の諸行無常などの思想に通じるものがあると思いました。このような思想が根本にあればこそ、自然の流れの中で不自然なものは作らないという考え方が、エコトピアでは根付いているのだと思います。(まあ、小説の話ではありますが・・・。)
いずれにしても社会と思想とは密接な関係がありますので、新しい社会のあり方にも、その土台となる新しい思想が必要だといえるのではないでしょうか。
『エコトピア・レポート』に学ぶこと
ここでは紹介しきれませんが、他にもまだまだ多くの事例があります。エシカルなファッション、テレビ会議システム(今でいえば「Zoom」?)、森林に対する思想、バイオプラスチック、潮流発電、等々、私たち現代人がはっとさせられるような社会のあり方が描かれています。
この小説はSF小説ではありますが、決して荒唐無稽なものではなく、ひょっとしたら実現可能なのではないか?と思わせるところに妙があります。しかも、それが書かれたのが50年近く前でありながらも古臭さは全くなく、むしろ今のような時代背景の方がかえって新鮮味を帯びて受け入れることができるのではないかと思います。
気候変動問題をはじめとし、多くの環境問題を抱えている今だからこそ、私たちがこの小説から学ぶ意義は非常に大きいと思います。
新しい社会のあり方の着想を得る上で、何らかのヒントになるのではないかと思います。この記事を読み、もし少しでも興味を持たれたのであれば、是非読んでみて下さい!
コメント