NPO法人環境文明21を創設し、30年近く環境市民運動を続けてきた加藤三郎さんは、もとは環境官僚だった。地球温暖化が世界を揺るがす大きなテーマに浮上したころ、環境庁(現環境省)の初代地球環境部長として国際交渉を担った。1992年にブラジルであった「地球サミット」には、環境庁の事務方を代表して参加、地球温環境行政の道を切り開いた。しかし、官僚としての限界を感じて退職、市民運動に飛び込んだ異色の人物でもある。地球温暖化問題は、加藤さんの最大のテーマだが、プラスチック問題にも造詣が深い。
聞き手 ジャーナリスト 杉本裕明
環境危機の重要な1つがプラスチックの氾濫
――世界規模での海洋汚染問題に端を発し、プラスチックが大きな社会問題になっています。加藤さんは、2020年に出版された著書「危機の向こうの希望 『環境立国』の過去、現在、そして未来」(プレジデント社)でもプラスチック問題を取り上げ、「プラスチックは、経済的便益と環境保護の必要性の間のバランスを取ることの難しさを象徴する最もわかりやすい事例」として、論を展開されています。
NPO法人環境文明21顧問 加藤三郎さん
杉本裕明氏撮影 転載禁止
加藤「異常気象の頻発、台風の破壊力の増大、海水の酸性化、土地利用の激変、微量の化学物質が蝕み続ける人体、生き物たちの急速な減少や種の絶滅――。こうした環境危機は、私たちが気づかないうちに静かに進行しています。プラスチックもその重要な1つだと思います」
――プラスチックは、私たちの身近にあるものです。
加藤「そう。著書に書いたように、プラスチックは経済的便益と環境保護の必要性の間のバランスをとることの難しさを象徴する最もわかりやすい事例だと思います。プラスチックが世の中に出たのは20世紀の初めですが、軽くて、安価で、丈夫で、成形しやすく使い勝手のよい特性を持った材料です。すぐに時代の寵児となってあらゆるところで使われ、私たちの生活になくてはならないものになりました。黎明期とも言える1950年の世界の生産量は150万トンにすぎなかったのが、2015年には3億2200万トンにもなっています。つまり70年間に260倍。驚異的な増加といってよいでしょう」
――それが、環境危機といってもよい事態になっていきます。
加藤「日本で広く使われるようになったのは1960年代になってからですが、60年代後半から自治体のごみ処理に大きな影響が出始めたのです。プラスチックは熱量が高く、焼却炉で燃やすと高温になって炉を故障させてしまいます。自治体は、プラスチックごみを埋め立てごみに分類したり、プラスチックごみを燃やしても炉が壊れないようにメーカーに改善を求めたりしました。処理が難しいプラスチック製品を回収するように国に陳情したりしました。当時、川崎市の衛生局長だった工藤庄八さんは、現在のパッカー車を開発したごみ行政の先駆者ですが、その工藤さんが、こんなできごとを語っています」
「通産省を訪ね、乳業メーカーが牛乳瓶をプラスチック容器に替えようとする動きをやめさせてほしいと陳情し、『炉の修繕に5000万円もかかります』と訴えたところ、応対した課長が、『たった5000万円か。壊れない炉を造りたまえ』と言った。『実態を知らずに何をいうか』と、国の課長をこのあと、こてんぱんにやっつけたという逸話が残っています。それほど、自治体は困っていました」
環境官僚としての経験
皆木優子氏撮影 転載禁止
――加藤さんは、80年代半ばに厚生省でごみ問題を担当する環境整備課長をしておられます。どんな状態でしたか?
加藤「当時は乾電池に含まれる水銀が大きな問題になり、乾電池業界に含有量を減らすように指導し、都市ごみ対策のために新たな財団作りに取り組んでいました。プラスチックも使用量の増加が続き、消費者を真ん中に挟んで、プラスチック容器の生産者と自治体のごみ清掃当局との対立が深刻化していました。直面した課題が2つありました。1つはプラごみの量。もう1つは質の問題です」
――というと?
加藤「量の問題としては、プラスチック容器は軽くてかさばり、腐らない。だから、すぐに埋立処分場が満杯となってしまい、埋め立て地不足の問題が深刻化しました。質の問題では、燃やすと毒性が非常に強いダイオキシンが発生することでした。環境整備課長時代に、愛媛大学の立川涼教授が焼却炉によるダイオキシンの発生を確認し、それが新聞で大々的に報道されると、各地の焼却施設周辺の住民と自治体の清掃部局の間で大騒ぎになりました。しかし、この頃は、プラスチックごみを燃やしても問題ないようにどう対策をとったらよいのかと、考えられており、現在のようにプラスチックごみの削減という話にはなりませんでした」
不十分だったリサイクル社会づくり
――加藤さんが環境庁に戻った後、厚生省はガイドラインをつくり、対策に乗り出しました。しかし、内容は対処療法だったわけですね。90年代後半にこの問題が再燃し、大きな社会問題になります。
加藤「国は、量の問題に対しては、ドイツに学んで拡大生産者責任の原則から、1995年に容器包装リサイクル法を制定しました。プラスチックの約4割を占める容器包装のリサイクルを進めることで、焼却や埋め立てに回るプラスチックを減らしていこうということになりました。もう1つの質の問題では、議員立法でダイオキシン類対策特別措置法が制定し、ダイオキシンの環境基準を定めて焼却炉からの排出を規制するとともに、国がダイオキシン対策を施した焼却施設の導入促進と、政府からの補助制度の充実で何とか乗り切ったのです。3Rのかけ声のもと、資源循環のリサイクル社会作りが進められてきましたが、なお不十分なものでした」
環境市民運動は、自販機問題から
――加藤さんは、1993年、地球環境部長の時に環境基本法づくりに取り組み、成立の見込みがたったところで退官し、市民運動に飛び込まれました。その頃、ごみは増え続け、プラスチックも問題になっていました。
加藤「プラスチックは人間にとってありがたい存在だが、腐ることもなくいつまでも存在し続け、悪さをすることになります。同じようなものが、飲料自動販売機でした。あれば便利で、暑い時は冷たいものが、寒い時にはあったかいものが安価で手に入ります。しかし、エネルギーを余分に使い、景観にもよくない。小型のペットボトルの解禁で、自販機にペットボトルが一番大きなスペースを占め、路上に捨てられたペットボトルや缶が散乱しています。私は快適性と環境を守るという両面から、どこかに解があると考え、調査を始めました。当時、約550万台の自動販売機が設置され、うち約260万台が飲料自販機でした。この飲料自販機の年間電力消費量は78億キロワット時で、大型原発1基分の年間発電量に相当します。そこで適正管理をめざした条例モデルを示し、自治体に働きかけました」
――この運動の影響もあって、事業者も回収ボックスを置いたり、省エネに取り組んだりするようになりました。
加藤「幾つかの自治体に条例をつくる動きも出てきました。私たちが生きる上で必要なもの、電気とか、交通機関とか、飲料とか、プラスチックが起こしている問題に対し、どう立ち向かっていったらよいのかとつきつめると、この環境問題というのは文明の問題ではないか、考えるようになったのです。つまり、大量生産、大量消費、大量廃棄の社会そのものを変えないと、環境問題は解決しないとなったのです」
海洋汚染が深刻化した
皆木優子氏撮影 転載禁止
――環境文明研究所を名乗るゆえんですよね。海洋汚染を引き起こすマイクロプラスチック問題もその延長線上にあります。
加藤「2015年頃から海に漂うマイクロプラスチックが海洋生物に与える悪影響が世界的に注目されるようになり、『もう1つの地球環境問題』として、政府の首脳レベルの会合でも取り上げられるようになりました。2016年1月には、エレン・マッカーサー財団が、対策が進まなければ、2050年には海洋中のプラスチックごみの重量が魚の総重量を超えるとの試算を公表し、世界中にショックを与えました」
「これをうけて18年に、EU(欧州連合)が、『海洋プラスチック憲章』を出し、さらに2030年までに使い捨てのプラスチックの排出の25%削減、プラスチック容器包装の6割を再使用またはリサイクル、プラスチックの再生利用の倍増を盛り込んだ『プラスチック資源循環戦略』を定め、急速に動いています。日本は、2000年頃に、3R(リデュース・リユース・リサイクル)を打ち出していましたが、プラスチックの取り組みは遅れていました。最近のEUからの問題指摘を受けて、日本も2019年にプラスチック資源循環戦略をまとめ、EUのあとを追いかけています」
レジ袋の有料化は評価したい
――日本が具体策として打ち出したのがレジ袋の有料化でした。
加藤「2020年7月から全国一斉に始まったレジ袋の有料化によって、レジ袋はぐんと減り、多くの人が、買い物袋を持って買い物をするようになりました。私もその一人です。産業界も有志が業種の垣根を越えて『クリーン・オーシャン・マテリアル・アライアンス』(CLOMA)を立ち上げました。石油から造られるバージンプラスチックの削減やリサイクル率100%の目標をつくるなど、動きだしています。いい方向に向かいつつあると思います。さらに資源循環の動きを加速させねばなりません」
――燃やせば大量のCO2を排出するプラスチックは脱炭素を目指す社会にとって大きな課題です。
加藤「プラスチックごみの問題解決のために知恵を絞ることは、プラスチックだけでなく気候危機など地球環境の危機への正しい対処の筋道につながるのではないかと思っています。最初にお話ししたように、プラスチック問題も含めた環境危機がなぜ、起きているのかと考えると、結局のところ、私たちの豊かさを求める心、便利でありたい、快適でありたいという欲望の心から起きていることなのだと思うのです。この人間の欲望をどうコントロールできるかが大問題だと思うのです」
環境倫理と抑制を考えよう
――大量消費社会を見直さねばならないと。
加藤「ノーベル文学賞を受賞したロシアの作家、ソルジェニーツィン氏は、しばらく前にこう言っています。『深刻化する環境破壊は将来、気候帯を変化させ、真水や耕地に恵まれていた地域でも水と土地の不足を引き起こしかねない。それは、人類の生存を揺るがす新たな紛争を招く可能性がある。つまり、人と人との生き延びるための戦争だ。こうした事態を回避するには、我々が自らの欲望を制限する必要がある。公の場でも私生活においても、我々はとうの昔に、自制という名の黄金のカギを海の底に落としてしまったので、己に犠牲を強いたり、無欲になることは難しい。しかし、自己抑制は、自由を手にした人間が目指すべきものであり、また、自由を獲得する最も確実な方法だとも言える』と」
「私は、いまこそ、この思想を高く掲げるべきではなかろうかと思うのです。人間の活動が地球の環境容量を大幅に突き破っているいま、持続可能な社会への扉を開くには、環境倫理、特に抑制が、ソルジェニーツィン氏も言うように黄金のカギとなるはずです。これを私たちの日常的な行動規範に埋め込むことができれば、環境の危機を軽減できるはずであり、危機脱出の希望があると考えます。プラスチックも環境倫理の大きなテーマなんです」
加藤三郎(かとう・さぶろう)
株式会社環境文明研究所所長、認定NPO法人環境文明21顧問。1939年東京生まれ。1966年東京大学大学院修了後、厚生省(当時、環境衛生局公害課)入省。環境庁大気保全局、OECD日本政府代表部環境担当書記官、環境庁大気保全課長、厚生省環境整備課長などをへて、1990年、環境庁の初代地球環境部長として地球温暖化問題に取り組む。この間、公害対策基本法、国連人間環境会議、大気環境保全、廃棄物・浄化槽問題、環境基本法など、環境行政の主要な政策づくりにかかわる。93年退官し環境市民運動に。環境NPOグリーン連合顧問、全国浄化槽団体連合会監事、日本環境整備教育センター理事も務める。
著書は、本稿で紹介した『危機の向こうの希望』(プレジデント社)のほか、『脱炭素社会のためのQ&A』(環境新聞社)、『環境の思想―足るを知る生き方のススメ』(編著、プレジデント社)、『福を呼び込む環境力』(ごま書房)、『循環社会創造の条件』(編著、日刊工業新聞社)、『岩波講座 地球環境学』(編著、岩波書店)、『環境と文明の明日』(プレジデント社)など多数。
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