SDGs、カーボンニュートラル、脱プラ、等々、最近このような環境分野に関するワードが頻出するようになりました。それだけ人類の未来にとって危機的状況であり、これが全人類的な課題であるとの認識が広く浸透したということです。
そのような時代背景もあり、「リユース」についても、その価値が見直されつつあります。
このシリーズでは毎回「リユース」を軸に、ミクロからマクロまで様々なテーマを交え、独自の切り口で筆者の持論を展開していきたいと思います。今回のテーマは「もったいない」です。
リユースとは?
リユースとは、一度使用されたものを捨てずに再使用することを言います。例えば、ブックオフなどのリユースショップでものを売り買いすることによって、廃棄されていたかも知れないものが、ある人から別のある人のもとへと渡り、再使用されることです。また、最近はメルカリ等のフリマアプリを利用される方も多いと思いますが、これもリユースです。
ある製品が生産されてから最終的に廃棄されるまでの期間のことを製品のライフサイクルと言います。この製品のライフサイクルを延長、すなわち製品を長寿命化させることによって、世の中全体で見た無駄をなくすことができます。
例えば、
- 残存している製品価値の消失
- 新たな製品の生産にかかる環境負荷
- 製品の廃棄にかかる環境負荷
などの無駄を、その製品の寿命を延命させた分だけ少なくできるということです。リユースするということは、製品を長寿命化させるということです。リユースのこのような側面が、リユース自体の価値見直しのきっかけの1つになっています。
リユース利用の目的は「もったいない」?
5年前なので少し古いデータですが、次のような調査結果が経済産業省より出されています。
参考:経済産業省 平成29年度 我が国におけるデータ駆動型社会に係る基盤整備 (電子商取引に関する市場調査)
フリマアプリで販売する目的のトップは「捨てるのがもったいないから」となっています。次点の「小遣い稼ぎのため」もほとんど同率とはいえ、これを僅かに上回っています。
また、私の妻もよくメルカリで商品を購入していますが、売値数百円の商品に対して、きれいに梱包を施し、中には丁寧な手書きの手紙まで添えてくれる出品者もいます。出品、梱包、郵送などの手間、そして送料が出品者負担であることを考えると、とても数百円の商品を売るには割に合わないのではないかと考えてしまいます。
経産省の調査結果やこのような事例から、フリマアプリでものを売る、つまりリユースするという行為には、経済合理性以外の別な動機が働いていると言えます。それが「もったいない」という動機です。
「もったいない」という言葉の特殊性
「もったいない」という言葉は日本独自の概念らしく、環境分野では初めてノーベル平和賞を受賞したワンガリー・マータイ女史がこの言葉に感銘を受け、世界言語として「MOTTAINAI」を世界中に広める活動を行ったことで話題になりました。マータイ女史いわく、もったいないという言葉には自然やものに対する尊敬(Respect)の意味が込められており、ゴミ削減(Reduce)、再使用(Reuse)、再資源化(Recycle)の3Rも合わせた4つのR(4R)を同時に包括した概念は、他の言語には見当たらないとのことです。
では私たちが「もったいない」という言葉を使う時に、どのような思考様式を用いるのか、あるいはどのような感情が起こるのか、少し深掘りしていきます。
(なお、ここから述べることはあくまで筆者の個人的な考察であるため、異論、反論はあるかも知れませんが、「そういう考え方もあるんだな」程度に留めて頂けたら幸いです。)
「もったいない」から見る日本人の精神性
まず、日本人が自然やものをどのように捉えているかについて考えます。日本人の意識の中には「八百万の神々」や「付喪神」という概念が、奥底に深く存在しています。以下はそれぞれの概念を取り扱った記事ですので、是非参考下さい。
本番では小さいリンクカードで表示
https://ecotopia.earth/article-1825/
https://ecotopia.earth/article-3014/
これは自然やものなどあらゆるものには、神(精霊、魂)が宿るという考え方で、いわゆるアミニズムと呼ばれる人類史における最も原始的な宗教観です。宗教と言うとあまりピンと来ないかも知れませんが、「山や大木などの自然に対して何となく畏敬の念を感じる」あるいは、「長く使った人形やぬいぐるみはどうも捨てづらいので、神社や寺で供養してもらう」などはまさにアミニズム的宗教観から表出しているのです。「もったいない」という言葉の背景にはこのような宗教観にもとづく、自然やものを大切にするという考え方があります。「食べ物を粗末にしたらもったいないお化けがでるぞ!」と親に叱られた人も少なくないと思いますが、まさにこれもアミニズム的宗教観に起因しています。
また、日本人の精神構造を考える上では仏教的な宗教観も欠かせません。仏教の最も基本的な教義に業の原理、すなわち因果の法則があります。世の中のあらゆる存在、現象は因と縁の組み合わせの結果によって成り立っているという法則です。かなり単純化した例えですが、「子供を褒めたら笑顔になった」という現象は、「子供を褒める」という行為(業)によって「笑顔になった」という結果がもたらされるということです。「自業自得」や「因果応報」などという言葉もそういった意味合いです。日本人全員が仏門に入り修行をしている訳ではありませんが、このような因果の法則のエッセンスは、日本人の精神の中に実装されているのです。この点から「もったいない」を考えてみます。
例えば、料理屋さんで食事をしている最中に電話が鳴り、急用ができたため、料理を残して店を出なくてはならない状況にあるとします。この時、「もったいない」という感情が起こります。この「もったいない」の中には「本来食べることができたはずの料理を食べることができなかった」という自らの利益損失に対する喪失感という面もありますが、それだけではありません。この「もったいない」には「(せっかく美味しい料理を作ってくれたのに残すことになってしまって)もったいない」という、料理を作ってくれた人に対する申し訳なさ、という感情が多分に含まれています。どちらかと言えば、後者の意味合いの方が強いのではないでしょうか。
また、テレビで野菜が大量に廃棄されている状況を見た時も「もったいない」という感情が起こりますが、これも「(せっかく農家の方が一生懸命作ったものなのに)もったいない」という意味合いです。これらの感情の背景には、「AのおかげでBがある」という考え方、価値観があります。先の料理屋さんの例であれば、「料理人さんが作ってくれたおかげで、美味しい料理が食べられる」となります。この「おかげ」という因果の価値観が、日本人の精神の中には強く根付いています。これは、人間は一人では生きていけない、他者を含めたありとあらゆるものに支えられて生かされている、という実感であり、自然とそのように思う人も多いのではないでしょうか。だからこそ、そのような因果、すなわち繋がりを断ち切ってしまうことに対し惜しみの感情を抱くのです。「もったいない」という言葉には、このような価値観が含まれています。
「もったいない」を広めよう!
ここまで見てきたように、「もったいない」という言葉には日本人の精神性が現れています。この日本人の精神性からマータイ女史の言う4つ目のR「自然やものに対する尊敬(Respect)」が生まれるのだと思います。
一方、現代日本は大量生産・大量消費・大量廃棄社会になって久しく、「もったいない」という言葉は死語になりつつあるのも現実です。今こそ「もったいない」という言葉の持つ価値を再認識し、日本人自身がリユース等を通じて「もったいない」を実践していくことによって、全人類の未来を創っていく必要があります。
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