警視庁機動隊のバスに守られる武蔵野市庁舎
杉本裕明氏撮影 転載禁止
右翼団体の街宣車がスピーカーから大音響でがなりまくるのに備え、市役所の駐車場に機動隊のバスが何台も待機し、もしもの時に備える――。そんなものものしい空気のなか、東京都武蔵野市議会に上程された住民投票条例案が、12月21日の本会議で否決された。争点は、条例案が18歳以上、3か月以上市に住所のある外国人にも日本人と同じ投票権を与えると明記したことにあった。
住民投票は、地域の環境問題と密接な関係を持ってきた。かつては、岐阜県御嵩町では産業廃棄物処分場の建設計画の是非、徳島市では吉野川可動堰建設の可否、東京都小平市では雑木林を分断する都道整備計画の是非を問う住民投票など、環境に深く関わるテーマが遡上にのぼり実施された。白紙に戻った計画もあれば、投票結果が開封されず計画が続行されたものもある――。今回の武蔵野市の条例案は、時代の流れに乗った形で、外国人にも日本人と同等の投票権を与えようとしていた。
しかし、それに市民団体が反対し、自民党の有力国会議員らが懸念や反対の意志を示し、ジャーナリズムの一部も反対キャンペーンを展開した。そして、それに輪をかける形で、右翼団体の街宣車が市内を走り回る。武蔵野市は激しく揺すぶられ、ある種の分断が生まれた。何が問われたのか、そして、どんな課題が残ったのか。
ジャーナリスト 杉本裕明
12月22日、普段は傍聴者がまばらな議場は、市民と報道関係者約200人で埋まっていた。何台ものビデオカメラが議場に向けられている。
土屋美恵子議長の開会宣言のあと、深沢達也(立憲民主ネット、総務委員長)がこの条例案を審議した総務委員会の審議経過を説明した。総務委員会(定数7人)では、立憲民主ネットが賛成、自由民主・市民クラブ、市議会公明党の3人が反対し、最後に立憲民主の深沢委員長が賛成し、薄氷の上を歩くように本会議に送られていた。
この日の本会議では、深沢議員のあと、議員たちが思いを語った。
山本さとみ(無所属)「総務委員会で議論を聞いていたが、一番の争点が外国籍の18歳以上、3か月にしたことは大変優れた内容だと評価します。(外国人が大量にやってきたらどうするという懸念があるが)すでに同じ規定をした逗子市、豊中市では外国人は増えていません」
道場ひでのり(自民民主・市民クラブ)「外国人の投票権の規定に対し、市に再検討を求めたが、生かされなかった。外国人の投票権には一定の基準が必要だ。市民への説明も足りず、市民から慌てることなく、じっくりやるべきとの意見も出ている。条例案には反対します」
桜井夏来(無所属)「8時間近くの総務委員会での議論で、市の説明は論理的で明確でした。論点、疑問点について市民の疑念が払拭されました。それに対し、反対のための反対も一部にあった。条例案に賛成です」
本多夏帆(わくわくはたらく)「条例案に反対します。外国人のことしか議論されておらず、本来の議論されるべき設計がやれていません。リスクマネジメントが欠如しています。本来の目的は、市民自治じゃなかったのでしょうか。(市が行った)意見交換会もパブリックコメントも賛成もあれば反対もありました。これでは市民の分断になります。分断を市民は望んでおらず、初めてブレーキを踏むことを決めました」
内山さとこ(自治と共生)「真逆の分断の場となったことは痛恨の極みですが、(反対する議員から)一部修正提案も出なかったのは、外国人に投票権を求めるのを認めざるをえなかったからではないでしょうか」
山本ひとみ(無所属)「差別や排除をよしとしない必要な方針だと高く評価します」
薮原太郎(立憲民主)「フェイクニュースが広がっていることに加担した議会も猛省しました。反対する議員は時期尚早というが、ではいつになったらやるのですか。利を拡大していくべきものと考え、市民自治が大きく進展することを期待しています」
橋本しげき(共産党)「地域の問題に意見をいうことは当然のことです。これまで外国人に投票権を与えた条例で約200件の投票が行われています。外国人が乗っ取ると(反対する人は)言いますが、何もない。他に例のないことをしているのではありません」
市会議員らが演壇にたって賛否の表明をした
杉本裕明氏撮影 転載禁止
こうして弁論の終わったあと、土屋美恵子議長が決をとった。条例案に賛成する議員らの手があがる。
「賛成少数として議案は否決されました」
立憲民主ネット5、共産党2、自治と共生2、無所属2人の11人が賛成、自民7、公明3、わくわく2、無所属2の14人が反対し、条例案は廃案となった。
102の傍聴席を埋め尽くした市民の多くは賛成派のようで、熱心に聞き入っている。賛成の弁をぶつ議員には拍手を送り、反対の論を語る議員には、時にヤジが飛んだ。
しかし、最後に裁決の結果が出ても、傍聴席で大声を出す人はおらず、黙って帰路についた。数人のグループから、こんな声が漏れていた。
「『わくわくはたらく』の2人が反対に回ったのが予想外だったね」
「総務委員会で公明党が反対に回ってしまった」
市の職員が、この結果を見通したように、筆者に言った。「武蔵野市議会は与野党会派の伯仲というよりも、議案ごとに立場を変える議員が多い。不安定なんですよ」
「賛成少数により議案は否決されました」と語る土屋議長(右奥)
杉本裕明氏撮影 転載禁止
ただ、否決されたとはいえ、条例案に反対した議員らは、外国人に投票権を与えてはいけないと言ってはいなかった。議員らの主な指摘は、たった3カ月しか定住していない外国人に投票権を与えるのはおかしいということと、不作為抽出市民アンケート、パブリックコメント、市民意見交換会を行ったものの、参加や反応が少なく、周知度が低い」の2点であった。
住民投票条例の制定をめぐっては、住民投票の結果が市長の判断を拘束するわけではなく、その結果を「尊重する」(第33条)にすぎない諮問型でも、実際には、諮問型の住民投票条例の結果が、事実上、首長の判断を拘束してしまう。そこで、それを嫌う首長や議会が、住民が提出した条例案を採択しない例が相次いでいる。
地方自治体は、自治体の首長と議会議員をともに住民が直接選挙で選ぶという二元代表制をとっている。その制度によって、行政上のものごとが決定され、運営されているのに、そこに住民投票を持ち込み、これまでの首長や議会の意志と違った結果が出ると困ったことが起きる。諮問型の緩い制度とはいえ、もし、住民投票の結果に従わなければ、今度は、住民の意志に反したとして、首長や議員がリコールの対象になりかねない――。そんな懸念が、首長や議会には潜在的にあるのだ。
しかし、幾多の住民投票条例の制定やその実施をへて、こうした懸念はかなり払拭されてきたことも事実である。それを反映してか、今回の総務委員会の審議では、こうした意見ではなく、手続きが拙速といったプロセスの問題ばかり強調され、市民にとって、実にわかりにくい論議であった。
がっかりして帰る傍聴者の市民ら
杉本裕明氏撮影 転載禁止
新聞各紙はどう論じたか
ところで、この武蔵野市の住民投票条例については、読売新聞と産経新聞が反対の論陣を張っていた。
例えば、社説(抜粋)はこんなふうである。
翌22日の読売新聞朝刊の社説「外国人投票否決対立と混乱招いた責任は重い」。
「自治体の住民投票に外国人の参加を認めるかどうかを巡り、地域社会が分断され、混乱した。制度の導入を推し進めた市長の責任は重い。憲法は、参政権が日本国民固有の権利だと明記している。最高裁は1995年、国政だけでなく、地方選挙でも外国人に選挙権は保障されていないと判断した。住民投票の投票資格を外国人に付与することは、広い意味で参政権を認めることになりかねない。条例案の否決は当然の結論だ」
「条例案を巡っては、賛成派と反対派の市民らが鋭く対立した。100人規模のデモが起き、外国人の排斥を呼びかけるような発言も飛び交っていた。分断を招いた要因は、市民の十分な合意がないまま条例案の提出を急いだ市の姿勢にあるのではないか。市長は条例案の修正を検討するというが、拙速な判断で再び混乱させる事態は許されない」
「地域に暮らす外国人の意向を行政サービスに生かすことは重要である。ただ、そうした意向は、外国人を含む住民アンケートなどで確認し、行政措置に反映させるのが筋だ。市がなぜ住民投票にこだわるのか理解に苦しむ」
「市側はこれまで『外国人は地域社会の一員で、日本人と区別する合理性はない』と主張しているが、住民投票のテーマは安全保障やエネルギー政策などの国益に関わる問題に及ぶことがある。他の自治体では、米軍基地の移設や原子力発電所の誘致が住民投票の対象になったこともある」
「投票結果に法的拘束力はないとはいえ、武蔵野市の条例案には市が結果を尊重する旨の規定があった。外国人の住民が一定数に上り、行政に影響を与えるようになってきた地域もある。条例案の制定を安易に考えるべきではない」
読売新聞は、同月2日社説でも、武蔵野市を牽制し、反対論を展開した。
産経新聞の同月15日付朝刊の「主張」。
「――発議が難しいというが、投票権を持つ住民の4分の1以上の署名が集まれば、住民投票を実施できる。何を問うかも住民次第だ。安全保障やエネルギー問題など、国政に関わる事柄が住民投票に付された場合どうするのか。法的拘束力はなくとも、議会と市長は投票結果を尊重しなければならない。外国人の意思が影響しかねないという懸念は残る」
「解せないのは、条例案を提出するまでの過程だ。市はパブリックコメントなどで意見を募り、理解を得る努力を重ねてきたと主張する。だが、今年8月に開催した住民投票をめぐる市の意見交換会には、コロナ禍の緊急事態宣言下で、参加者は10人にとどまった。市民への周知が徹底されたとは言えまい」
「総務委で意見陳述した市民団体は書面とネットで計2万4千筆の反対署名を集めたという。昭和53年の最高裁判決は、政治的な意思決定に影響を及ぼすような政治的活動を外国人に認めていない。事実上の外国人参政権である今回の条例案は違憲の疑いがある」
「条例が成立すれば他自治体に波及しかねない。市議会は、大所高所から否決すべきだ」
これに対し、「大いに評価する」というのが、朝日新聞と東京新聞の社説である。
12月18日朝日新聞。
「21日の市議会本会議で採決される予定だが、それに先立つ総務委員会では、自民、公明の議員が外国籍の人が含まれることに疑義を呈し、最後は委員長の裁決で可決となった。議論するのはもちろん大切だが、誤解・曲解と言うほかない反対意見も散見される。最たるものが『外国人の意向で国益が害される恐れがある』『参政権を与えるのと同様で違憲の疑いがある』といった主張だ」
「市が提案しているのは、市政に関する重要な問題について、投票資格者の4分の1の署名で住民投票を実施できるようにする『常設型』条例だ。投票結果を市長と議会は『尊重』するが従う義務はなく、独自に判断することができる。違憲うんぬんの指摘も的外れだ」
「最高裁は95年、『自治体と特段に緊密な関係をもつ人』にいわゆる地方参政権を与えることを憲法は禁じておらず、立法政策の問題だと述べた。ましてや法的拘束力のない住民投票への参加は、憲法やその他の法令に反するものではない」
「住民登録が3カ月以上に及ぶ人は、外国籍であっても納税や健康保険への加入などの義務を負う。地域が抱える課題について意見を表明する道を開くことは、ともに社会を構成する仲間として遇し、その権利・存在を尊重しようという姿勢のあらわれであり、支持できる」
「すでに40を超す自治体が、常設型の条例で外国籍住民の参加を認めている。一定の資格や在留期間を要件とするところが多いが、神奈川県逗子市や大阪府豊中市は、今回の条例案同様、日本人と同じ条件で投票資格を付与し、2000年代後半に制定・施行されて以来、特段の問題は起きていない」
「にもかかわらず、いま武蔵野市が『標的』となり、『中国が市人口の過半数の8万人の中国人を転居させれば、市を牛耳ることができる』といった荒唐無稽な話が飛び交い、街頭で外国人差別の演説が繰り返される。経済活動の維持のため外国人の受け入れを進める一方で、こうしたゆがんだ排外主義がはびこる風潮は、社会を危うくする」
東京新聞12月2日。
「市政の課題を問うための投票で、外国人を含む多様な意見を地方自治に反映する機会ととらえたい。1990年代後半に始まった住民投票実施の条例制定のうち、永住外国人にも投票権を認める動きは2002年の滋賀県米原町(現米原市)に始まり、愛知県高浜市などが続いた」
「武蔵野市のように居住期間を要件とし、国籍を問わない条例は神奈川県逗子市、大阪府豊中市に先例がある。住民投票条例に限らず、条例は法律に反しない範囲で定められる。日本の法律に外国人の住民投票の権利を制限する規定はなく、投票資格者を自治体で定めることに法的問題はない」
「にもかかわらず、武蔵野市の動きに反対する人たちが市役所前に押しかけ『外国人が選挙権を持つことになる』『外国人が大挙して移住し、市政を乗っ取られる』とヘイトスピーチまがいの主張を繰り返している。これらは制度を曲解した言い分だ」
「地域の大事な課題に意見を表明することは、表現の自由として保障された基本的人権だ。国際協調や多様性が重視される時代には、同じ街に住む外国人の意見も、街の特色を生かした地方自治の一つとして尊重されるべきである。地域のまちに住む多様な人びとが、互いに認め合い、意見を交換しながら『共生社会』を築いていく。そんな施策のひとつとして意義深い取り組みだ」
住民投票をめぐる評価は、読売と産経、朝日と東京に見事に割れている。住民投票条例が、在日外国人に日本人がどう向き合うのかをめぐって、見事に衝突しているのである。それは、この20年で日本の国力が落ち、国際競争力が衰え、国民一人当たりのGDPがOECD諸国の中で、往時の5位から30位に急落したことと、無縁ではないだろう。
回りに目を向け、余裕をもって対処するという姿勢がなくなりはじめているのである。
12月18日には、ここまで反対の論陣を張っていた自民党の長島昭久衆院議員が「参政権付与にまでつながりかねない」と反対する街頭演説会を行い、維新の石井苗子参院議員や本橋弘隆東京都議会議員(都民ファーストの会)も応援を買って出た。
国際派の長島議員らしくない言動のように見えるが、ひょっとしたら、それは、欧州はじめ、大量の移民が押し寄せた結果、いまや、EUの先進国の幾つかの大都市は、キリスト教徒を、イスラム教徒が上回りつつあるという、移民国家の現実を見据えたものであるのかもしれない。
21日の否決の報に、自民党の世耕弘成参院議長は、記者会見で「私は外国人参政権には反対の立場だ。武蔵野市議会は妥当な判断をしたと思っている」と評価した(産経新聞)。
住民投票条例を成立させようという声より、反対の声の方が、勢いがあった。もっとも、ヘイトスピーチまがいの出来事が幾つも起きるのだが――。
成立させようとする市議団では、壇上に立った中核であるはずの立憲民主ネットの議員の弁は、すでに否決が想定されているからか、弱々しく、おまけに途中で草稿のどこを読んでいるのかもわからなくなり、しばらく沈黙する始末であった。何やら、いまの立憲民主党のありさまを見ているようである。
否決されたあと、どうなる?
否決後、松下玲子市長は緊急記者会見を開き、おおよそ次のように語った(22日付朝日新聞朝刊、YouTubeなど)。
「結果を重く受け入れています。パブリックコメント、市民アンケートなどさまざまに意見をうかがってまいりましたが、もっと周知した上で、制度を制定すべきだという声だと受け止めています。市民のみなさまから改めて意見をうかがい、検討を重ねていきたい。条例を議会に提案すると表明した一か月前からヘイトスピーチともとれる宣伝が繰り返され、とても悲しく残念と思っている。市内の外国籍の方や小さなお子さんが怖い思いをしている現実がある。民主主義にあっては審議、議論を通じて論点を明らかにした上で合意形成を図っていくのがあるべき姿です」
何らかの条件をつけて再提案したいと述べたが、前途は多難である。それでは、なぜ、全国で一番の人気のある吉祥寺のある武蔵野市で、住民投票条例なのか。もう少し、探ってみたい。
(続く)
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