長時間の豪雨。大規模の台風。昨今、このような災害クラスと言える大雨が増えた印象はないでしょうか。
雨による洪水や土砂災害に関するニュースを目にして、そう感じる人は少なくはないはずです。
大雨は実際に増えたのか、また洪水を抑える治水技術について、水文学(すいもんがく)の専門家である、徳島大学大学院社会産業理工学研究部、田村隆雄准教授にお伺いしました。
気候変動と水害の関係は?水文学の専門家に聞く
――田村先生は、水害や治水技術について研究する、水文学の専門家と伺いました。水文学という言葉は、あまり聞きなれないものだと思いますが、どういった分野のものなのでしょうか。また、治水とは具体的にどういった技術なのか教えてください。
日本では、水文学はマイナーな分野です。漢字を見て「みずぶんがく」と読まれることもあり、科学ではなく文系の研究と捉える人は少なくありません。
同じように「文学」がつく科学の分野としては、天文学があります。天文学が宇宙で起こる自然現象を幅広く扱う分野であるように、水文学は地球上に存在する水の動きを扱うものです。
具体的には、水の分布や水資源問題、異常気象、水質汚染、水力発電などが挙げられます。
最近では、水害に関する報道が大きく取り上げられることから、気候変動に伴う大雨や洪水災害が代表的なテーマとなっていますが、それらをすべて扱うわけではなく、あくまで水の動きに着目したものです。
どれだけ雨が降るのか、降ったのか。その影響で洪水が起こるのか、起こったのか。そういった水の動きや量を研究するものが水文学で、ダムや堤防を作るなど、川の中で行う対策は河川工学という分野になります。
私は、日本の山や森林域における雨の流出現象を研究しています。
日本の国土面積は、山地が約7割を占めていることから、そこで降る雨は下流側で起こる洪水に大きく関係し、洪水対策の基本となる場所だと考えています。
治水については、河川の氾濫を防ぐ、川の流れを整える、渇水に備えた農業用水や工業用水の確保など、水流の保全と改善を行うことです。
具体的には、ダムや堤防、放水路の建設、川の幅を調節して洪水を防ぐ、灌漑によって農地の潤いを確保する、などですが、日本では水害対策としての治水が特に有名です。
徳島大学大学院 社会産業理工学研究部 田村隆雄准教授
――昨今は気候変動が激しくなり、その影響で豪雨による水害も増えたという印象があります。実際、気候変動と水害は関係があるのでしょうか。
豪雨災害が起こる原因は、主に2つあります。1つは依然と比べて、雨の降り方が変わったことです。
雨量が増えたことはもちろん、短時間で強い雨が降る傾向も強くなりました。
ただ、雨の量や降り方が変わっただけでは、災害は起こりません。
もう1つの理由は、私たちの生活の変化です。
その代表例は、農地が広がっていた土地をアスファルトやコンクリートで固めて宅地化したこと。
それまでは、雨が地面に染み込んでいましたが、アスファルトやコンクリートでは、そうはなりません。
地面に染み込むはずだった雨は、あっという間に街を浸水させ、さらに川に流れ込んで洪水を起こしてしまうのです。
これが気候変動と水害の関係と言えます。
実際に水害は増えたのか?治水技術の事情
――実際に、水害は増えているのでしょうか。
水害が増えたかどうか、私も気になって調べてみたところ、目に見えて洪水の回数が増えたわけではない、という印象です。
確かに、2004年の夏のように、台風が極端に多くやってきた年もあれば、2018年の西日本豪雨、2019年の令和元年東日本台風のように規模の大きいものが到来し、大変な被害が出たというパターンもあります。
しかし、回数という点だけを見ると、確実に増えたとは言えません。
ただ、水害による被害額が増えた、ということは確実です。
その例として、西日本豪雨と令和元年東日本台風に関しては、2年連続で水害による被害額を更新したことが挙げられます。
1回の規模が大きく、被害額も大きいと、広くニュースに取り上げられるため、それを見た私たちは「水害が増えている」という印象を受けてしまうのです。
水害による被害額が増えた原因はいくつかありますが、やはり私たちの生活の場が変化したことが、大きく関わっています。
昔は、川の傍は危険であると多くの人が認識していたため、そこに家を建てることはありませんでした。
それが、ダムや堤防といった水害対策が整えられたことで、私たちは安心して川の傍に住むようになり、宅地化が進みます。
しかし、ダムや堤防が耐えられない水害が発生すると、多くの建築物が巻き込まれるため、その被害は大きくなる。
水害は昔から起こっていましたが、今になって被害額が増えている理由は、そういった事情があるのです。
ダムや堤防は無制限に大きくできるわけではありません。
多くの税金を使い、限られた時間で整備する必要があるため、効率よく作らなければならない。
そうなると、今までの経験や観測資料に基づき、何年に一度の洪水には耐えられるように、と考えられて作られますが、それを超える規模のものが起これば耐えられず、ほとんど無力になってしまいます。
そのような大雨や台風が増えたことも、水害による被害額が大きくなっている原因です。
徳島県の那賀町大用知で起こった深層崩壊
豪雨や台風が大規模になってしまった理由は、気候変動が関わっています。
地球温暖化が進むと、大気が暖かくなり、多くの水蒸気が発生しますが、これが冷やされると大量の雨となります。
特に日本は、地球温暖化の影響による大雨が発生しやすい地理関係です。
そのため、さらに地球温暖化が進めば、これからも水害による被害は増えていくでしょう。
この状況に対し、治水対策は今までのようなハード対策だけでなく、ソフト対策も検討されています。
水害を受けやすいところには家を建てない。農地開発を規制する、など。
ただ、これらの対策は強制力が働かないため、難しい面があります。
一般住宅なら比較的に転移が容易ですが、水害に弱い場所はそれが難しい老人ホームや介護施設が多い傾向にあります。
なぜなら、このような場所は湿地が多く土地が安い上に、ある程度の面積もあるため、そのような施設が建てられるのです。
この点も対策が進んでいない理由の1つと言えます。
他にも、土地の高さを上げる「スーパー堤防(高規格堤防)」という対策もあります。
スーパー堤防は、普通の堤防ではなく、広い範囲で土地を高くして、その上に街や住宅を再建設する、というものです。
有名なスーパー堤防は、利根川、荒川沿いにあるもので、幅は200メートル以上となり、遠くからでは堤防には見えない大きさです。
しかし、これは2010年の事業仕分けによって中断されてしまいました。
それは、スーパー堤防の完成に400~500年という時間がかかり、莫大な費用も必要という理由もあるでしょう。
さらに治水に関する設備は、洪水をやり過ごしながら建設しなければなりません。完成までに想定よりも大きい水害があれば、計画を見直すことも出てくるので、多くの障害があると言えるのです。
水害を防ぐ治水技術とは?森林の機能から最新技術
――先生は森林が持つ防災機能に着目した治水を研究している、と伺っています。森林が持つ機能とは、どのような治水効果があるのでしょうか。また、その他の治水技術も教えてください。
森林が持つ防災機能は治水だけではありません。渇水の影響を和らげる、気候を緩和する、土砂災害を防ぐ、雪崩の防止など、さまざまな防災機能があります。
その中でも、私が研究しているものは、森林の洪水低減機能です。
これは「緑のダム」と言われますが、洪水や渇水の際に水を調節する人工ダムと同じ機能が、森林にも備わっているように見えるため、そのように表現されます。
森林による洪水低減機能は、森林の環境によってその効果を発揮します。
森林は、木がたくさんあることはもちろんですが、落ち葉や動植物の遺骸が腐食したことで作られた、柔らかい土があり、その下に硬い土があります。
そこに雨が降ると、まずは木の枝葉の部分に水が当たります。そのとき、枝葉に残る水もありますが、細かい粒になって飛び散るものもあり、それは山から発生する上昇気流に乗って空に帰ります。
これによって、地上に降るはずだった雨が軽減されますが、その量は全体の2割と、かなり大きいものです。
空に立ち上る水分。
青森県の白神山地
残り8割の雨が地表に落ちますが、柔らかい土の中に浸透し、そこに水が留まります。
これはアスファルトで固められた都会では起こることのない現象です。
ただ、柔らかい土も無制限に水を蓄えられるわけではないので、大半はその表面をゆっくり流れ出ていきます。
この表面に流れて行く水が、私たちが洪水と呼ぶものの大本です。
つまり、森林が存在することで、約2割の水が枝葉によってカットされ、地表に落ちた何割かが土の中に染み込み、残りが洪水になる。
だから、森林があるとないとでは、洪水の規模は大きく変わります。
量が変わるだけでなく、森林を通して水が出ると、その速度はゆっくりとなるため、洪水が起こるタイミングも後ろにずれていく。
そうなれば、私たちがダムを操作して被害を軽減できる可能性もあり、規模が大きい氾濫が起こったとしても、避難のための時間も稼げます。
森林が持つ洪水低減機能の仕組み①
森林が持つ洪水低減機能の仕組み②
森林が持つ洪水低減機能の仕組み③
森林には、このような洪水低減機能がありますが、木を切ってしまい、柔らかい土が流れてしまうと、それが失われ、洪水被害が起きやすくなる。山で森林の乱伐や乱開発があると洪水が起こりやすくなるのは、こういう仕組みにあります。
例え、木を切ったことを反省して植え直したとしても、すぐに森林低減機能が回復するというわけではありません。
山の柔らかい土は動植物の遺骸によって、何百年もかけて作られるからです。
かつて、はげ山だった場所に緑が回復したケースは、日本にも少なからずありますが、洪水低減機能まで回復していないことがほとんどです。
ちなみに、誤解されやすいことなのですが、実際には森林の洪水低減機能は、人工のダムほど都合のいいものではありません。
森林の柔らかい土は、確かに水を貯えますが、その機能には限界があります。
さらに、私たちが水を必要としているとき、木がそれを消費してしまうこともあります。
木も生き物ですから、光合成のために水が必要です。
渇水が起こったとき、都合よく森林から水を取り出せるかと言えば、そうではないのです。
私たち水文学者は、そういった問題を科学的に捉え、森林の水の動きをコンピューターで再現しています。
木の本数や土の厚みの変化をシミュレーションし、水害にどのような影響をもたらすのか。
それを科学的情報として提出し、実務レベルとしてどのように森林を整備するのか、という点に役立てています。
最新の治水技術については、ハイテクなものからローテクなものまで、さまざまな角度のものがあります。
その中でも、AIを利用した技術は、ハイテクの代表と言えるでしょう。
これは、AIに洪水の動きを予測させることで、ダムのゲート操作、住民避難などを素早く対応することに役立てるものです。
この技術によって、既にあるダムや堤防が、さらに有効活用できます。
治水の技術はダムや堤防だけではない。
徳島県の長安口ダム
都市の治水技術としては、地下に大きな貯水池を作る、地下河川を作るなどがあります。
貯水池は地下だけでなく、多目的遊水池も有効的です。
多目的遊水地は、普段は公園や広場として利用されていますが、水害の際はそこに水を溜め、宅地に影響を及ぼさない、というものです。
横浜市の横浜国際総合競技場(日産スタジアム)は有名な多目的遊水地で、2019年の東日本台風の際も、この機能が使われました。
地下河川は、その名前の通り、地下に川を作るもので、地上の川が溢れそうになったとき、そちらに水を流して海に放流するものです。
河川のコントロールで言えば、霞堤や武田信玄が作った信玄堤のような、古くから使われる技術を活かし、洪水を川の中に抑え込むのではなく、いなすような方法もあります。
こういった洪水の制御技術は見直されていて、森林洪水低減機能や水田の活用など、地域全体で治水を行う、という考えがここ数年で出てきました。
それを流域治水と言って、今後も起こるであろう大規模な大雨、水害に対し、みんなで取り組もうという動きがあります。
また、水を制御するのではなく、私たちの生活を変化させるための取り組みもあります。
先程触れたような家屋の移転、土地の利用制限もそうですが、水害保険を利用したものも、その1つです。
水害の被害を受けやすい土地は掛け金を高くし、被害を受けにくい土地は掛け金を安くする。
これによって、少しでも被害を受けにくい地域へ人を移動しよう、と誘導できるのです。
これからの水害に私たちができることは
――地球温暖化の進行に伴い、私たちと水害の関係は、さらに近しくなると考えられます。そんな中、私たちはどのような点に注意して、水害に備えるべきなのでしょうか。
これからの水害対策は、行政任せでは不十分です。
もちろん、行政が無力だという意味ではありませんが、どんどん水害の規模は大きくなり、それに対応する施設を作るまで時間がかかっています。
そういう施設も、いつかは完成しますが、それまで私たちは自分の身は自分で守らなければなりません。まずはその心構えが必要です。
最低限の備えとして、洪水ハザードマップは確認してください。
洪水ハザードマップは、大雨が降ったとき、どこがどれくらいまで浸水するのか、堤防が決壊して浸水するまでどれだけの時間があるのか、など身の回りの危険を確認できます。
避難場所の確認も必要です。避難場所までの避難路は、1つではなく複数確認しましょう。洪水がどの方角からやってきても逃げられるよう、できれば東西南北と別々の方向の経路を把握してください。
普段からできることは、防災情報を見ておくことです。
最近は、インターネットで多くの防災サイトを見られます。例えば、国土交通省が出している「川の防災情報」や、気象庁が運営している「キキクル」など。
最近は情報に溢れているため、何をどこから見ればいいのかわからない、と困ってしまうこともあります。
しかし、普段からこれらのサイトを見ておけば、必要なとき必要な情報を素早く取り出せます。
自分の安全に関係する情報や使いやすいサイトを見つけて、積極的に利用してみましょう。
参考:国土交通省 川の防災情報
参考:気象庁 キキクル(危険度分布)
また、台風災害のようにある程度先が読める水害の場合は、防災用のタイムラインも有効です。
タイムラインは、台風がやってきて大雨が降り、洪水によって堤防が決壊し、被害が発生する時間を起点として、そこからさかのぼり、何時間前にどのような情報が出て、どのような行動をすべきか、といった防災行動をまとめたものです。
行政から出ている防災タイムラインを見て、どんな情報が出たら、何をすべきか、という予定表を個人で作ってみてください。
例えば、気象庁から大雨洪水注意報が出たら防災グッズを点検しておく、自治体からこんな情報が出たら避難行動を開始するなど。
これがあれば、いざというときはそれに従って行動できるため、慌てずに済みます。
参考:国土交通省水管理・国土保全局 タイムライン
このような対策を準備する他にも、水害の仕組みを理解することも大切です。
インターネットで、水害に関する教育番組や行政や大学による、防災の講演会やセミナーが、無料で解放されていることもあります。
ぜひこれらを拝聴して知識を深めてください。
田村 隆雄(たむら・たかお)
徳島大学大学院 社会産業理工学研究部 准教授。森林の洪水低減機能に関する研究の他に、森林流域の水質保全機能、民官学の協働で取り組む災害(地震・津波、洪水)避難支援マップの作成などを研究。水の流れに関する研究だけでなく、地域が抱える防災や環境問題も取り組んでいる。
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