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環境産業の職場探訪③ 嶋田理紗さん(28歳)「世界がもし100人の村だったら」に衝撃を受けた

「担当部署を変わるたびに新しい発見があり、挑戦する意欲がわいてきます」。嶋田理紗さん(28歳)は入社して6年にすぎないが、統括本部の海外営業課で中南米とカンボジア・インドネシアを担当したのを皮切りに、店舗統括部で本支店のリユース品の棚卸などを経験すると経理部へ。本社だけでなく、英語を生かしてフィリピンにある子会社の経理も受け持っていた。

短期間で次々と部署が変わり大変では?と尋ねると、こんな答えが返ってきた。「いえ、そのたびに新しい仕事を経験し、チャレンジできることに、やりがいを感じます」

目次

「世界がもし100人の村だったら」に衝撃を受ける

大阪府出身の嶋田さんが世界に目を開くきっかけとなったのは、小学校6年生の時に読んだ「世界がもし100人の村だったら」。1990年にドネラ・メドウス氏が世界を一つの村にたとえ、人種、経済、政治、貧困などの差異を比較し論じたのが始まりだ。子ども向けの本が出版されると、多くの読者を引きつけた。例えば30人が白人で70人が有色人種。冨の分配では、6人が61%の冨を得、74人が39%の冨を得、20人が2%の冨を分け合うといった具合。嶋田さんは、様々なことを考えさせられたという。

途上国の差別や貧困に関心を持ち、英語を学ぼうと、高校2年生の1年間ニュージーランドに滞在、ホストファミリー宅から高校に通った。国際社会で働きたいと選んだのは立命館大学国際関係学部。第2外国語にスペイン語をとった。世界で使う人が多く、現場で通用する実践的な言語と感じたからという。スペイン語をものにするため、2年生の1年間アルゼンチンのラプラタ大学に留学した。

留学で見方が変わる

異国での体験が、その人のそれまでの考え方や価値観を変えることがよくある。嶋田さんもそうだった。アルゼンチンでは老婦人1人が暮らすアパートに下宿した。現地の人とすぐにうち解けたのはマテ茶のおかげだった。マテ茶の入った容器を渡し、飲めと勧めてくれる。お茶がなくなると、湯をつぎ足し、今度は別の人に。のどを潤すとまた別の人に回す。マテ茶は人と人を繋ぐ、潤滑油なのである。

大学の教室でも、隣の学生が「ケレス トマール?」(飲む)と差し出すと、嶋田さんは「スィー」(うん)と笑顔で受け取り、さらに隣の学生に「ケレス トマール?」。嶋田さんに何かあると、みんなはすぐに、「テ プエド アユダール?」(どうしたの?)と声をかけてくれた。

経済的に豊かではなく、治安が悪くても人々はゆったりと、お互いを思いやりながら生きている。決して諦めることなく、「できないことはない」と前を向いている。そんな光景を見て、ボランティアとして途上国の人々に貢献したいと思っていた嶋田さんは、その考え方を改めさせられる。「彼らは私とそんなかかわり方を望んでいないのではないか」

3年生の夏、就職情報サイトで、スペイン語を生かせる会社を探し始めた。商社、電子機器メーカーに接触したが、どうも感覚が違う。その頃、「ペルーとボリビアに輸出しています」という表題が目に飛び込んだ。それが浜屋だった。

説明会で、社長の「お客様に喜ばれる仕事をしよう」という理念にひかれた。筆記試験を通過し、最終面接では社長から「子会社のあるブラジルへ行けるかい。大丈夫?」と聞かれ、元気よく「はい」と答えた。「相手に喜んでもらうことを大事にしながらいろんなことにチャレンジしたかったから。」と嶋田さんは言う。

職場ごとに課題に挑戦

2014年に入社し、配属された海外営業課は、電話やメールでのやりとりで、海外のバイヤーからの注文を受け、値段と数を交渉し、契約するのが主な仕事だ。先輩社員と海外にも行った。カンボジア、グアテマラ、ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル――。

ただ、こんなこともあった。バイヤーから「A社みたいに良いものを安く売ってほしい」と言われて思った。「それならそこから買えばいいじゃん」。でも、それは違う。「私って売ることに興味がないみたい。向いてないのかなあ」と悩んだ。

でも、先輩社員を見ながら次第に仕事に慣れていく。中でも新規開拓は楽しかった。絨毯やミニベロと言われる小型ロードバイクを開拓し、達成感を得た。

次に移った店舗統括部では棚卸の管理などに取り組んだ。どこの支店にどんな在庫があるか、データと照らし合わせ管理をする仕事だ。地味な仕事に見えるが、これが無類に面白かったという。「パズルのピースを埋めるような感覚。例えば中古テレビが100台あるはずなのに、90台しかない。残りの10台はどこに行ったのかと。そして、現場スタッフと協力して原因を追究し改善していく。もちろん、在庫の移動でトラックの配送の手配などもしました」

3年たって仕事に慣れた頃、経理部長から「経理を経験してみませんか」と誘われた。いつか経理のスキルを身につけたいと思っていたので二つ返事で応じた。テキストでの勉強と日々の業務を通して簿記3級の資格をとった。「いろんな部署での経験が、知らない自分の可能性を引き出してくれました。例えば細かい作業や確認をしたり、仕事効率を上げたり、仕組みを作ったりするようなことにやりがいを感じました。数字は毛嫌いしていましたが、向き合ってみると面白いと感じ、ひとつでも違うと追究したがる自分に気がつきました。やってみると意外とこういうことも好きなのかも、できるのかも、と視野が広がりました」

就職活動をしている後輩たちに、嶋田さんはこんなエールを送る。「勤務条件ばかりにこだわらない方がいい。一日のかなりの時間を会社の仕事に費やすのだから、精神的ストレスがなく、やりがいを感じられる仕事につかないと。もったいないよ」

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この記事を書いた人

朝日新聞記者を経て、フリージャーナリスト。廃棄物、自然保護、地球環境、公害など、環境の各分野に精通する。著書に『ルポ にっぽんのごみ』(岩波書店)『ディーゼル車に未来はあるかー排ガス偽装とPM2・5の脅威』(同、共著)、『環境省の大罪』(PHP研究所)、『赤い土(フェロシルト) なぜ企業犯罪は繰り返されたのか』(風媒社)、『社会を変えた情報公開―ドキュメント・市民オンブズマン』(花伝社)など多数。NPO法人未来舎代表理事として、政策提言や講演会などをしている。

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