杉本裕明氏撮影 転載禁止
10月に日本列島を襲った台風19号は日本列島に鋭い爪痕を残した。その一つ、千曲川が決壊した長野市では、長沼・豊野地区を中心に押し寄せた泥水に住宅は流され、膨大な泥がリンゴ畑を覆った。
市が設置した仮置き場には持ち込まれた災害廃棄物が山のように積み上がる。中でもプラスチックごみの比率は高く、このままの状態が続くと一部が川に流出し、やがて海洋を汚染しかねない。分別されずにできた廃棄物の山をどう選別し、リサイクルと処理を進めていくのか。被災した長野市も長野県も経験が乏しく、後手、後手に回っているようだ。
長野市の被災現場と仮置き場を見た。
ジャーナリスト 杉本裕明
お寺に残る「水位標」
長野市穂保の千曲川左岸の堤防が決壊した現場を見た。13日未明に70メートルに渡って決壊した場所から、洪水は一気に住宅地と畑に向かっていった。一帯が2メートル近くつかり、川と陸地の区別がつかなくなった。やがて水が引くと泥が残った。その決壊現場には10月末時点ですでに矢板が二重に打ち付けられ、仮設堤防ができていた。
千曲川の破堤した70メートルに矢板が打たれた。
長野市穂保地区(筆者撮影 転載厳禁)
千曲川の破堤した70メートルに打たれた矢板。
仮修理の風景。長野市穂保地区(筆者撮影 転載厳禁)
決壊した千曲川堤防の内側には深い穴がいくつもでき、泥水がたまっていた。堤防を乗り越えた洪水が堤防を内側から壊していったことを示している。長野市穂保地区(筆者撮影 転載厳禁)
破堤した場所から約200メートル離れたところに妙笑寺があった。集まった支援者たちが、建物の床下にたまった泥をスコップでかき出していた。住職の笹井義英さんが案内してくれたのが、柱に千曲川大洪水を記した水位標。最大の寛保2年(1742)の「戌(いぬ)の洪水」の印は2メートルをはるか超えたところにある。今回の台風19号は2番目に高く、地面から2メートルぐらいの高さになる。
寛永2年から6度の洪水をこの柱に記録している(筆者撮影 転載厳禁)
笹井さんの家族6人は2階に避難し、檀家の祖先の名前を記した大切な過去帳を高い場所に移した。しかし、堤防の決壊で水かさは急激に増し、一家は自衛隊のヘリで救助された。本堂も墓も大きな被害を受けた。「みなさんが泥かきをしてくれて本当に頭が下がります」と笹井さんは語る。駆けつけた曹洞宗の支援者たちが片づけと泥出しに精を出している。
妙笑寺の本堂も被災した。長野市津野地区(筆者撮影 転載厳禁)
この津野地区は長野市で最もひどい被災地だ。被災した家々は流され、残っても壁がなくなり、柱がむき出しになり、家の体裁をなしていない。電柱が倒れ、軽トラックが泥に埋まっている。
車が泥に埋まっている。バスの停留所のポールが傾いている。長野市津野地区(筆者撮影 転載厳禁)
太陽光パネルも被災し、壊れた。長野市津野地区(筆者撮影 転載厳禁)
災害ボランティアが被災地応援に
多くの住宅が流され、跡形もない。車が泥に埋まっている。長野市津野地区(筆者撮影 転載厳禁)
津野地区で旅行業を営む宮下芳一さんは妻と父の3人家族。3人とも早めに避難して無事だった。しかし、自宅は洪水で壁がはがれ、家の中に押し寄せた泥水ですべての家財が台無しになった。ボランティアの人たち約10人が、スコップを持って泥のかき出しと災害廃棄物の整理をしていた。泥の中から見つかった。「預金通帳がありましたよ」。「ありがとう」。宮下さんはボランティアの若者に頭を下げた。
「この高さまで来ました」と語る宮下芳一さん。長野市津野地区の自宅(筆者撮影 転載厳禁)
ある住宅。神棚は助かったが、1階は泥が30センチ以上たまっている。長野市津野地区(筆者撮影 転載厳禁)
ボランティアはボランティアセンターに登録した人たちで、朝から午後4時半まで泥だらけになって働く。自宅から軽トラックで駆けつけた人もいる。三重県松坂市から来た茶谷弘幸さんが、「これどうぞ」と言って、筆者にキャンディを差し出した。心やさしい人だ。
「鉄工所をやってるんですが、景気がよくなくて。時間が空いたので来てしまいました。何か役に立ちたいと思った」。隣では若い女性が、黙々とスコップをふるっている。
「この方たちが来てくれたおかげです」。宮下さんが感心して言った。「いまの若い者はと思っていたのですが、今回の災害で見直しました。すごいもんだ。感謝の言葉しかありません」
リンゴ畑は泥に埋まった
全国に誇るリンゴの産地もめちゃめちゃだ。リンゴ栽培を断念する農家が相次いでいる。長野市津野地区(筆者撮影 転載厳禁)
宮下さんのリンゴ畑に案内してもらった。木の多くは倒れてはいないが、畑一面に泥が30センチほど積み上がっている。撤去せず、このままにすると、数年で木は枯れてしまうという。
「なったリンゴは売れないのですか」と尋ねると、宮下さんが首を振った。
「泥をかぶっているから細菌が入っている。販売禁止なんです。それに、農家は500万円もする農薬の噴霧機を洪水で全部ダメにしてしまいました。うちも1台やられた。隣の農家は2台が台無しだから1000万円。私がこれから噴霧機を買い、リンゴ畑を元に戻すためには1000万円以上のお金が必要となります。それではりんご園はやれない。やめるしかない」と宮下さんは嘆いた。
リンゴの木は泥で埋まっているので、このままでは木が枯れてしまう。だれが、泥を撤去するのだろうか。長野市津野地区(筆者撮影 転載厳禁)
リンゴ畑はこの地域一帯に広がっている。豊野東山地区と並んで、全国でも有数の産地だが、宮下さんのいう通り、泥を撤去しないと木が枯れる。すでに多くの農家が再建をあきらめたという。
ボランティアたちが懸命に災害廃棄物を動かしている。手前の被災したリンゴ畑で使う噴霧機は500万円する。これも一瞬のうちに壊れた(筆者撮影 転載厳禁)
それでも、台風19号で長野県内の死者が2人にとどまったのは、昔から水害が多い地域で、人々の災害の記憶が生きていたこと、住民組織がしっかりしており、お互い声を掛け合って逃げたこと、日常的に避難訓練をしていることにある。住民でつくる防災組織もフル活動し、お年寄りを誘導し、半鐘をたたいて危険を知らせた。これで何人もの命が助かったという。
十分選別されず、災害廃棄物の山
長野市津野地区。住宅が壊れ、大量の泥が流れ込んだ(筆者撮影 転載厳禁)
津野地区の空き地のあちこちに災害廃棄物が積み上げられている。もちろん分別はされず、一刻も早く仮置き場に移すかが課題になっている。
その一つ、宮下さんの自宅から1キロほど北に行った赤沼地区の赤沼公園を見た。ここは、市が災害時の仮置き場の候補地にされていたが、被災地のど真ん中にあることから、市民が自宅から災害廃棄物を持ち込む集積所とされた。
軽トラックや2トントラックで廃棄物を持ち込む市民が多い。災害廃棄物以外のものが大量に持ち込まれているともいう(長野市の赤沼公園、写真とキャプションの内容とは関係ありません)(筆者撮影 転載厳禁)
現場は高い山が幾つもできて、家電製品だけが入り口近くにまとめて置かれている。あとはあらゆるごみが混じった無分別の可燃混合廃棄物だ。生ごみも大量に含まれるのか、あちこちから異臭が漂う。
長野市の赤沼公園の集積所。左は家電。右は無分別の災害廃棄物の山(筆者撮影 転載厳禁)
入り口に、災害廃棄物の持ち込みを禁止すると書かれた立て看板があった。しかし、住民はお構いなしだ。軽トラックと2トン積みトラックが次々とやってきて、プラスチックごみと木くず、鉄くずを荷台から山に放り投げている。
長野市の赤沼公園の集積所。 分別されない災害廃棄物の山(筆者撮影 転載厳禁)
住民が持ち込む災害廃棄物の集積所は300以上あるが、ここが一番大きい。自衛隊の隊員が数人、パトロールしているが、市の職員はいない。無管理状態と言ってもいいだろう。山に近づくと、大量のタンス、ソファ、バケツ、机、布団。そしてビニール袋があった。異臭が漂う。
長野市の赤沼公園の集積所。手前は事業者が勝手に持ち込んだ産業廃棄物と思われる(筆者撮影 転載厳禁)
長野市は、市内に仮置き場を5カ所設置し、住民や集積場から持ち込まれた災害廃棄物が山のように積まれている。仮置き場は10月14日に篠ノ井運動場で開設、15日に松代・青垣公園運動場、17日に豊野東山第1・第2運動場で開設した。しかし、どこも災害廃棄物を積んだ軽トラックが長い列をつくって搬入し、被災地に近い豊野東山の仮置き場は22日で満杯となり、閉鎖を余儀なくされた。
豊野の仮置き場は満杯となり、持ち込みが禁止されている(筆者撮影 転載厳禁)
市は代わりに県の下水処理施設、アクアパル千曲の敷地を使わせてもらい、23日に開設した。市は県外の市から応援に来た大型パッカー車で集積地から仮置き場にピストン輸送してもらっている。首都圏の市の職員が話す。
「赤沼をはじめ、集積場に運ばれた災害廃棄物は分別せずに出されている。それを仮置き場に運んでいるが、分別されていないからごちゃ混ぜの混合廃棄物の山になっています。これからの選別と処理作業は大変な困難を伴うと思います」
仮置き場はプラスチックごみで満杯に
環境省の指示のもと、全国の市町村は災害廃棄物処理計画をつくることになっている。しかし、策定済みの自治体は3割程度にすぎない。また、策定したから万全というわけではない。長野市は計画を策定し、2018年に見直したばかりだった。震災と水害を予想し、ごみの発生量をそれぞれ想定、仮置き場の設置から処理まで詳細に書かれている。
計画では、市内37カ所の仮置き場の候補地を挙げ、9品目を分別して持ち込むとしていた。これは東日本大震災で、被災地の多くで仮置き場に無分別の廃棄物の山ができ、選別と処分に多大の時間と予算がかかったという教訓から生まれたものだ。
しかし、現実にはどうか。
今回設置された仮置き場5カ所のうち、このリストに入っていたのは豊野東山と赤沼公園の仮置き場だけ。市廃棄物対策課の職員が言った。「仮置き場を設置するには住民の了解を得ないといけない。それに一定の面積が必要で、洪水の被害のない場所となると、なかなか見つからない」
実際に仮置き場を見た。松代の仮置き場には可燃・混合廃棄物と、可燃物の大きな山があった。可燃ごみは焼却施設で燃やし、不燃ごみは、金属、プラスチック、ガラスなどリサイクルできるものに分け、残った陶器などを埋め立てるのが本来のあり方だ。さらに木くず、畳、家電、ソファなどの処理困難物、有害ごみの置き場所もあり、いずれも山積みになっている。
松代仮置き場。手前は可燃混合ごみ、奥は不燃ごみというが本当か?(筆者撮影 転載厳禁)
しかし、可燃、不燃の二つの山を見比べても大きな違いがあるとは思えない。例えば不燃ごみには大量の木製食器棚やタンスなどが放り投げられている。ガラスの戸や鏡があるため、不燃扱いになっているのだ。不燃ごみで最も多くを占めるのはプラスチックだ。おもちゃから日用品、ケース、バケツまで、とにかく量が多い。その山にスチール製の机や家具などが投げられている。
3メートルの高さになった不燃ごみの山のそばで、数人の女性ボランティアが、金属ごみを取り除く作業をしていた。
松代仮置き場。金属類を取り除くボランティアの人たち(筆者撮影 転載厳禁)
長野市から仮置き場の管理業務をしている業者は「マグネがあれば一発なんだが」。ユンボのアームの先に磁石を取り付けると、1トン以上の鉄を廃棄物の山から取り除くことができる。「こんなにごちゃ混ぜ状態になっていると選別が難しい。最初は大変でも仮置き場できちんと選別しておくと、結局のところ、早く処理ができます。大量のプラスチックはきれいなものならペレット化、少しの汚れなら固形燃料のRPF、ひどい汚れのあるものは燃やすか、埋め立て処分でしょうか」と語った。
鉄板敷かなかったことが無分別招く?
仮置き場に畳が敷かれていた。鉄板が調達できず、あるいは必要だとは思わず、トラックが進入してきて泥まみれになり、慌てて恒久措置としてやったのだろう。だが、畳は腐って破損する。その度トラックが立ち往生する。仮置き場を設置する場合、最初に鉄板を敷いて足場を確保し、トラックが入れるように導くというのが道理だ。
松代仮置き場.通路部分に畳を一部敷いているが、むき出しの地面はぬかるみ、トラックがスリップし、動けなくなることが頻発している(筆者撮影 転載厳禁)
豊野東山の仮置き場は16日に開場すると、被災がひどかった住民が退去して持ち込み、23日に閉じてしまった。その後富山県の産業廃棄物処理会社、富山環境などが受けて、重機を持ち込んでは、敷かれて腐った畳をはがし、鉄板を敷く作業をしている。
豊野の仮置き場では、富山県の産業廃棄物処理会社、富山環境などが入って、まずは畳を剥がして鉄板を敷いている。こうすると作業効率はあがる(筆者撮影 転載厳禁)
幾つかの仮置き場の廃棄物の山を見ると、畳、家電、木くずなどに分別されているが、それ以外の大半の廃棄物は、可燃混合ごみと不燃ごみとして巨大な山が築かれている。
長野市計画では一次仮置き場で最低9品目に粗選別し、次に二次仮置き場に移して選別機で細かい選別を行い、処理工場に運ぶとしている。しかし、現実には一次仮置き場では、粗選別が不十分のまま、山積みされている。今後二次仮置き場を確保し、きちんとやれるのだろうか。市職員が悩みを打ち明けた。「実は一次仮置き場も住民の了解が必要で用地の確保が難しかった。二次仮置き場はめどが立っていません」
災害廃棄物の処分をめぐっては、大阪市や岐阜市、町田市など様々な自治体から応援部隊が派遣されている。都外から派遣された職員が心配して言った。「長野市は仮置き場を中途半端なまま開場し、大量の市民が災害廃棄物を持ち込んだ。それがそのまま混合廃棄物の山になったのではないか。冬になれば野外の廃棄物の山は凍り、時間との勝負にならないか」。雪が降り、寒さで廃棄物が凍ると、選別どころではなくなるというのだ。
プラスチックの処理に待ち受ける暗雲
いま、仮置き場の管理を任された廃棄物処理業者が頭を痛めているのが、大量のプラスチックごみの扱いだ。長野市は、容器包装プラスチックはリサイクル、それ以外のプラスチックは不燃ごみ扱いにしている。
災害廃棄物の山を見ると、なるほど家具のような大きなプラスチック製品のごみは不燃の山に多いが、ビニール袋などは可燃混合ごみの山に大量に捨てられている。「本当は可燃ごみもきちんと選別しないといけないが、選別作業が大変で、このまま焼却施設に持って行くしかないでしょう」と管理していた業者。また、「千曲市ではプラスチックが可燃ごみ扱いし、自治体によって分類がまちまち」(千曲市民)なのも、処理業者を困らせる原因となっている。
プラスチックは陽光を浴びて時間の経過とともに劣化する。それが風や雨で飛ばされ、千曲川に流れ込む。千曲川はやがて信濃川となり、プラスチックごみは新潟県の日本海に流出し、海洋を汚染する。いくつかの自治体の組成調査で、一般廃棄物のうちプラスチックごみは、大雑把に言って重さで約15%、カサで約30%を占めるといわれる。今回の災害で、家庭に胎蔵されていたプラスチックが大量に排出されている。できるだけ早くリサイクルと適正な処理・処分を行うことが望まれる。
仮置き場に積まれた災害廃棄物は処分の段階に至っていないが、実際にどう処理されるのか。それを知るため、長野市の大手産業廃棄物会社、直富商事(長野市)の秋古工場を訪ねた。ヤードグループ課長の飯島一樹さんが案内してくれたのが、工場の入り口近くに積み上げられた産業廃棄物の山。高さ3メートル、長さ25メートル、幅5メートルある。
直富商事秋古工場の仮の保管場所には、被災した工場からの産廃が山積みされていた(筆者撮影 転載厳禁)
秋古工場の仮の保管場所には、被災した工場からの産廃が山積みされていた2(筆者撮影 転載厳禁)
飯島さんが言う。「被災した工場と事業所から出た産業廃棄物です。プラスチックくず、金属くず、コンクリートがら。いろいろな物が混じっています」。この山はユンボなどによって粗選別し不燃ごみを集めた。実は秋古工場にある保管場が、被災した工場から持ち込まれた産廃で満杯となり、行政の許可を得て、空いたスペースを臨時の保管場にした。
秋古工場のプラチックごみの手選別ラインでの作業風景(筆者撮影 転載厳禁)
保管場に集まった不燃ごみはまずはユンボや作業員の手で粗選別し、次に機械式選別機に投入する。廃棄物を乗せた台が前後に揺れながら回転する。それによって、木くずなどの重量物、プラスチック、紙などの軽量物、その他の粒度の細かい物に分けられる。粒度の細かいものは焼却処理。重量物の木くずは手選別の上、パーティクルボードに。軽量物は手選別の後、RDFの原料に。紙はトイレットペーパーの原料になる。
秋古工場では、プラチックごみの選別が何段階にも分けて行われていた(筆者撮影 転載厳禁)
しかし、すべてがリサイクルできるわけではない。焼却や埋め立て処分に回さざるを得ないものもある。飯島さんは「家庭から出た災害廃棄物も余裕があれば処理に貢献したいが、今は持ち込まれる被災工場からの産業廃棄物が大量で手が回らない」と語る。
「この災害廃廃棄物を選別するのは至難の業です」と話す飯島一樹さん(筆者撮影 転載厳禁)
選別工場の裏手には1軸と2軸の二つの破砕機があり、それぞれプラスチックなどを破砕し、RPFの原料にしていた。近くには小型の焼却炉もあるが、これだけでは足りず、他の業者に処理を頼んでいるという。プラスチックごみは、中国の輸入禁止措置で行き場がなくなり、処理委託を受けた安定型埋立処分場業者が、受け入れを断っている状態だ。災害で、状況はさらに悪化しそうだ。
自治体の支援体制にも問題
東日本大震災で災害廃棄物は津波堆積物も含めて3000万トン排出された。処理を助けるために多くの自治体が支援に入ったが、情報が共有できないなど、幾つかの課題が明らかになった。そこで環境省は全国をブロック別に分け、災害があった県を周りの県が助ける「広域連携」の制度をつくった。長野県が含まれる中部地域では、名古屋に事務所がある環境省中部環境地方事務所が計画を作った。それによると、長野県が被災した場合は、富山県と岐阜県が応援体制を組むが、幹事県になっている富山県がまず、県内の産廃処理の団体を通じて処理会社を選定、処理などに関わってもらう。足りない場合には、富山県は岐阜県に応援を要請し、それでも手に負えない時には、愛知県、三重県、静岡県などに支援の輪を広げることになっている。
今回、富山県は、団体を通じて富山環境などの処理会社に依頼し、会社は豊野東山仮置き場で作業を始めた。さらに富山県は、岐阜県、愛知県にも支援要請した。が、岐阜県と愛知県から支援要請を受けた業界団体は懐疑的だ。「『とにかく業者に現地に入って支援してほしい』と言うだけで、仮置き場がどんな状況か、長野県の処理体制がどうなっているのか、詳しい説明はなかった。他人任せにしないで、まずは地元の長野県が取り組む必要があるのではないか」
豊野の仮置き場では、富山県の産業廃棄物処理会社、富山環境などが入って、ユンボの先にマグネ(磁石)をつけて、鉄くずを分けていた。
一度に1トン以上の鉄くずを運べる(筆者撮影 転載厳禁)
このスキームでは、富山県が広域連携の仕事を中心になって進めることになっており、肝心の長野県は支援の受け手となっている。県は、長野市の要請を受けて数日間、豊野東山の仮置き場に職員を数人派遣しただけに終わっている。これで支援といえるのだろうか。
不思議なのは、県内の処理業者への応援要請も満足に行われていないことだ。関係者によると、県と環境省中部地方環境事務所は、業界団体の幹部らを呼び出し、豊野東山仮置き場一カ所の管理業務のみを要請したという。「災害廃棄物を積んだ軽トラックの誘導などの業務で、処理は頼まれなかった」と団体幹部は言う。これを受けて、長野市と市周辺の3社が15人の社員と重機を持ち込み仮置き場に入った。この支援は、県と業界団体が結んだ協定に基づき、長野市が県に要請し、県が廃棄物処理業界に要請するスキームによるものだ。しかし、そもそも長野市は仮置き場の設置方法や選別のやり方を知らない。それにたけているのは廃棄物の処理業者しかいないのに。
長野市などでつくる長野広域連合のエネルギーセンターは3月に稼働したばかり。
災害廃棄物でピットが満杯になり、10月28日に受け入れを一時中止した(筆者撮影 転載厳禁)
また長野市は県内外の市町村と災害支援協定を結んでおり、岐阜市や町田市、大阪市のパッカー車と職員が支援に派遣され、市内の集積場と仮置き場をピストン輸送している。
ところが、被災地の現場には、肝心の長野市と長野県の職員の姿は数えるほどしか見えない。「外人部隊」の活躍ばかりが目立っている。
津野地区でボランティアをした長野市民はこう語る。「長野市と長野県とは元々仲が悪いから、災害が起きても連携がうまくいっていないようだ。長野市の災害廃棄物の処理計画も絵に描いた餅で実行されてない。県の下水処理場につくった災害廃棄物の仮置き場はオープンの日の朝に慌てて鉄板数枚がもち込まれる状況だった。こんなことでちゃんと処理が進むのだろうか」
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