「買い取り価格を上げて、みんなが求める中古品を提供したい」と語る大木基季さん。
杉本裕明氏撮影 転載禁止
福岡県直方市の工場団地の一角にある福岡支店の大きな倉庫には多数中古家電が整然と積み上げられている。店長の大木基季さん(31歳)は若いが、所沢支店、埼玉本店などの店長を経験してきた。朝はみんなよりも早く出てパソコンでメールをチェック。朝礼、昼礼、終礼を欠かさず、その日の段取りや手順、進行の具合を伝え、情報の共有化を心がける。
「買い取り量がもっと増えるキャパシティーがあるはず」と、買い取り価格を上げて不要品回収業者のモチベーションを高めようとした。これが功を奏し、買い取り量は大幅アップ。仕事の充実感と達成感を味わっているという。それはやがて海外でリユース品を買った人々の満足感を高めることにもなる。
ジャーナリスト 杉本裕明
体を動かす仕事につきたい
杉本裕明氏撮影 転載禁止
埼玉県小川町に生まれた大木さんは、二つ上の兄の影響で幼稚園の頃にサッカーを始め、小学校の時にはスポーツ少年団、中学、高校でもサッカー部に入った。地元の県立小川高校では1年生ながら2、3年生に混じって試合に出ていたという。
ところが、1年間でやめた。「実は、中学の時に、高校に進学せず働こうと思っていたのですが、両親から『高校ぐらいはでなきゃダメだよ』と諭され、進学した経過があるんです。サッカーでプロになれる才能がないとわかったから」。その後は、小川町にあった社会人のサッカーチームで休日にサッカーを楽しんでいたという。
3年生になって、同級生はみな大学や専門学校への進学を考え始めたが、大木さんは、「卒業したら自立するんだ」。しかし、何をしたらいいのか、したいものが見つからなかったという。
「漠然と考えたのが、体を活発に動かす仕事につきたいということ。自分が全力でやれる仕事があればと思った」。父親にそのことを告げると、「やりたいことをやればいい」と背中を押してくれた。
大木さんが学校に備えた求人ファイルから見つけ出したのが浜屋。浜屋の理念というより、他社と比べた給与や福利厚生がよかったからという。進路担当の教師が「一度見てきたら」と浜屋に連絡してくれた。
10月のある日、本社を訪ねると、回収業者の軽トラックが長い列をつくり、社員たちが中古家電を検品していた。みな必ず「こんにちは」「いらっしゃい」と笑顔であいさつする。社員は若く、仕事をてきぱきこなしている。「勢いが、活気があったんです。『ここにしよう』と、その場で決めました」
「この人たちは化け物か」
杉本裕明氏撮影 転載禁止
しかし入社すると、外から見ていたのと実際にやるのとでは大違いだった。
両手で大きなテレビを抱え、肩に担ぎ、コンテナに乗せるのが仕事だ。だが、持ち上げようとしても体がプルプル震えるだけでテレビは動いてくれなかった。そばでは社員がテレビを楽々と肩に乗せ、積み込んでいる。「この先輩たち、化け物だ」と大木さんは思った。
体力とスピードに自信があり、小中学校のスポーツテストではいつも学年で3番以内。その自信はあっけなく崩れた。しかし負けず嫌いの大木さんは、その日から重いものを持ってトレーニングを始めた。
2006年に入社した大木さんは本店で2年勤務したが、最初の1年は仕事の合間を縫って広島支店、静岡支店などの応援に出かけた。2年目は4トントラックを運転し、自治体のクリーンセンターから中古家電を引き取る仕事を経験した。
総勢2人の店長から20人の大規模店の店長も
初めて店長になったのは2008年。さいたま市の出店が決まり大木さんが指名された。しかし、赴任したのは大木さんともう1人のわずか2人。しかもバイパス沿いの立地なので、不要品回収業者のトラックがひっきりなしにやって来る。
2人で荷下ろしから積み込み、伝票の打ち込みまでこなし、めまぐるしい日々が続いた。その後応援をもらい、やがて売り上げを伸ばした支店は6人体制になった。大木さんは5年半をここですごした。
その後、社員の数が多い所沢支店の店長、さらに埼玉本店の店長も務めた。「5、6人の店舗では家族的で目配りもでき、自分が現場で働くこともできた。でも大きくなるとそうはいかない。マネジメントが大事だとわかった」と苦労を語る。
支店長として、在庫の回転率を上げることと社員のモチベーションを上げることが大切だと大木さんは言う。買ったリユース品を工場(倉庫)に保管し輸出する。リユース品の回転を早めれば売り上げも利益も増える。
そのために買い取り量を増やし、整理整頓して工場のスペースを広げ、段取りを効率的にして出荷を早めて在庫の時間短縮を目指す。
一方モチベーションには特効薬がない。それでコミュニケーションが大事だと、できる限り社員と一緒に外で汗をかいているという。
買い取り価格を上げて、回収業者のモチベーションを上げる
杉本裕明氏撮影 転載禁止
福岡支店には18年2月に着任した。当時6人体制だったが、本社に増員を要求し9人体制になった。赴任前から買い取り量が増える傾向にあったことと、買い取り価格が埼玉に比べて少し安い設定になっていた。そこ買い取り料金を上げることで不要品回収業者のモチベーションが上がると考えた。
実施すると予想は的中し、買い取り量は前年同期より大幅に増えた。高校の同級生だった妻と3人の子どもを小川町のマイホームに残し、単身赴任生活を続ける。
「1か月に1回、妻と子どもの顔を見に帰っています。社員とコミュニケーションをとるために、よく飲みにいきます。お酒は好きな方だから」。社員たちが小気味よく作業する傍らで大木さんが笑った。
九州・福岡から東南アジアに向かってコンテナ船が今日も出帆していく。何かロマンを感じさせる。
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