「『これが大金になるのか』とスクラップに新鮮な驚き」と語る天沼洋史さん。
杉本裕明氏撮影 転載禁止
「リユースの請負人」の第3回は、スクラップ業の儀間商店の社長の話である。鉄と銅など非鉄金属を工場などから買い取り、裁断したり圧縮したりして、電炉メーカーや必要とする事業者に販売している。
リサイクル業と呼ぶのがふさわしいかもしれないが、仕入れたものをそのまま転売するリユースも兼ねる。儀間商店はリユース会社浜屋の子会社で、社長の天沼洋史さん(39歳)は、いくつかの職業を経て、いまの仕事についた。その過去の経験が今に生きている。
ジャーナリスト 杉本裕明
儀間商店は群馬県太田市にあるスクラップを専門に扱っている会社だ。
天沼さんは、スクラップ会社から浜屋に転職、女房役の工場長、長澤学さんと名コンビを組んで、スクラップ事業をけん引している。浜屋の事業は、中古家電や中古雑貨の輸出事業と、基板とスクラップの国内取引の二つに分かれるが、天沼さんはスクラップ事業を担っている。
「みんなが気持ちよくしっかり働けるようにするのが私の役目」と天沼さんが語る職場は、社員の笑顔が絶えない。
植木鉢を会社に運ぶのが仕事だった
東京墨田区に生まれ育った天沼さんは、都立高校から千葉県の私立大学に進んだ。「高校時代はハンドボール部に所属し、レギュラーとして都大会で3位に入ったこともあった。
でも、大学では将来のことをあまり考えず友達と遊んでしまった」と謙そんする。経験したアルバイトはコンビニ店、写真屋の現像、工場、弁当屋、飲食店、郵便局――。「両手ぐらいにはなるかな」
就職に当たってもいろんなことを経験したいという気持ちが強かった。でもどこかに入らねばならない。大学の求人票から選んだのが植木鉢のリース会社。トラックに植木鉢を乗せ、リース先に届け、古い植木鉢を回収する仕事だが、1年ほどでやめた。
「植木を会社に届け、古いのを回収する。営業の仕事も少しあったが、決まったところを往復する繰り返し。それに給料もよくなかった」
スロットマシンの営業で心身をすり減らす
選んだのが、スロットマシンのメーカー。就職情報サイトに「1000万円稼ぐことも可能」の見出しがあった。
パチンコ店にスロットマシンを販売する営業職。パチンコ店のパチンコ台やスロットマシンは設置して2年たつと検査を受け廃棄処分される。
店は客を引きつけるためにもっと早く新しいマシンに切り替えるが、その売り込みだった。
最初は、先輩社員についてパチンコ店を回り、店長と名刺交換したが、一回りすると、地区割りした地図を渡され、自分で車で回る。
マシンは1台40万円。大きな店だと、一か月に1000~3000万円ものお金が動く。「そろそろ、新しいのに切り替えませんか」と持ちかけても、契約は容易ではない。
足を棒のように何回も通い、やっと「3台なら」と、店主の承諾を得たのは午前1時。会社に戻り「3台制約」の稟議(りんぎ)書をファクスで本部に送る。
間もなく届いたFAXにこうあった。「再交渉」。粘って契約額を増やせという指示だ。本部がウンといわない限り営業は終了しない。睡眠は5時間もなかった。
次第に店主らの信頼を得て契約を増やしていった。でも29歳の時に結婚し、こう考えた。
「こんなことを続けていたら体も心もぼろぼろになる」。6年ほど続けた仕事をやめたのは30歳の時だった。
スクラップ業界に転進
いったん、パチンコ店に中古のマシンを卸していた会社に席を置いたが、「家族とすごす時間が欲しい」と退職。自宅の近くの勤務先を探すと、銅スクラップ問屋があった。
始まったスクラップの営業の仕事は知らないことだらけだった。「お金にならないようなものが、大金になると知った。数千万円の商談が平気で行われているのに驚いた」と、天沼さんは言う。
飛び込みで会社を訪ね、スクラップを探した。慣れてくると、何が商品になるのか値打ちもわかる。相手先から信用され、やがて月に4、5件の契約を取れるようになった。
1年ほどたったある日、天沼さんの携帯電話が鳴った。ヘッドハンティングの会社だった。お見合いしてみないかというのだ。相手は浜屋だった。レストランで小林社長に会った。飾らない人柄が気に入った。でも、躊躇(ちゅうちょ)した。「まだ、経験が足りません。もう少し考えさせてください」。小林社長は「すぐでなくていい。うちは気長に待つよ」。
見込まれて会社の社長に
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1年後の2012年1月、浜屋の営業部に配属された天沼さんは、基板を求めて再び飛び込み営業を開始した。人脈を生かしパチンコ店のオーナーも訪ねた。
その後、買い取った基板をさらに選別して品位を上げる工場の設立準備を担当。立ち上げを確認すると、13年秋に儀間商店の社長に抜擢(ばってき)された。
群馬県太田市にある儀間商店の作業場。ニューギロと呼ばれる裁断機が、うなりをあげて金属を切断していた。「油圧式で、一日101トンもの能力があります」と天沼さんが説明した。
ギロチンシャーと呼ばれる大型スクラップを圧縮切断する機械。
1平方メートル未満に裁断し、電炉メーカーに売却している。
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スクラップを積んだトラックは事務所前のトラックスケールで計量、ユンボで金属、プラスチックなどに粗く分けた後、金属は手作業でステンレス、銅、アルミ缶、鉄くずに選別される。金属は精錬会社に、鉄くずは製鉄所に売却といった具合だ。
近所の住人との関係を大切にしようとあいさつを欠かさず、お盆や催し物のある時は参加したり寄付したりして、関係は良好だ。
社長と言っても社長以下総勢9人。イスに座る時間は少なく、自らトラックのハンドルも握る。客の応対の傍ら、長澤学工場長と綿密なうち合わせを重ねる。
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長澤さんは浜屋の金沢支店長、本店次長を歴任してきたプロフェッショナル。中古品のリユース専門で、スクラップの知識はなく、最初は苦労したが、やがて知識も蓄え、誰にも優しく接し、工場の作業員から信頼を得ている。私が訪ねた日も、自ら大型トラックを運転していた。「この仕事、やりがいがありますよ」と笑顔で語る。天沼、長澤のコンビが会社を円滑に動かし、活気づけている。
天沼さんはこう抱負を語っている。
「みんなが気持ちよくしっかり働けるようにするのが私の役目。みんなの意識が統一されるようにと、できる限り現場に出ています。スクラップは工場からの買い取りと解体屋さんらからの持ち込みが半分ずつだが、工場の新規開拓にさらに力を入れたい」
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