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リユース請負人② 三浦好統さん/関西の不要品が集まる大阪支店

「一人ひとりを認めてあげることから始まる」と語る三浦好統さん。
杉本裕明氏撮影 転載禁止

浜屋の大阪支店は、大阪府岸和田市の岸壁の近くにある。倉庫群の一角に構えた支店には、大阪だけでなく、奈良県や和歌山県からも不要品回収業者の軽トラックが集まってくる。

きびきびと、コンテナに中古家電や日用品を積み込む社員たちのトップに立つのが店長の三浦好統さん(34歳、現在は本社勤務)。20代の頃は、プロのサッカー選手を目指し、そこからリユースの世界に転身した変わり種だ。どんな仕事についたらいいのか、悩む人たちにとっても羅針盤になる経験を笑顔で語ってくれた。

ジャーナリスト 杉本裕明

目次

不要品回収のトラックが長い列をつくる


大阪支店は大阪湾の岸壁に近い工場や倉庫の立ち並ぶ一角にあった。
支店の前に近畿圏からやってくる不要品回収業者のトラックが長い列をつくっていた。
「集まり具合はどうですか?」と、声をかけると、ハンドルを手にかけたままで女性が笑った。
「まあまあやね」
「どこから来たのですか?」
「私は和歌山県から。隣の車はもっと遠くから来ているよ。お客さんから『助かりました。またお願いします』と感謝される仕事だから、やりがいはあるよ」


大阪支店から大阪湾が見える。
杉本裕明氏撮影 転載禁止

倉庫の中で、社員たちは検品に忙しかった。中古品ごとに買い取り料金が決まっていて、その種類は家電製品だけで数百にものぼる。メーカーの名前や製品名によって値段が違い、壊れやすい、壊れにくい、修理がしやすいといった使う側が求めていることが重要な判断材料になっている。倉庫内は中古家電、家具、日用品、衣類などがきれいに仕分けされ山積みされている。

倉庫の外では、社員らが中古品をコンテナに積み込む作業をしていた。テレビは画面のガラスが割れないように段ボールで包み、それを空間ができないようにきちっと積み上げていく。冷蔵庫も洗濯機も同じだ。

「段ボール箱に一つ一つ入れた方が商品を傷めないと思われがちですが、こうしてすきまなく並べて積み上げた方が、実は損傷が非常に少なくてすむのです」と社員が説明した。中を見ると、中古品はまるで幾何学模様のようで壮観でもある。これが途上国の人々の家庭に届くと思うと、ちょっとセンチメンタルな気分にもさせられる。

プロサッカー選手を目指していた店長

この大阪支店で18人の社員を率いる店長の三浦好統さんは、大学時代にサッカー部のキャプテンだった。チームを統率し、仲間から慕われていた。その経験がいまに生きる。

「社員は、一人ひとり考え方・価値観・目標も違う。『その考え方・価値観は間違いじゃないんだよ』と認めてあげることが大事だと思う」と三浦さん。商売の街、大阪ならではの新たな商品開発にも意欲的だ。

長野県木曽郡上松町で生まれ育った三浦さんはサッカー少年だった。中学3年の時、長野県代表として全国大会でベスト16まで進んだ。ボランチだった三浦さんに目をとめたのが田嶋幸三氏。のちの現日本サッカー協会会長である。

Uー15歳以下の日本代表候補キャンプに招集され、そこでサンフレッチェ広島のスカウトを受け、サンフレッチェ広島のユースチームへ。地元の高校に入学し、ユースチームでの寮生活が始まった。

「面白いこと、苦しいこと。いろいろな経験をしました」と三浦さん。チームでは副キャプテンを務めた。しかし競争は厳しい。同期9人のうちトップチームに上がったのはわずか2人。プロの夢は捨てたくないと、三浦さんは岩手大学教育学部(盛岡市)に進むと、サッカー部に入った。サイドバックとしてチームの要となり、4年生の時にはキャプテンになった。
だが、プロの道は厳しい。卒業後は地元の生活協同組合で精肉の仕事に就いた。

半年たった頃だろうか。フットサルのプロのリーグをつくる動きのあることを知った。「もう1回挑戦したい」
丁度、岩手県にプロを目指すチームがあり、三浦さんは仕事をしながら練習に精を出した。翌年、長野県でプロチームを目指す動きを知り、松本市に転居した。製造業の会社で管理・監督者をしたり、通信制高校の体育教師をしたりしながら、夜や休日に体育館を借りて練習を続けた。

松本市でのフットサルの挑戦は2年半続いた。しかし、プロチームとして参戦のめどが立たず、自らも体力的な限界を感じ始めていた。そんな頃だ。妻が思い切って打ち明けた。「ここらで東北に戻ろうよ」

妻は青森県出身で、岩手大学の同学年で知り合った。三浦さんはプロサッカーに見切りをつけた。人生の大きな決断だった。2010年11月のことである。

重い家電持ち上げるためにトレーニングに励む


杉本裕明氏撮影 転載禁止

妻の実家の青森県ではいい就職先を見つけるのは難しいと判断した三浦さんは、ハローワークで仙台市での働き先を探した。そこに浜屋の仙台支店の求人があった。浜屋は金属スクラップも扱っており、体を使う仕事に興味がわいた。

「仕事はきつそうだが、ここならやれそうだ」。仙台支店で面接を受けると、丁度先に、第一回目で紹介した若生陽介さん(現所沢支店長)の入社が決まったところだった。

「バイトでよければ採用します。がんばれば正社員になれます。どうですかですか」。大友諭さん(現店舗統括部長)に言われ、働くことになった。
そして3か月後、正社員となった。

しかし、三浦さんにとって支店の仕事は戸惑うことだらけだったという。「とにかく扱うものが重い。大型のテレビだと60~70キロある。サッカーで足腰には自信があったが持てなかった」。

そこで昼休みには屋外で重りの代わりに中型テレビを持ち上げ、自宅では腕立て伏せや懸垂と、筋力トレーニングに励んだ。
トレーニングと他の社員の仕事を見よう見まねでコツを体得し、1カ月半で大型テレビが持ち上がるようになった。

もう一つ苦労したのは、家電のメーカー、年式、検品のポイントがなかなか覚えられなかったことだ。今はマニュアルが整備され、各人が「ipad」を持って楽にこなすが、当時はなかった。この仕事は「職人気質」が残り、他人の仕事を見よう見まねで覚えていくものとされていた。

そこで大学ノートに要点をメモし、仕事の手順を見たまま細かく書いた。それを読み返しては体得していった。そして「お客様に喜ばれる仕事をする」「自分ができることを精一杯やる」という、小林茂社長が常々言っていることを脳裏に刻み込んだ。

支店長の心得とは何か

こうした努力が報われないわけがない。
2013年に仙台支店長となり、15年暮れには大所帯の大阪支店長になった。

「店長として大事にしていることは?」と、私が尋ねるとこんな答が返ってきた。
「一つはみんなの模範にならないといけないということ。言葉遣い、行動、態度をみんなが見てああすごいなと思ってもらえないと。二つ目は責任感。支店の社員とその家族を養うことになるのだから」
サッカーのキャプテンの経験が生きる。あいさつしたり、先輩後輩にかかわらず人からの指摘を素直に受け取ることだったり。

支店の社員は25~39歳とバラツキがある。「一人ひとり価値観が違い、目標も違います。支店長になりたいと思っている人もいれば、ここにずっといたいという人もいる。そのひとりのことを認めてあげること、その価値観は間違いじゃないんだというところから信頼関係が生まれると思う」
社員面接は年に3、4回。1人に1時間以上かけて相談に乗ることもある。

新しい商品開発と職場の改善が課題

三浦さんは、大阪という商売の街は新しい商品が生まれやすいのではないかと考えた。2年前、回収業者が食器を紙で包んで持ってきた場合に買い取り価格を1・5倍にした。

それまでは紙で包んでもそうでなくても同じ価格だった。この切り替えで、買い取り量は2倍に増えた。高く買い取ってくれると、回収業者が回収により力を入れてくれたからである。浜屋にとっても、社員が紙で包む労力を減らすことができる。

こうした小さな積み重ねは浜屋の利益になるだけではない。途上国の人々にとってもより欲しいものが手に入ることを意味する。「WinWin」の関係をつくりだすというわけだ。

「今後は社員の年齢が上がって仕事がきつくなる人も出てくる。それに見合った働き方の工夫ができないかと考えています」と三浦さんが言った。支店で社員の働きぶりを見ていると、重い家電製品を運ぶのはやはり大変だ。その三浦さんの思いは、新任の高田真吾支店長に引き継がれている。

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この記事を書いた人

朝日新聞記者を経て、フリージャーナリスト。廃棄物、自然保護、地球環境、公害など、環境の各分野に精通する。著書に『ルポ にっぽんのごみ』(岩波書店)『ディーゼル車に未来はあるかー排ガス偽装とPM2・5の脅威』(同、共著)、『環境省の大罪』(PHP研究所)、『赤い土(フェロシルト) なぜ企業犯罪は繰り返されたのか』(風媒社)、『社会を変えた情報公開―ドキュメント・市民オンブズマン』(花伝社)など多数。NPO法人未来舎代表理事として、政策提言や講演会などをしている。

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