資料館では、様々な工夫を重ね、見学者の興味を引いている。
杉本裕明氏撮影 転載禁止
清掃工場を見学すると、よく見学者のためのコーナーが設置されていることがあります。でも、どれもありきたりで、誰もが知っていることばかり。もっと刺激的で、本格的な博物館はないものか。
そんな不満に答えてくれるところが長野市にあります。直冨商事の「リサイクル資料館――なおとみ資源の森」。行ってみると驚きました。まさしく日本一の「ごみの博物館」です。
ジャーナリスト 杉本裕明
リサイクル資料館-なおとみ資源の森
ごみの流れを見学者に説明する福島さん。
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直富商事は長野市大豆島の工業団地の一角にある廃棄物処理の会社だ。工場から出た産業廃棄物を選別し、品目ごとにわけて資源にしたり、家庭ごみの収集をしたり、ビルの清掃などメンテナンスをしたり、金属スクラップの回収事業をしたりと、多角的な事業を展開している。
「私の道楽なんですが、ぜひ見ていってください」と、出迎えた木下雅裕さんにまっ先に勧められたのが、「リサイクル資料館-なおとみ資源の森」と名付けられた廃棄物の資料館。長く社長を務めた木下さんだが、いまは社長を息子の繁夫さんに譲り、相談役をつとめている。
3階建ての建物の「なおとみ資源の森」で、アドバイザーの福島昭朗さんが案内している。この資料館は2017年暮に開館した。学校の生徒たちや住民団体、専門家など、様々な人たちが見学にやってくる。福島さんは「子どもたちや地元の婦人会などに来てもらっています。わかりやすいと好評を得ています」と話す。
見学者たちは隣にあるごみの処理施設や鉄などのスクラップの処理施設も見学している。「実際にごみがどんなふうに扱われ、処理されたり、リサイクルされているのかを見ることで、資料館で得た知識が生きるんです」と木下さんは語る。
資料館を写真で見る
資料館を順番に見よう。1階は暮らしの中でどんなごみが出ているか、どんなリサイクルされたものがあるのかを紹介している。
①
杉本裕明氏撮影 転載禁止
②
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写真は産業廃棄物。①②はプラスチック製品を製造する工場から出た廃プラスチック、ゴム製品製造の工場から出たパッキン(ごむくず)、化学工場から出たアルコール系洗浄剤、水産物の工場から出た発泡スチロールといった産業廃棄物の実物が並ぶ。
③
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③は農業から出た産業廃棄物で、農業用フィルム、鉄の棒、古くなった農業機械と器具、シート――。
2階はプラスチック、焼却灰、液体廃棄物、木くず、ペットボトル、食品廃棄物などについて、そのゆくえやリサイクルの方法を説明している。
④
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④はプラスチック製品が展示されている。スリッパ、食器のプレート、ペットボトル、ラップ、スポンジ。
⑤
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⑤は食べ残し・調理くずの行方が示されている。堆肥になって、再び野菜を育てる肥料にしたり、メタンガスになって電気に変わったり、魚のアラをリサイクルしたり。
⑥
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⑥は下水処理施設や家庭の浄化槽に溜まった汚泥のリサイクル。汚泥を乾燥させた再生土は堤防の盛り土などに使う。わざわざ山を切りくずして土をとってこなくてもすむというわけだ。セメントの原料にもなる。造粒固化といわれる、汚泥に特殊な薬品を加えて粒にし、道路を造る時の材料にもなる。
3階は金属資源の世界を扱っている。
⑦
杉本裕明氏撮影 転載禁止
⑧
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⑦はいろんな鉄の種類、⑧は鋼鉄、銑鉄といった炭素の量によって硬さがかわり、呼び名も違うことを紹介している。
リサイクルの流れは、まず廃棄した自動車、古い機械などを破砕し、鉄くずを分ける。それを電炉と呼ばれる大きな炉に入れて電極を使って高温で溶かし、純粋な鉄を取り出す。鉄鉱石から鉄を取り出す炉は高炉と呼ばれる。
⑨
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⑨は電炉と高炉で燃料として利用されている廃棄物。プラスチックごみや木くず、廃油などがある。
資源は循環している
実は日本には資源がたくさんある。使い終わった家電製品や自動車には、鉄や銅、アルミなどの金属のほか、リチウム、バナジウムといったレアメタルと呼ばれる希少金属も含まれる。携帯電話には白金が含まれ、大量の携帯電話から、金の延べ棒が造られている。こうした資源は都市鉱山と呼ばれ、もう一度資源として利用し、製品に生まれ変わる。
木下さんは「リサイクルを重視した資料館を造ることは私の夢だった。捨てられたごみや、スクラップになった鉄やアルミがその後どうなっていくのか、知っている人は少ない。子どもたちがわくわくしながら楽しめる資料館を目指しました」と語る。
実はこの資料館を造るにあたって、木下さんは「全国の資料館を見て回ってこい」との指示を受け、社員らは全国各地を巡った。ところが、模範になるような施設はどこにもなかった。私もかなり見て回っているが、このほかにかなり充実していると感じたのは北九州市のエコタウンにあるエコタウンセンターである。しかし、エコタウンに進出した企業の紹介が中心で、宣伝臭が強い。各地の清掃工場の展示コーナーはどこもお粗末で、役にたたない。
直冨商事の社員たちは、どうやって展示したら興味を持って見てもらえるか議論を重ね、あらゆる現物をそろえるという展示方法に落ち着いた。
カンボジアで井戸を掘る
「多くの人たちが資料館を訪ね、リサイクルに触れてほしい」と語る木下さん。
杉本裕明氏撮影 転載禁止
この会社の沿革を木下さんから聞いた。
木下さんは1935年長野県泰阜村に6人兄弟の長男として生まれた。父の直人さんはもと警察官。家柄の良かった母の富子さんとは駆け落ち同然で一緒になった。母が肺結核を病んだ時には、薬を買うために給料の高い旧満州国(中国東北部)の警察官として単身で赴任、仕送りを続けた。
戦争中に朝鮮人の徴用の仕事に就いていたことから敗戦後、パージにあった。富子さんは古着を集めて家計を助けた。やがて取引先から「古着よりくず商いの方がいい」と教えられた。そして、大八車を引いて廃品回収している親切な男性との出会いからくず類の仕切屋を始めた。そして木下商店と名乗った。1948年8月のことだ。
長野工業高校に進むが、入学してすぐに肺湿潤になり、1年間休学を余儀なくされた。「回復したら学校をやめて家業を手伝え」と言う父に反発し、土日にリヤカーを引いて廃品回収を始めた。木下商店に売却して得たお金で高校の学費に充てた。高校を卒業すると、長野市役所に就職した。農林土木の職場に配属されたが、独立心旺盛な木下さんにとって、役所は窮屈な存在だった。
職場で木下さんを慕っていた土木現場の作業者を引き連れ、廃品回収の家業を継ぐことを決めた。やがて才覚をあらわす。仕事熱心さと人柄が評価され、大きな工場から出るスクラップを扱う指定業者に選ばれた。上昇気流に乗ると、産業廃棄物の世界にも手を広げ、75年春に直富商事(株)を設立し、社長に就任した。社名は両親の直人と富子から一文字ずつとった。
現在、直富商事は、廃棄物の再資源化に取り組み循環型社会の形成に寄与する、省資源・省エネの推進、環境への影響を低減し、花と緑に囲まれた工場を創造・維持する――との目標を掲げ、繁夫社長のリーダシップのもと取り組んでいる。年間13万9000トンの廃棄物と資源を受け入れ、様々な処理を加えて、リサイクル資材にして取引先に11万8000トンを引き渡した。リサイクル率は85%にも達する。
木下さんは、数多くの社会貢献をしている。中国の山村に小学校を建設して寄贈したり、カンボジアで井戸を堀り、数年に1、2基ずつ寄贈したりしてきた。
そんな子どもたちに向ける木下さんの優しいまなざしは、資料館にやってくる子どもたちにも向けられている。資料館に飾られた小学校の子どもたちの感想文は、素直な感動の言葉であふれている。
「リサイクルがいっぱいできるんだと思いました」
「鉄を持ち上げる磁石すごかったです」
「ペットボトルやアルミ缶が別のものに変わることや、電線を分別して分けて銅を分けているのがすごいと思った」
「これまであまり考えずにすてていたが、これからはリサイクルのことを考えてすてたい」
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